「恋人」の構文は難解

 1 |両思いになった翌日

朝の目覚めはすこぶる良かった。外の天気は快晴、今日は休日。なのに私はベッドの上でぐるぐると昨日の晩の出来事を思い返しては悶絶して枕に顔を埋めていた。
「爆豪くんと、キスしてしまった」
言葉にするとまた恥ずかしさが際立った。都合のいい夢ではないかと思ってしまう。いや夢でしょ、そうだよね?
私から「付き合おうか」と言って、爆豪くんが多分彼なりの同意の返事をくれたのが昨晩のだいぶ端を折ったダイジェスト。その間、剛力であったけれど手を繋いだし、強引にハグしたし、三回、そう三回もキスした。
…やっぱり夢かもしれない。だってどう考えても都合が良すぎる。現実というものは厳しさを突き付けてくるものじゃないの?自分の唇に指を当てて昨日の感触を思い出すだけで、泣きそうなくらい幸福感に包まれる。
…やっぱり夢だな?
そう結論づけようとしていたところで、枕の横のスマホが鳴った。着信だ。誰だろうこんな朝早くに、と画面を見た私はばっちり目を覚ますことになる。
[爆豪勝己]
夢の続きかな?アフターサービスまでバッチリだな!などと今の今まで考えていた人物からだったから、気持ち数コール置いてしまったのは許してほしい。受話ボタンに伸びる手は慎重を期する。
「もしも、」
「遅ぇ!!」
熱烈な苦情が鼓膜に刺さり、思わずスマホを耳から遠ざけてしまった。朝からこの怒鳴り声はキツイ。昨日ちゃんと帰宅して早々に寝て早起きして二日酔いの影もなくこの電話をかけてきたのだとすれば、普通にすごいし感心するけど。
「ごめん、おはよう」
「オイ、てめぇ、昨日のあれ」
「あれ…?」
そうだ、昨日。大変なことがあった。私たちの関係に便宜上の名前がついたのだ。それを当事者である爆豪くんに確かめなければならない。再びスマホを耳にあてて、意を決して名前を呼んだ。
「爆豪くん」
「ンだよ」
「私たち、付き合ってる、よね」
少し不安だったからトーンを落として聞いてみた。しん、と会話が止まる。え、そこで黙るの。やっぱり夢だった?じゃあ今の発言はなかったことにしてほしい。恥ずかしすぎるし、もう寝言だったことにしてください。お願いしますから。死刑宣告を待つようなしばらくの沈黙ののち、呆れたような声が返ってくる。
「テメェ自分から言った癖にあれが夢だったとか抜かすつもりかよ」
「…よかった、夢じゃなかった…」
「たりめーだわ」
そうか、夢じゃないのか。じゃあ、爆豪くんと付き合ってるのか。彼がそう言ってくれてるからそうなんだろう。
でも付き合うってことは、私が爆豪くんのことを好きなだけじゃなくて彼の方も私のことを好きってことで、でなきゃキスなんか絶対にされるはずがない。私の知ってる爆豪くんは女を易々と懐に入れたりベタベタしたりしない。そう、しないんだ。かわいい女子からの告白だって全部断ってきた男なのだ。
「…やっぱり夢かも」
「ア゛?」
「だって、私、OKしてもらえると思ってなかった」
「ア゛ァ?!」
だから、電話口で怒鳴らないでって。また少しだけ離したスマホから爆豪くんのクソがって声がする。朝から元気がすぎるんじゃないか。
でも爆豪くんから電話が来たことは素直に嬉しいし、夢じゃないって肯定してくれたことは奇跡なんじゃないかと思ってもしょうがない。何がどうなって彼の気が私に向いたのかは分かならないけれど、夢みたいな現実が今ここにある。だから例え電話の向こうで盛大なため息をつかれたとしても、全然気にならないんだから。
「マジでナメたこと抜かしてんじゃねーぞ。俺をおちょくってんのか?アァ?」
「いや。ごめん、そういうのではないです。ただ、あの、実感湧かなくて…」
「てめぇの実感なんぞどうでもいい。…そんで、」
「うん、何?」
昨日の今日で、これほど頻繁に爆豪くんから連絡が来るのは珍しい。何の用件だろう。少し緊張してスマホを持ち直した。
「今日は仕事ねぇんかよ」
「うん、今日は休み」
「じゃ午後」
「ん?」
「空けとけ」
「何かあるの?」
「13時」
「ねぇ、どこ行くの?どこ集合?」
「迎え行く。待っとけ」
「待つけど、あの、」
結局、目的を一言も言うことなくぷつんと通話は切れてしまった。迎えに来るってことは出かけるのかな…。どこへ行くのかわからないと服の決めようがなくて困るんだけどな。
…まさか昨日の今日でデート、なんてこと、
「…ない、ないよな」
爆豪くんとデートという単語がどうしてもマッチしなくて妄想を必死にかき消す。どこまで浮かれてるんだ私は!
ともかく頭を正常に働かせるために朝ごはんを食べることにする。窓の外は雲ひとつない快晴のままであった。




時間ぴったりだとまた遅いだの何だの言われそう、ということで10分前にアパートの前にスタンバイした。あまり浮かれていることを知られたくないので無難なTシャツに青のパンツ、白のスニーカーという無難な出で立ちにおさまった。それでも出かける用に服を着るということは久々だった。いつもスーパーやらドラッグストアにはもう少しだらけた服装で行ってしまうからだ。化粧も薄いながらにちゃんとした。…唇だけは念入りに。いや、これは決してキス待ちではなく、もし万が一があったときにガサガサでドン引きされないための予防策というか。
「オイ」
「わぁ!び、びっくりした…爆豪くん、やっほ」
「やっほじゃねーわ能天気か」
いつの間に来たのか、キャップを被った爆豪くんが傍に立っていた。ラフな黒のシャツとパンツだったが、それさえキマって見えるのだからずるいとしか言いようがない。あああ、やっぱりかっこいいなぁ。なんて私が上から下まで爆豪くんを堪能していると、伸びてきた腕が首根っこを掴んできた。
「いいか、テメェには合わせねぇ、俺に合わせろ」
「えっ、あ?何?!ちょっと怖いから掴むのやめてくれないかな!」
「うっせ、行くぞ」
しばらく抵抗して首根っこは離してくれたものの、未だに目的地も聞いてない。私は今からどこに連れていかれるのだろう。爆豪くんの後ろを歩きながらその行き先を予想してみようとしたが、全く分からない。ヒントもくれないんだなぁ。駅までの道中、爆豪くんがこちらに振り向くことはあっても、手が繋がれることは一度もなかった。




都心に向かうものと思っていた電車はどんどん緑の中へ走っていく。車窓から見えるのはなんとものどかな風景だ。まだ乗車してから一時間も経っていないのに。
隣にいる爆豪くんは相変わらずだんまりを貫いている。乗客はまばらで、席もガラガラに空いている。だから隣り合って座る必要はないのに、私たちはぴったりくっついて並んでる。落ち着かない。元いた私の隣に来たのは爆豪くんの方なのでこれは彼の意志なのだろうが、いかんせん距離の縮め方に対して言葉が一切ない。
せめてこっちを向いてくれないかな。明後日の方を睨んでいる爆豪くんへ、恨みがましい視線だけを投げた。


ほとんど付いてきたというだけの私がたどり着いたのは、都心から離れたプライベート重視のグランピング施設だった。青空と周りの緑が眩しくて気持ちがいい。入り口にあった施設案内のパンフレットを捲りながら、先行く爆豪くんに話しかける。
「グランピング?初めて聞いたなぁ」
「要はキャンプ施設だわ」
「へぇ〜!わ、すごい!テント広い!」
テントの中は明るく、寝台が二つ並んでいた。テンションが上がり切っている私はその一つにダイブする。柔らかなスプリングに揺られながら爆豪くんを呼んだ。
「てめぇガキかよ」
「だってこういうの来たことないんだもん!」
後からテントに入ってきた彼は呆れ顔で隣の寝台に腰を下ろし、布団が硬いとかスプリングが柔いとか細かい文句を垂れ流しつつも、最終的には悪かねぇという及第点に達したようだ。私と同じようにベッドに転がるけれど、やはり足の方は窮屈そうだった。
「なんか休日って感じだ…」
「てめぇんとこの事務所、忙しいんかよ」
「最近はそんなでもないよ。迷子とか引ったくりとか、そのくらい?」
「クソつまんねぇな」
「言うと思った」
二人で寝転んで上を見上げながら最近のヒーロー活動やらヴィランの動向やらを話した。こんなところまで来てする話ではないが、正直何を話したらいいか分からなかった。昨日までで関係が変わって、だからといって急にベタベタしたりはしないことに安堵もしたし、少しだけ期待していたことを諌められたような気もした。
「それでね、先輩の個性が…」
「おー」
「あと、来週ね…」
「ん、」
「…聞いてる?」
しばらくすると、返答が次第におざなりになって、ついには聞こえなくなってしまった。私が夢中で話していたから飽きてしまったかな、と隣へ視線を投げれば、横に居た彼はいつの間にかすやすやと規則正しい寝息を立てている。
「ありゃ…」
スプリングを軋ませて寝顔を覗いてみても全然起きる気配がない。完全にお休みです。こうも安易に眠りに落ちられると、無理をしているのではと心配になる。昨日も寝落ちかけていたし、いつぞや見た彼のデスクにあったカレンダーもスケジュールは埋まっていた。タフネスだけでどうこうできるものではないはずだ。爆豪くんの目指すナンバーワンヒーローというものはそれほどの頂にいる。
「…寝込みを襲っちゃうぞ」
なんて出来もしないことを言ってみたりしたけれど、ただただ虚しいだけだった。ここで起こすのは気が引ける。
起きている時の爆豪くんは触れたら爆発すると揶揄されるほどに存在自体が爆弾である。常に周りを威嚇したり警戒している。ヒーローだからそういうところが活きてくるというのは勿論あるのだが、いきなりこうも無防備になられるとギャップというか。何よりその寝顔があまりにも穏やかだったから、暫く堪能することに没頭した。暴言や暴力はもちろん飛んでこない、眉間に皺もなく、肉食動物のような犬歯も見えず、何よりあの赤い色の目が見えない。攻撃性がほぼ無い整った顔だけが目の前にある。こうやって寝てる時はなんか、かっこいいというよりかわいいんだなぁ、なんて言ったらどんな顔されるんだろ。
折角なので、と自分を肯定しながらスマホにその寝顔を収める。カメラロールを操作しながら、スマホに爆豪くんの寝顔の写真があるという事実がたまらず頬を緩ませた。
「へへ…」
爆豪くんは相変わらず目覚めない。つんつん頭から外れていた黒いキャップをベッドサイドに置き、手頃なタオルケットを被せて静かにテントの外に出た。




「なんで起こさなかった」
結局、夕方になって起きてきた爆豪くんが不機嫌な顔で大層小言を吐いてきた。疲れてるみたいだったから起こしたくなかった、といえば閉口したけれど、視線は全然許してくれてない。私はといえば、一人で色々漁っているうちに楽しくなってコーヒーを淹れたり、ハンモックも独り占めしたりしてかなりエンジョイしていた。
「よく眠れた?」
「っせぇ」
「あいたっ」
私の頭を軽く叩いてから空いていたガーデンチェアに陣取った爆豪くんは、そのまま大の字になった。
…もしかしてこれは、拗ねているのだろうか。ハンモックから抜け出してその顔を覗き込もうとしても、ぷいと逸らされる。仕方がないのでお伺いをたてることにした。
「コーヒーいれようか」
「…砂糖はいらねーぞ」
「分かってるよ。砂糖ぶち込むくらいなら塩入れた方がマシ、でしょ」
「くっだらねぇことばっか覚えてんな」
いつぞやのショッピングモール、コーヒーはブラック。爆豪くんのストーカーはちゃんと覚えていますとも。濃いめに淹れたコーヒーを渡せば、無言で口をつけていた。まずいとは言われなかったので多分及第点。
隣のチェアに座って自分の足先を見つめながら、彼の気配を伺う。
「ねぇ、」
「ンだよ」
「これって、デート、でいいんだよね?」
確認するように尋ねれば、赤い目がちらりとこちらを見る。その視線がじりじりと私の心を焦がす。今日初めて感じた熱だ。
「…じゃなけりゃ何だよ。チームアップの練習なんて寒ぃことぬかすなよ」
「さすがにそこまでは思ってないよ」
「気付くのが遅ぇんだわ、ボケ」
昨日の今日で、爆豪くんなりに考えて誘ってくれたのだろう。その事実だけでも100点満点をあげたいくらい嬉しかった。 二つのガーデンチェアの隙間に爆豪くんの手が投げ出されている。そういえば今日は触れてないな。触ってもいいかな。その手にそっと指を滑り込ませれば、ぎゅうと握り込まれてしまった。その温度、その感触、やっぱり触れていると意識してしまう。
そのまましばらく熱を共有していたが、爆豪くんが天を仰いだまま静かにぽつりと漏らす。
「てめぇに言っとく事がある」
不安を煽られるような固い声だった。私の方を見ずに、けれど確かに私に向けられて発せられた声。これはヒーローの時の爆豪くんの顔だ。咄嗟にそう思って居住まいを正す。
「この先、何がどうなるか分かんねぇ。これまでだって死ぬかもしんねぇ、そう思ったことも癪だが………、ある」
突然の重い告白に身体が強張る。のどかな風景なのに、凶悪なヴィランと対峙している時のような緊張感。死ぬだなんて、ヒーローをしてたらいつそうなるかわからない。それを分かっていて私たちはヒーローになった。それを今更、後悔もしないし後戻りなんてもちろん出来ない。少しだけ繋がる手に力が篭ったのを感じて、私は夢中で握り返した。急かす心音を抑えながら爆豪くんの続く言葉を待つ。
「俺が生きてる限り、てめぇも精々足掻いて生きやがれ。俺より先に居なくなったらぶっ殺す」
その横顔は言葉より饒舌で、私の心にダイレクトに届いて来る。これほど熱烈な愛の告白があるものだろうか。これは彼の宣言した通り「一生」を続けるための誓約だ。爆豪くんが生きている限り、私も隣に立たなければならない。
私は爆豪くんを追うと決めた時に傷つくのを許容した。それは自分に向けてのものだったけれど、今の宣言は私の喉元まで刃を迫ってきている。その覚悟を確かめられている。
ここで心が沸き立ってしまう私は多分、もう覚悟とかそんなものはとうに通り越していて、目の前の爆豪くんに舐められないようにカウンターを繰り出すのだ。
「じゃあ、私も一言だけ」
「ア?」
「爆豪くんにしね!って言われると絶っっっ対に死んでやるもんかこの野郎~って思うので、精々長生きしてください」
真剣に、まっすぐに紡ぐ言葉。一方的な宣言なんてさせてなるものか。何年爆豪くん専用の負けず嫌いをしていると思ってるんですか。私だって死ぬかもと思ったことはある。その時に思い出す爆豪くんの罵倒が、心の底にある負けず嫌いの私を一瞬で引き出してしまう。それがどれほど生き汚い私にしてくれることか。 そんな私の一言を頭の良い爆豪くんはすぐに意味を汲んだようで、ぽかんとしていたかと思ったら、次の瞬間には爆発していた。ギラリとした目がようやくこちらを向いてくれた。
「アァ!?誰がこの野郎だてめぇこのブス!」
「あいだだだだ!痛い、ちょ、まって!」
「てめぇに言われんでも長生きし殺したるわ!」
「えっ、でもさっき癪だけどって、」
「煩ェ!!忘れろ!!」
「横暴!!」
片手で手を繋ぎ、片手で取っ組み合いが始まる。はたから見れば大分異様な光景であるが、私たちはこうやって今の関係を築いてきたから、これ以外の方法は知らない。頭を掴まれながらも必死に手を伸ばしてその頬を引っ張った。初めて触れたけれど、思ったより伸びないな!それでもぐいぐい引っ張ってやると「てめぇ、」とよりエキサイトした爆豪くんがのしかかるように私に体重をかけてきた。この体格差の問題はどうにもならない。動けなくなって悲鳴を上げながらも首を竦めたけれど時既に遅く、立派な前歯が鼻頭に噛みついてきた。
色々めちゃくちゃだけど、私は確かに楽しくて笑っていた。私を見下ろし皮肉めいて笑う爆豪くんも同じ気持ちならいい。




「暫く海外行く」
「え!いつから?!」
「明日」
「明日!?」
いつも通りアパートまで送り届けられ、別れ際に伝えられた新事実に驚愕する。そんな、色々準備とかあるんじゃ…と心配したのだが、もう荷物は送ったという淡々とした返事が返ってきた。さすが才能マン、抜かりはない。
しかし、海外。ヒーローが日本だけで活動するわけじゃない。オールマイトだってアメリカに行ってたこともある。突拍子もない話じゃない。爆豪くんも、そうするだけ。それだけの話。なのに。
「事務所立てんならそれなりに経験とコネが要んだろ」
「それは…そうだね」
そうか、暫く会えないのか。自分でも分かりやすく落胆してしまう。爆豪くんは仕事で、事務所立てるために頑張ってるっていうのに、私は自分のことばかり考えてしまう。本当に付き合い始めたんだよね?なんて聞いてしまいそうになる。しばらく会えないなんて、雄英卒業してからもあったのに。
引き止めるか、と言われれば即答できる。NOだ。可不可ではなく、ナンバーワンヒーローになる爆豪くんに焦がれた私にはその選択肢すらない。でも、気持ちの上ではそうじゃない。わがままだとは分かっているけれど、どうにもならないことはある。なまじ頻繁に会っていた最近があるから、余計に。
「なんかあったら連絡しろ」
ぽつりと零された言葉に顔を上げると、爆豪くんは真っ直ぐにこちらを見ていた。多分、私は間抜けな顔をしていたと思う。連絡って。
「…していいの?」
「でないと分かんねぇだろうが。てめぇがまたつまんねぇこと考えてんのがよ」
「信用ないなぁ…」
「あるわけねぇだろ。顔に出てんだわ」
「えっ」
ばっと両手で顔を覆うと、「馬ァ鹿」と軽く罵られた。しまった、謀られた。
「爆豪くん」
「ハ、騙されるてめぇが馬鹿なんだわ」
「むかつく…!」
さっきまでのもやもやも、全部まとめてぶつけてやる!そんな勢いで掴みかかろうとしたのに、その手はあっさり捕まってしまった。引っ込めようとした時には既に強引に抱き込まれた後で。すっぽりと腕の中に収まった私の頭の上に、爆豪くんの顎が乗せられた。
突然のゼロ距離に私はパニックになって身じろぎするけれど、彼の力強い腕はそれを許さない。
「動くんじゃねぇ」
「な、なな、」
「あと喋んな」
「いやちょっ、ふぐっ!」
巻き付く腕の力と上からの圧力が強くなって黙らざるを得なくなった。実力行使で黙らせにくるのなんとかならないかな!
ぎっちりホールドされたまま動かない。夜の風が涼しく感じるくらい顔が熱くなった。近すぎて息遣いも心臓の音も聞こえてしまっているんじゃないか。ドキドキと早鐘のような自分の心音を感じながら、言われた通りにじっとしていると、少しだけ考える余力が生まれた。この強引な手が、私を解放しようとしないのは。

あぁ、会えなくなるからか。

すとんと心に落ちてきた答え。そう思ったらようやく素直になれた。寄り添うようにその胸に顔をうずめて、額を擦って落ち着ける場所を探して。暫く会えないのはお互い様で、爆豪くんも私もただ言わないだけ、そう思わせてほしい。
ようやく解放された頃にはもう日付が変わろうとしていた。
「…帰る」
「うん」
その背を見送りながら、いってらっしゃいと言った。振り返らなかったけれど、軽く拳を突き上げて答えてきたその背は間違いなく私が憧れたヒーローの姿だった。

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