夜明けの滴

年上プロヒーロー|一人称視点|直接描写はありませんが爛れています

「バクゴー、」
そう呼べば舌打ちしつつも大人しくデスクの前までやってくるのだから可愛い奴だよ、まったく。不機嫌を隠そうともしないその態度が私からすればまだまだ子供だ。
「事務所じゃヒーロー名で呼べって言ったのアンタだろうが」
「もう誰も居ないんだ、細かいこと気にしないの。…今日はウチ来るかい」
そう提案すれば「行く」と素直に即答する。こうやって誘うのは私なのに、爆豪を拒否するのも私。酷い女だという自覚はあった。矛盾する関係はもうすぐ二年になろうとしていた。

十も年の離れたヒーローを雇ったのはたまたまだ。ベストジーニストに呼び出されて、何を言うかと思えば手に負えない奴がいるから面倒を見ろだと。嘘つくなよ、アンタは手に負えない奴をどんどん地方の事務所にばら撒いてたじゃないか。私に押し付けるってことは何か考えがあってのことでしょ。酒を奢られた手前、本音はしまい込んで二つ返事で受け取った。
手に負えない、というのはあながち間違いではなかった。個性による器物損壊はヒーローならば誰もが通る道だが、歯に絹着せぬ暴言も相まってヒーローなのか猛獣なのかわかりゃしない。そもそも初対面の挨拶が「あんた俺を知らねーのかよ」ときたもんだ。今から世に出るヒヨッ子の名前なんて知らないね。そう言ったらぷいと横を向いて拗ねるもんだからつい笑っちまったよ。同僚に聞いたら雄英の問題児でベストジーニストが矯正不可能だった奴だと。はぁ、なるほどね。あいつが面倒くさがるわけだ。




うちの事務所で引き取って、一緒に働き始めて。どういうわけか、本当にどういうわけか爆豪は私に懐いた。懐いただけなら良かったのに、それは明確に好意と名付けられるものだったからタチが悪い。最初こそ打ち解けるためにと宅飲みに誘っただけだったのに、この関係はずるずると泥沼化した。酒に酔わせて雇い子を誑かしたなんて言われても言い訳できやしない。既に合鍵まで渡してしまったのだから。
二人だけの会話は仕事のことから始まるが、爆豪は酔いが回ってくると私を強気で口説き始める。最近では素面でも平気なもんだ。これには私も手を焼いた。
「こんなおばさんより綺麗な若い女の子にしなよ」
「あんたが綺麗じゃねぇみてーなこと言うなや。俺はあんたがいい」
その目は雄弁だ。純粋にまっすぐに向けられるそれと、私は目を合わせられない。いつでも逃げ道を探している。それを悟られないように、グラスを煽った。
「あんたがいい。俺と付き合え」
「だめだよ。いつか後悔する」
「しねぇわ。後悔しないためにあんたを口説いてんだ俺は」
「バクゴー、今日はもうおしまい」
手にしたグラスを奪ってしまえば彼は押し黙る。こちらから無理矢理グラスを取り返すようなことはしない辺り、冷静さはちゃんとあるらしい。ならばとボディバッグを突きつけて暗に帰れと促す。渋々立ち上がり、玄関へと向かう彼を送る。
「ちゃんと家まで帰れるかい。送ろうか」
「帰るわクソ、……俺ァ諦めねぇからな」
しっかりした足取りでその背が出て行く。ドアが閉まりきれば二人は隔てられる。その隔たりがもっと厚いものだったら、私も絆されたりなどしないのに。二人分の呑みでぐちゃぐちゃになったダイニングテーブルから目を逸らしてベッドに倒れこむ。瞼の裏に焼きついた真剣な目を振り払うように眠った。




呑みに誘う日でなくても爆豪は家に来た。それは夕飯の時だったり、オフの日だったり。合鍵は渡したはずなのに私が許すまであいつは入ってこない。これ以上踏み込まれたくなくて、居留守を使ったこともある。けれどドアの前で座り込んでずっと待っているあいつを見たら、今日みたいに結局許してしまう。私はこの気持ちをまだ同情として片付けている。
「ご飯、まだなら食べてくかい」
「ん」
私が帰るまでどれくらい待っていたのか、鼻の頭を赤くした爆豪は大人しく席についている。作り置きのおかずを出せば、冷蔵庫は随分とスペースが空いた。一人暮らしのはずなのに料理を作りすぎてしまう理由ももう分かりきっている。
「食べたんなら帰りなよ。明日は早番入れたはずだろ」
「…帰りたくねぇ」
食器を片付けても爆豪は動かない。今日は居座るつもりだろうか。けれどだめだ、どうしても出て行ってもらわなくてはならない。これ以上踏み込まれる前に。
「バクゴー、」
静かになったから油断していた。側に寄れば噛み付くようにキスをされた。勢いのままに壁に押し付けられ、交わりは深くなる。頭が痺れるような感覚は、初めて感じる未知のものだ。私がこの年になって初めてキスしたなんて言ったら、この子はどんな顔すんだろうね。目の前の彼が熱くなるほど、私は冷静になっていく。
「酔ってもないのにお盛んなことで」
「俺にしろ、頼むから」
「いつもそんだけしおらしくしてくれれば可愛いんだけどな。ほら、どきなよ」
「可愛かねぇ。なぁ、」
「だめだよ」
だめなんだよ。もはや自分に言い聞かせているようなものだ。家に入れて、キスまで許して、何がだめなんだ。きっと目の前の爆豪だってそう思っているに違いない。私にだってもう分からない。分からない。
嘘だ、本当は分かっている。私は爆豪を、この問題児を繋ぎ止める自信がないから。もうあちらこちらで噂になって、ランキングにも入って、うちの事務所じゃもう収まりきらない能力になってしまっている。どこまでも一人歩きしていく爆豪に付いて行けなくなったら、見限られるのは私だ。
「だめだよ、帰りな。もう、遅いから」
「子供扱いすんな」
「子供だよ。私から見たら、」
「だったらあんたが大人にしてくれよ」
近づく目に灯る濃い欲情の色に怯んだ。その強い色が私を離さない。呆けた隙を見逃さず、私を強引にソファへと押し倒す。力の差は歴然で、覆い被さる身体を退けようとしてもびくともしない。恐怖より焦りが混ざる。だめだ、この先は。明け渡してはいけない。
「俺は、本気であんたが好きだ。俺の気持ちを嘘にされたくねぇ」
耳元で告げられるのは懇願だ。知ってるよ、わかっているんだよ。だからどうしても受け取れないんだ。「だめだよ」を紡ぐ前に唇を塞がれる。深く貪られて力が抜けた。そうして、受け入れてしまった身体だけが繋がった。




「あんたの事務所やめる」
二年。爆豪の押しかけは止まず、私もなぁなぁで彼を受け入れて、そんな爛れた関係のまま二年。夜が明け、ベッドサイドで背を向けていた彼の言葉は静かだった。
昨晩ふらっと尋ねてきた爆豪は何も言わずに私を抱いた。いつも繰り返されていた「付き合え」「あんたがいい」「俺にしろ」そんな言葉も一切なかった。ただただ思いつめた表情で私を見ていた。ああ、ついにこの関係に終わりが来た。ようやく気がついてくれた。そうだよ、爆豪はもっと上を目指せる人間なんだ。だからこの関係はおしまい。私のことは早く忘れなよ、なんて言わなくてもちゃんと綺麗さっぱり忘れてくれるだろう。爆豪と何があったかなんて、私が言わなきゃ誰にも知られない。
私が何も言わないのを訝しく思った爆豪が振り向き、そして顔を顰めた。
「…なんで泣いてやがんだ。なんで今更…クソ、」
言われて頬を摩ってみれば確かに、指が濡れた。自分が泣いていることに指摘されて気付くだなんて本当にだめな大人だ。目の前の男は静かに私が落ち着くのを待っている。早く泣き止んで、さよならを言って、バッグを押し付けて帰さなければ。そう考えたらまた涙が止まらない。見かねたように声が掛かる。
「なぁ」
「何だい」
「あんたはだめだって言ってたが、そんなら今泣く必要ねぇだろ」
「…そうだね。何で泣いてんだろね、わかんないな…」
「…覚えてっかよ。俺ァ諦めねぇって言ったよな」
シーツの上にあった手をとられる。爆豪の大きい大人の指が私の薬指を愛おしそうに撫ぜる。何かを考えるように、ずっとその指を見つめている。するりとひと撫でされるごとに、熱烈な告白をされているような気分になる。言葉ではもう散々言われてきたのに、肌で感じる熱はその何倍もダイレクトに愛しさを伝えてきた。やがて意を決したように、爆豪が顔を上げた。
「あんたの一生、俺が貰う。もう、だめだは聞かねぇわ」
私の返事が涙でつっかえている間に震える薬指に強引に通されたのはシンプルな指輪。私の指のサイズなんていつ測ったんだよ。ぴったり納まったそれがが何を意味するのか分からないわけじゃない。けれど、胸がいっぱいになってしまった私はいつもの「だめだよ」を言い出せなくなっていた。
「バクゴー、」
「あんだよ。いらねぇっつってもはめころ…」
「……嬉しい」
初めて、本音を吐いた。なんだ、こんなにすぐに言えるんじゃないか。過ぎてみればあっけないものだけれど、だって本当に嬉しかったんだ。それを伝えたくて気持ちのままに笑って見せると、まあるく見開いた赤い目からぽろりと涙が落ちる。その綺麗な雫がシーツに落ちる前に見失う。抱きしめられたと気付いたのは肩口に顔を寄せた彼が絞り出す声で呻いたからだ。
「………やっと、やっと俺のモンだ…っ」
抑えきれない嗚咽が続く。こういうところが子供、などとはもう言えないんだ。さっきまで私もずっと泣いていたんだから。「バクゴー」と呼べば腕に込められた力が更に強まった。まだ不安なのかもしれない。不安にさせるほど、私は長い間彼に拒否の言葉を突きつけてきた。今からでも遅くはないだろうか。
初めて爆豪の背に手を回した。傷一つない背は、確かに大人の男のものだった。




私の指にはまった指輪を見て、ベストジーニストが苦笑いをした。来週には爆豪ヒーロー事務所のサイドキックになる旨を伝えると、上手く手懐けたものだとお褒めの言葉を頂いたが、私はそうは思っていない。
「手懐けられたのは私の方かもね」

(2020/6/6) ▼ TOP