「あらあら、爆豪ちゃん。こんばんは。今日はメンチカツがオススメよ」
「…ッス」
勝己が頭を下げる。雄英の同級生からしたら二度見どころか化けたヴィランを疑う行為だが、紛れもなく勝己本人である。ヒーローになってから落ち着きがあると言われることがあるが、それは一番ハジけていた時期を見ていた人間の講評であり、勝己は今でも傍若無人のままである。その爆豪勝己がババアと呼ぶ母親の次に頭が上がらないのが、この小さな惣菜屋のおばちゃんだ。
二人の出会いは至ってシンプルで、ヒーローとして駆け出しだった頃の下宿のオーナーがこの人だっただけだ。今はもうマンションの高層に引っ越してしまったが、勝己はこうしてたまに顔を出している。おばちゃんの方は気前よく手渡されるまかないに釣られて来ていると思っているだろうが、真実は少し違う。
勝己は食べるものには煩い方である。ヒーローとしての自分を維持するために必要なことだからだ。しかし食べる時には七味やタバスコが欠かせないほどに刺激物を好む。爆豪家ではそれはある意味常識な光景であった。
ところがおばちゃんの惣菜を目の前にすると、それはとてつもなく無粋な行為に思えてしまう。つやつやに照ったゴボウのきんぴらが、甘く蒸されたかぼちゃの煮物が、肉汁の溢れるとんかつが、そこにあるだけで完璧であって手を入れてはならないものだと思わせてくるのだ。想像するだけで腹が減る始末である。
「メンチ二つと野菜の揚げ浸し、あと根菜のサラダ」
「はいはい、いつもありがとうね」
おばちゃんはいつものいい笑顔でオーダーをまとめる。夕飯時を過ぎたこの時間は客が少ないので勝己も気を張らずに済む。手際よくパックに詰められる惣菜を待ちながら、レジ横にかけられた明日のメニューに目を通す。
「麻婆豆腐…」
「ふふ、明日は爆豪ちゃんの大好物よ。ちゃんと残しておくから、お仕事がんばってきてね」
「…アッス」
思わず口に出ていたことに驚くより先に、おばちゃんに指摘されたことがむず痒くて目を逸らした。爆豪家のものに比べたら赤味の全くない一見普通の麻婆豆腐が、見ただけで唾液をもらたし、無限に飯を食らえるほどに程よい辛味であることを脳が覚えてしまったのだ。
下宿にいた時、好きなものを聞かれて麻婆豆腐と答えたら次の日には差し入れられた。その頃はまだそこまで気を許してはいなかったので、唐辛子を多めに足してしまったことを今でも後悔しない日はない。本当に美味かった。皿を返しに行ったその場でお世辞など出た試しもない口から「美味かったス」とすんなり出てしまうほどには。そうしてまんまと好物を知られ、胃袋を掴まれてしまった。
思い出すだけで俺ァ何をしとんだと頭を抱えるしかない場面である。同級生に知られた日などはその場で爆殺して始末するしかない。
「はい、じゃあメンチ二つとお惣菜二つで750円ね。こっちの袋はオマケの春巻き」
「ンな貰っていいんすか」
「いいわよぉ。ヒーローさんにはいっぱい食べて貰いたいからね」
お札一枚を出すとお釣りが帰ってくる。おばちゃんがにこにこ笑って手渡してくれるビニール袋を大事に受け取り、また一つ礼をして早足で家路についた。
マンションに帰り、コンシェルジュに郵便物を手渡される。エレベーターに乗り、部屋に着くまでに必要な手紙を仕分けた。ドアにカードキーを翳せば落ち着ける自分のスペースへとたどり着く。
靴を脱ぎ揃え、上着をハンガーへ。どちらも汚れていないのをチェックしてから洗面へ向かう。うがいと手洗いで菌を徹底的に殺し、出かける前に用意しておいたルームウエアに着替えた。そこでようやく一息つく。
今日は地区管轄外の応援要請からはじまり、自分の苦手とする個性のヴィランとの対峙、果ては高層ビルの災害救助と、日頃暴れてやりたいと呑気にパトロールしていた日々を砂の粒くらいに懐かしむ程には忙しかった。
特に苦手――吹雪個性のヴィランとの戦闘は最悪である。個性の威力が半分以下にまで落ちた。どうにか踏ん張って、我武者羅に宙を舞い、ヴィランを追う。その時にふと思い出したのが、惣菜屋の麻婆豆腐だ。あの匂いと味を想像した瞬間、ぶわっと汗が噴き出した。勿論爆破の威力は上がった。きっちりとヴィランは仕留められたが、クソほど腹が減った。しね。
脳がつやつやに炊けた飯を欲している。そう、飯だ。
「飯、」
キッチンへと向かい米炊き用の土鍋を取り出す。ここの生活を始めてから真っ先に購入した相棒がこの土鍋である。仕事が忙しい時も帰って温かい飯が食いたくて炊飯ジャーを使っていたが、今はこの惣菜に合わせた最高の飯のためにその都度炊いている。以前なら煩わしいと思った行為は、あっさりと塗り替えられてしまった。
ちなみに以前使っていた炊飯ジャーは捨てるには惜しいと思い切島にくれてやった。
二合の米をザルで洗い、水を吸わせる。しばし時間があるので朝洗った食器を棚に片付けた。ついでに買い足したい消耗品も書き出す。そうしているうちに水を吸った米を土鍋に移し、新たに水を計り入れて強火にかける。しばらくすると吹いてくるので弱火にして10分。この時点でほのかに甘い米の匂いがしてくるのも気に入っている。
飯が出来るまでに惣菜のセッティングも済ませる。皿は洗い物の手間を考えて大きめの凹凸の少ないランチプレートを使う。適当にちぎったレタスの上にメンチカツを配置し、有り難く頂戴した春巻きも添える。野菜の揚げ浸しとサラダもその横へ。冷蔵庫から取り出したカブの浅漬けも隅に置く。味噌汁は椀に作り置いたかつお出汁を熱して注ぎ、切った油揚げと刻んだネギ、そして味噌を溶く。
土鍋の火をとめて、10分蒸らす。最終工程というのはいつも心が躍る。そうして出来上がった米を茶碗に盛れば完成だ。
「ッス」
席について、最高の惣菜を作ってくれるおばちゃんに敬意を表し、形ばかりのいただきます。ちゃんと言いなさいと煩かったババアはここに居ないため、怒られることもなく夕飯に手をつけることができる。
まずはメンチだ。とりあえず空きっ腹を一発で黙らせるインパクトがある。箸で二つに割り、ソースに潜らせて大口に放り込む。その瞬間に湧き出す肉汁が口内を満たす。
「うめぇ…」
思わず鳴き声のような言葉が口を突いて出た。口に物を入れながら喋らないで、と脳内のババアが煩いが美味いものは美味いのだ文句は言わせねぇ。
メンチを喉に通しながら白米を掻き込む。炊きたての飯が美味くないわけがない。一粒ずつ噛みしめるように咀嚼する。飲み込んでしまえば次の獲物に箸が伸びる。揚げ浸しのピーマンは硬すぎず柔らかすぎでもない絶妙な歯ごたえで、味もしっかり染みている。こんなもの美味いに決まっとる。同じく揚げ浸しのナスも口に放り込んだ。飯も進む。忙しい。気がつけば一杯目の飯は一粒残らず消えていた。いそいそと土鍋から二杯目をよそう。少しだけおこげが出てきた。最高だ。
次に取った春巻の皮は意外にもまだパリパリしていた。余り物だと思っていたが、出来たてを渡されていたようだ。おばちゃんの思いやりも相まって腹に染みわたる。中の具が舌を滑り、喉を通るのも一瞬だ。白米、出番だぞ。
先ほど残した半分のメンチを食べようとして、無くなっていることに気付く。どうやら無意識のうちに胃に収まっていたらしい。意識せずに食べるだなんて勿体無いことをしてしまった。仕方なく根菜のサラダにシフトチェンジする。甘いニンジンと辛みのある大根をさっぱりしたドレッシングで食べる。怒涛の油物をリセットするのには最適だ。一瞬休めばまたメンチが食いたくなる。もう一つの塊を二つにして頬張る。最初ほどのインパクトはないが、胃の空いているところにすっぽり収まるので心地いい。喉を通す手助けにと味噌汁も啜る。そうやって満たされて、二杯目の飯が終わる頃、最後に添えていた浅漬けを齧ればプレートは綺麗に空になっていた。土鍋に残った飯は明日の朝のためにラップに包んでおく。
食後の緑茶は実家から定期的に送られてくるティーバッグのものを使う。使い切った茶殻を捨てる煩わしさもないので良い。熱い湯が喉を通って、腹に溜まる。
「ごっそさん」
今日も至福の時だった。
夕飯の余韻もそこそこに、手早く食器を片付けてシャワーへと向かう。腹が満たされれば次に来るのは睡眠欲だ。頭も身体も念入りに、しかし手早く洗い済ませ、浴室を出る。本当は風呂に漬かりたいものだが、今ここで入ったら確実に寝入ること請け合いだ。ガシガシと頭を乾かせば、既に程よい眠気が襲ってくる。意識を奮い立たせて歯磨きをする。
全てを済ませてベッドに倒れれば、途端に身体の力が抜けた。
明日は麻婆豆腐が確約されている。それだけで何もかもブッ飛ばせる気がするのだから、案外自分は現金だったのかもしれない。
(2020/6/6) ▼TOP