あれから爆豪くんは私を迎えに来るようになった。私も彼を待つようになった。こちらから出て行こうとすると、物凄く機嫌を損ねるので、私に拒否権はない。
二人で会うと赤い目は相変わらずじぃっとこちらを見ているし、どんなに遅くなってもきちんとアパートまで送ってくれる。迎えに来てくれた時も、送る時も、いつも他愛のない話で終わる。たまにまた爆豪くんが何か言いたそうにしているのを何度か見たけれど、彼はやっぱり何も言わないまま。夜の道を歩きながら、私はどう言葉をかけようか考えている。
ねぇ、爆豪くん。
そろそろ答え合わせをしませんか。
金曜日。夜の繁華街のパトロールは酔っ払いに絡まれるのが厄介だが、今日は泥酔してぐでんぐでんになったサラリーマンを交番に送り届け、どうでもいい喧嘩の仲介に入り、公園に捨てられた空き缶を拾い集める、至って平和な一日だった。勤務の終わりまであと少し、ネオンの灯る繁華街をゆっくりと歩いていた。
事務所に向かう途中、スマホを開くと珍しくA組のグループラインに新着のメッセージがあった。卒業以来あまり使われることのなくなったグループだが、たまに誰ともなく飲み会に誘ったり、誰かの活躍を祝ったり、基本的に騒ぎ好きなクラスメイトが好きに使っていた。その証拠に、送信者は上鳴となっている。今回は何だろう。グループの画面を開くと、やたら派手なクラッカーのスタンプとともに一言。
[酔っ払ったバクゴー、今から告白しに行くってよ!]
そこからつらつらと、メンバーの囃し立てが続いていた。そういえば、今日集まれるメンバーで飲み会をすると言っていた。私は前々から先輩の代理勤務が決まっていたので早々辞退して忘れていて。それで、えっと…。告白?誰が?爆豪くんが?
告白って何だ。行くとあるからには誰かに言いに行くのだろう。問題はその内容だ。彼は何を言いに行くのか。
呆然とその10分前に投稿されたメッセージを見つめていると、ふと画面が変わって着信中になる。
発信者は[爆豪勝己]。
息を呑み、しかし相手に遅いと言われる前に私は緑色のボタンを素早くタップした。ゆっくりとスマホを耳につける。
「も、もしもし」
「…テメェ何時上がりだ」
お酒を飲んだからか、少しだけゆっくりした口調。賑やかな通りを歩いているようで、背景の騒音が遠慮なく私の耳に飛び込んでくる。それでも、相手の声はしっかり鼓膜に響いた。
「もうそろそろ、今から事務所帰るとこだよ」
「迎え行く。待ってろ」
えっ。疑問も反論も出来ぬまま、ぷつんと切れて通話は終わる。私がまた呆然としている間に、待ち受け画面は省エネモードに入ってすぐに暗くなった。待ってろ、って。その言葉を何度も何度も頭の中で繰り返す。
状況を整理する。先程入っていた上鳴のメッセージが正しければ、爆豪くんは今から告白をしに行くのだと。そしてその彼は今から私を迎えに行くと言った。この二つの事象はイコールで結んでいいものなんだろうか。もしそうだとして、爆豪くんが私に言いたいこと、その見当がつかないわけじゃない。多忙な彼が足繁く私を送り迎えし、何か言いたそうにしているその理由のこと。
私には彼への好意の気持ちがあるから、多少その行動が美化されていることがないわけではない。でも、それだけでは説明がつかないのが、この前あった入れ替わり事件の時に抱きすくめられたことだ。正直めちゃくちゃ痛かったし、仮にも女である私に対して容赦がなさすぎだと今更ながらに思うが、それにしても爆豪くんらしくない行動だった。
純粋に私であって欲しいという願望、それと同時に私じゃないかもしれないという不安がぐるぐると身体に渦巻く。今まで爆豪くんの方が何も言わないから、という建前で私の方もスルーしてきた。度々夕飯を食べるだけの関係が心地よかったのもある。今夜、その関係を自分たちは変えられるのか。その変わった関係のまま、その先に進めるのか。
スマホと睨み合いながらずっと考えていたけれど、時間の表示を見て慌てて事務所に走った。定時の時間はとっくに過ぎていた。
事務所から出ると、爆豪くんがぼうっとガードレールに腰掛けて待っていた。名前を呼べば私を見つけて寄ってくる。遅いと怒られることはなかった。お酒が入って少しだけ眠かったのかもしれない。
並んでゆっくり歩き出す。爆豪くんが少し前、私がその歩調に合わせる。ポケットに手を突っ込んで、やや猫背のそのスタイルは雄英の時から変わらない。さすがに腰パンはやめたみたい。
「爆豪くんお酒弱いんだ。顔赤いよ」
「弱くねぇわ。なめんな」
「そう?」
「弱くねぇ」
「なら、いいけど。飲み会、楽しかった?」
「煩ぇだけだわ。特にアホ面は煩ぇ」
「はは、そっか」
爆豪くんがちらりと私の方を見る。その目がいつものように、何か言いたそうに私を焦がす。視線をまっすぐに受け止めると、私は内側からぶわっと熱くなるのを感じるのだ。心から爆破されているような暴力的な熱を飲み込んで、何も言わない視線の主に問う。
「なに?」
「ンでもねぇ」
「ほんとに?電気に何か言われたの?」
「何もねぇわ、クソ」
「何もないのに悪態吐かれたの?私」
「るっせぇ、はよしろや。俺ァ早く帰って寝てェんだよ」
そこまでで会話は終わってしまう。一歩先を行く彼の歩みは止まらない。私もそれにやや早足でついて行く。今度は私の方がちらりと盗み見れば、下唇を突き出してむすっとしていた。賑やかな商店を抜け、人通りの少ない高架下へ差し掛かる。
その背に向けて言い放った。
「…ねえ、爆豪くん。私たちさぁ」
「ア?」
「付き合っちゃおうか」
本当はずっと言わないつもりだった。ヒーローとして高みを目指す彼を悩ませるようなことはしたくなかったから。何でもないことだと鼻で笑うだろうけど、爆豪くんには少し繊細なところがあるのを知っている。きっと表には出さずに抱えてしまう。
でも、彼に打ち明けて私が傷付いて、その時に彼に傷を付ける私でありたいと思った。ずっとずっと爆豪くんに勝ちたかった私は、こんなところでも捻くれている。恋なんて綺麗な上澄みで、下の方の心はただの独占欲。私はそれをずっと隠してきたし、誰かがあなたの隣に立つ度に嫌だなと思いながらも何も言わなかった。でも爆豪くんの信頼に足る人間でありたいから、私は正直に言うことにするよ。この気持ちが嘘じゃないって信じてほしいから。
無駄な時間を嫌い、人と会うことを煩わしいと思う爆豪くんが私を呼び出す理由、家のある方向が違うのにこうやって送ってくれる理由、熱烈な視線をくれるその理由、そして今、私の目の前に現れた理由。その理由を爆豪くんの口から聞きたい。
いっぱいいっぱい、聞きたいことを一言だけにして。
あなたの答えを聞かせてください。
なんて、へらりとゆるい顔で笑いかける。最後の最後で、情けないかな私は逃げ道を作ってしまった。冗談だよ、と言う前振りだ。
私の言葉を受け取った爆豪くんは切れ長な目をびっくりするくらい見開いた。そんなにびっくりすることかな。もしかしてやっぱり私の勘違いだった?
びっくりしていたのはほんの少しだけで、次の瞬間にはギッと鋭く吊り上がる。あ、爆発寸前。足を踏み出して、距離を詰められる。そして咆哮。
「俺の台詞だわクッソがァ!!!」
高架下に轟く声。次いで、フリーだった私の右手が彼の大きな手に強引に攫われた。うそ、爆豪くんの決めた奴、本当に私だったんだ?!なんて他人事みたいな驚きも束の間、指の間に節くれだった長い指が絡んできて、これは恋人繋ぎとかいうもの…?と淡く期待した私は次の瞬間飛び上がった。
「痛い!!!ちょっと待って爆豪くんマジで痛い!どういうこと?!私の指が人質にされてる?!」
「うるっせぇんだよこのブス!ちったぁ黙っとれ!!」
「黙るわけないじゃん!私の指の危機だよ?!いや、ちょっ、痛い痛い!!」
甘い時間など一切訪れなかった。というか私が何か言うたびに力が篭っていく気がする。嘘でしょ、本当に何なの?!私ちょっとたった今告白したこと自信なくなってきた…。必死で指を剥がそうとしてもビクともしない。どうしてここでこんなバカ力を発揮するんだ。傷付いてもいいとは思ったけれど、物理的にじゃないよ!身体が痛いのは許容してないよ!
諦めずに格闘していると、ふと手元に影が落ちる。いつの間にか目の前に爆豪くんの、顔、が。
あ、と思った時にはもう唇は塞がれていて。まつ毛が交わりそうなくらい至近距離で目と目が合う、息が止まる。初めて感じた温かさは押し付けられてすぐに離れていった。あまりにも突然の犯行に、私は口を半開きにしてぽかんとするしかない。
目の前の犯人はご不満そうに眉間に皺を寄せている。お酒で頬が赤いから拗ねてるみたいだ、なんて。
「目ェ閉じねぇんかよ」
「…………いや言ってよ」
反論できたのはかろうじて。しばし思考を停止していた私の頭が、頑張って頑張って動き出す。息を止めた分酸素が足りない。動き出して、理解して。そう、今のは、キスだ。誰が?誰に?爆豪くんが、私に。私?!
結果を脳がアウトプットした瞬間、顔がぶわっと熱くなる。心臓がばくばくと自分の存在を主張する。うそ、今、本当に?
さっきまで引き剥がそうと躍起になっていた手を渾身の力で握り返す。握力では全く勝ち目はないし、相変わらず爆豪くんは私の手を放してくれなくて、いや、今はそういう張り合いじゃなくて、えっと。
「も、」
もう一回してください、今のじゃわからなかったから。
蚊の鳴くような弱弱しい私の訴えはちゃんと目の前の爆豪くんの耳に届いたようで、今度こそ目を閉じるように強要される。思わずぎゅっと力が篭ってしまったから、きっと眉間に爆豪くんみたいな皺が寄ってる。でもそんなこと気にしている余裕はなかった。
「は、ブス」
嘲るように爆豪くんが笑う気配。今まで何度も言われてきたのに、今日はなんだか違う声色が鼓膜を震わせる。
私から頼んだ二度目の交わりはさっきより少しだけ長く、吸い付く音が敏感な心を震わせた。視界からの情報がない分、唇の感触と頬に添った爆豪くんの手の熱がよりリアルに伝わってきて、気持ちが落ち着かない。どきどきしっぱなし。
どうしよう、どうしよう、私から強請ってしまった。私どんな顔してたらいい?ねぇ、誰も答えてくれないから、変な顔になっててもブスって言わないで。いや、もうさっき言われてたんだっけ。ならもういいか、どんな顔でも。
唇が離れていって、熱い吐息が混ざると背筋がぞくぞくした。そろそろと瞼を開けた正面、真っ赤なピジョンブラッドが私を見ていた。その真ん中に私が映っている。夢、みたいだなぁ、なんて。
「………なんか」
「ア?」
「これが夢だったら…泣いちゃいそう」
「寝言言ってんじゃねぇ、マジで殴るぞ」
「殴られるのはやだなぁ」
「んなら黙っとけや、ブス」
力強く抱き込まれ、隙間もないくらい近くへ引き寄せられる。私の目の前に爆豪くんの首筋、甘いフレグランスのような匂いと、混ざるお酒の匂いが頭を麻痺させる。
ああ、好きだなぁ。
ずっとずっと好きだった。
この人がどうしようもなく愛おしい。
そうっと彼の背に手を伸ばして抱きしめる。その胸に顔をうずめる。背伸びをしても全然埋まらなくなってしまったリーチの差を実感して、会った時は同じくらいの目線だったはずなのにと悔しくなったり。また勝てないところが増えてしまった。きっとこの先も勝てない。最初から爆豪くんに焦がれた私の負けだったのだ。
「爆豪くん」
「…あんだよ」
「私の喧嘩、買ってくれてありがとう」
「あ゛?」
「私を信じてくれて、ありがとう。私を認めてくれて、ありがとう、それから、」
続けるつもりだった感謝の言葉は降りてきた三度目の唇に阻まれた。そんな、物理的に封じられるとは思っていなかったから、言いたかったことが全部溶けて消えてしまった。二の句が継げないまま、またぴったりと抱き寄せられた。その強引さにもはやされるがままだ。
「テメェはこれから一生俺に感謝して生きることになんだよ。だから一々言ってくんな、ウゼェ」
「一生、」
「離さねぇぞ俺は」
肩口に額を預けて、顔を見せてくれないのはずるい。だって、それ、プロポーズでしょ。順序がめちゃくちゃだよ、爆豪くん。私が今泣きそうなのも、溢れそうなくらい満たされているのも、このまま離れたくないのも、顔が熱いのも、握られたままの右手が痛いのも、全部爆豪くんのせいだよ。
「私も絶対、離したくないなぁ」
「離さねぇっつっとんだろが。テメェの脳みそに永遠に刻んどけ。死んでも忘れんなブス」
「うん、うん、」
必死に頷いて肯定した。しばらくお互いに熱を共有するように抱き合ったまま離れなかったが、人通りがなくても外である事を今更のように思い出して歩き出す。私の右手は人質に取られたまま。
双方一言も発する事なく電車に揺られ、アパートまでたどり着いて。そして。
「爆豪くん、今日泊まってく?」
「ア゛ァ!?」
アパートの前で大声を出さないでほしい。本気で近所迷惑だから。でも、今のは私にも少しだけ非があると認めます。
電車の中で私が話しかけなかったのも、爆豪くんが隣に座ってうつらうつらしていたからだ。お酒が入って、繋いだ手が温かくて、寝入る環境は整っていた。三駅でなければそのまま寝かせてあげたかったのだ。本人は否定しているけれど。
いつもの眉間の3割増しの皺に緊張感を持つ。
「だって、眠いでしょ。電車の中でゆらゆらしてたよ」
「してねぇ」
「してたよ」
「うるせぇ」
「私、やだよ。明日路上で寝てる爆豪くんに会うの」
「んなことするわけねぇわ。なめとんのか」
赤い目は不機嫌を隠さない。まぁ爆豪くんならそんなことにはならないと思っている。思っているけれど、離れがたいのも少しだけ察してほしい。さっきまで繋がっていた手がまだ熱くて、そこから全身に血が通っているようなこの感覚は、きっと一晩も経たずに消えてしまうのだろう。
「…来年、事務所立てる」
右手ばかり気にしていたから、爆豪くんがぽつりと言った言葉に反応するのにワンテンポ遅れた。顔を上げた時には、もう向こうを向いてしまっていて。
「来年…」
「マジでこき使うかんな。覚悟しとけ」
それだけ告げて、彼は去っていった。当たり前だけど、私たちの関係が変化したその先に未来があることにひどく安堵し、ドアノブをつかむ手は静かに震えた。