ガーネットの献身

 7 |旅立ちの日

岩壁に沿うように、ぐんぐんと高度が上がる。切島さんの背は激しく揺れることもなく、快適だ。ただ鱗がゴツゴツとして少し痛い。上に着くまで我慢してくれよな!と彼はからからと笑っていたけれど、私としては連れて行って貰えるだけ有難い話だったので、これくらい何でもない。
けれど。あぁ、やっぱり違う。どうしてもあの赤い暴れ竜の背を思い出してまうのだ。私が乗っていることを忘れてるんじゃないかと思うくらい、激しく、奔放で、自由な飛び方をするあの竜のことを。
「なぁ、あんた。爆豪の背中って、乗ってみてどうだ?」
飛びながら、切島さんが尋ねてくる。今まさに考えていることを言い当てられたような気がして、心が跳ねた。
「いっつも振り落とされそう。というか、落とされたこともある」
「ハハ、そうだよな。あいつ、誰かに乗られんのあんま好きじゃねぇからよ。人間なんか乗せてトロトロ飛んで何が楽しいんだか、なんて言ってた時もあって…。まあ、俺も最初は抵抗あったんだよな。俺らみたいに飛べない人間のフォローすんの、気ィ使うし」
話している間にも高度は増し、低い雲の中へ入っていく。
「でもよ。ちゃんとしがみ付いて来てくれる奴には応えてやりてぇ、って思うようになってさ」
「偉いねぇ。爆豪とは大違い」
「あー…、アイツはな。多分、乗せたい奴が最初から決まってたんだと思う。小間使いってよ、竜族と契約したりするワケじゃねぇだろ?いつ誰が乗るかなんて分かんないしよ。けど、爆豪は何かにつけて、面倒くせぇだの気分じゃねぇだの言って誰も乗せないまんま。んなこと言っても、稼いでくれてんだから文句言うなよって窘めた時にさ」
想いを馳せるように一呼吸おいて、切島さんは続ける。
「『俺が乗せる奴は一人しかいねぇ。もう鱗も渡した』って。それ聞いてさ、何か俺も嬉しくなっちまったんだよな。あの気難しい爆豪が決めた、たった一人だぜ?」
「それって、ほんとに私なのかな。ほんとに私しか乗せたことないのかな。そんなに稼げるわけじゃないし、家だってボロっちぃって文句言われたし…」
「あ〜、あ〜…、うん。あいつな、竜族でもみんなに一目置かれる程スゲェ奴でさ。喧嘩も強ぇし。そんな風に持て囃されてっから、他人を褒めるとか、したことねぇんだよな。…や、これはフォローになってねぇな。すまね!」
「ううん、大丈夫。分かってるよ。爆豪、横暴だもんね」
「それな!」
二人で笑いながら、また空を上っていく。山のてっぺんまではあと少しだった。




「ここ…爆豪の家?」
「おう。俺とのシェアハウスな!とりあえず、ドア叩いてみなって。出てこなかったら俺が引きずり出してやっから!」
そうは言われても、やはり足はすくんだ。ここまで来て…いや、来てしまったからこそ怖くなった。この扉の向こうに爆豪がいるとして、あんな別れ方からどんな挨拶をしたらいいのか。不安になって振り返ってみても、切島さんは拳を突き出すだけで助けてはくれなさそうである。
恐る恐る重厚なドアノッカーを持ち上げて、二回叩く。一秒、二秒…しばらく待つ。返事はない。もしかしたら寝ているのかもしれない。
「あの、爆豪、いる?」
一応、ドアに向かって声をかけてみる。すると何やら中が騒がしくなった。ドタバタとドアの方へ向かってくるすごい音に、思わず後ずさる。その反応は正しかった。
バン!と勢いよく扉が開いて、中から爆豪が飛び出してきた。下がっていかなったら確実にドアをぶつけられていただろう。危なかった。
「てめっ、ンでこんなとこに!」
「き、切島さんに連れて来てもらったの。帰るっていうから、背中に乗せてもらって…」
「クソ髪あの野郎!」
その呼び方、切島さんのことだろうか。再び振り返ってみると、さっきまでそこに居たはずの切島は忽然と姿を消していた。そんな、何かあった時に助けてもらおうと思ってたのに!
そう、明後日の方向に向いていたから、爆豪に首根っこを捕まれて家の中に引きずり込まれたことに対処できなかった。
「うわっ!」
ドアの中まではなんとか踏ん張ったが、バランスを崩して床に倒れてしまった。そんな私を余所に、きっちりドアを閉めた爆豪はさっさと家の奥へと行ってしまった。置き去りに舌打ちまでして。
優しい対応は期待していなかったものの、今までより距離のあるような対応に一人落ち込む。目が合わない。私がいないものみたいな対応だ。
ゆっくりと立ち上がって周りを見渡した。入り口に近いここは薄暗く、骨や角のオブジェが壁や天井から吊るされている。正面には独特な模様のカーテンが間仕切りがわりに使われていて、その向こうは見えない。物珍しさと初めて踏み入ったという緊張で立ち尽くしていると、奥から爆豪がけたたましく急かしてくる。
「おい、はよ来いや!」
「お、お邪魔します…」
恐る恐るカーテンをくぐると、私の家のより一回り大きなリビングがあった。天窓からの陽により、入り口より明るい。重厚なウッドテーブルの傍に毛皮のかかったソファがあり、爆豪はそこに座っていた。
「要件は」
「え、」
「わざわざ山登ってここまで来た要件」
爆豪はやはり私の方を見ていなかった。部屋の奥にある、寝床であろう場所に目を向けている。上に積まれた革袋は旅立ちの荷物だろうか。それを見て、言いようのない不安と苛立ちが湧いてきた。
「だって、もう来ないって言うから。私、あんな別れ方したくなかった」
「フン。んで、改めて別れに来たってか?ご苦労なこって」
「誰も別れたいなんて言ってない」
突き放すような爆豪の言葉を遮るように出た声は、自分でも驚くくらい硬いものだった。さっきまでこっちを見る素ぶりすらなかった彼も、驚いたように私を見ていた。不安で、苦しくて、情けなくて、どうしたらいいのかわからなくて。泣きそうだった。
それでも爆豪は続ける。低い声で、私を責めるように。
「テメェが言ったんだろが。俺に寝床使うなってよ」
「き、聞いたんだもん。マーキングだって。そんなの、されてたなんて知らなかったから、」
「だから嫌だったんだろ」
「そうじゃない。そうじゃないよ…」
弱る声は私の心そのものだ。上手く話せる自信がない。冷静でいなければちゃんと説明できないのに、叫びたくて仕方がなかった。爆豪が好きだから。彼に分かって欲しいから。今を逃したらきっと、一生後悔する。
それでも何にも言葉が出なくて、ぽつりと手の甲に温かいものが落ちた。ああ、だめだ。彼にみっともないところを見せるな。泣くな、泣くな、泣くな。
「…っ、泣くほど嫌だったんかよ」
「嫌じゃ無いって言ってるでしょ!馬鹿!!!」
ついに崩壊してしまった。爆豪が何にも私の話を聞いてくれないから。私の気持ちを否定するようなことばかり言うから。突然叫び出した私に爆豪がびくりと身体を震わせようが、私の顔が涙でぐしゃぐしゃになろうが、隣の家まで聞こえそうな大声だとか、もう知るものか。これで最後なら、みっともなくたっていい。
「私は、爆豪と飛びたくて小間使いになったんだよ。だから、爆豪以外の背で狩りをする気はない。あなたが一番初めに会った竜だから。初めて会った時、河原にいた爆豪を見て、綺麗だなって手を伸ばした時から、ずーっと、一番好きな竜だから。
だから、爆豪がマーキングしてるんだって聞いてから、嬉しいのと恥ずかしいのでいっぱいになって、あと、何にも言わない爆豪にちょっと腹が立ったとこもあって、寝床使うのやめてって言ったの。嫌だったわけじゃ、ないよ。ちゃんと、聞いてよ」
まくし立てるように色々纏めてぶつけた。私の気持ちは私だけのものだけれど、彼が誤解したままなのは許せなかった。
溜まっていた不満をぶちまけた私はようやくいくらかすっきりして、一呼吸ごとに冷静になり始めた。下を向けば、手の甲は涙でふやけるくらいに濡れていた。溢れるだけ溢れた涙を拭い、前を向く。
爆豪は俯き加減で、しかし前髪の隙間から彼の目がちゃんと私を見ている。
「…嫌じゃねぇんか」
「嫌じゃない。もうほんと、怒るよ」
「ンとに、嫌じゃねぇんだな」
「だからそう言って、」
がたん、と音がした。彼がソファから腰を浮かせ、次の瞬間には引き寄せられるように抱きしめられて。お互い心音が聞こえるくらい、ぴったりと合わさった。ぎゅうぎゅうと力を込めて、ない隙間をより埋めるように引っ付いて。
これは、分かってくれたのだろうか。それならいい。正解は分からないけれど、間違いでなければ好意的な方のハグだろう。いきなりでびっくりしたけれど。しかしまぁ、ちょっと苦しいな。竜族は力が強いから、少し加減をして欲しい。
「ばくご、」
「なら、俺と、番ンなれや」
耳元で、静かな声で、その宣言はなされた。




「…いや、いきなりすぎる」
「ア゛ァ!?」
ハグが解かれて、テーブルを挟んで向き合って。一件落着と思いきや、改めて今の宣言について問いたださなければならなくなった。今日来たのは仲直りのつもりだけだったのに、どうしたら、その、番なんて。
その宣言の張本人といえば、またぷいと視線を背けて不機嫌に逆戻りだ。
「嫌じゃねぇっつったろうが」
「それは寝床に関してのことで、今回のは初耳だよ」
「じゃあ嫌なんかよ」
「もう、そればっかり。あのねぇ、最初から話してくれれば、私だってちゃんと聞くよ。今の爆豪は何をしたいの」
薄っすらと。ほんと薄っすらと分かってはいる。分かってはいるのだが、私の浮かれた気持ちの勘違いではないという証拠が欲しいわけで。
爆豪はまた意固地になって目を合わせないようにしている。これはまた、仲違いなのかな。せっかく仲直りできそうだったのに。
項垂れ始めた私のつむじに向けて、爆豪がボソボソと呟く。
「どうでもいい奴に、俺のモンだって匂いつけたりしねぇわ。鱗も花も、テメェにしかやってねぇ。何が不満なんだよ、クソ、」
そう悔しそうに彼が言うから、私の心はグラグラと揺れてしまうんだ。
これは、もういいんじゃないか。彼を信じてもいいんじゃないか。彼の背に乗るときだって同じだ。爆豪を信じているから、私はその背に乗って不安を感じることなんてないじゃないか。
「爆豪」
「ンだよ、」
「あの、その…番ってのは、伴侶とか、そういう意味で合ってる?」
「他に意味がなきゃそうだわ」
「…そっか」
いつからそんなこと思ってくれてたんだろう。爆豪と出会ってから、本当にびっくりすることばかりだし、これからもきっとそう。それでも、暗い闇底に落ちそうな私を何でもないように掬い上げてくれるのは、いつだってこの人なんだと思う。
そんな彼の要求に、今更応えられない道理はない。
「じゃあ、えっと、いいよ。…よ、よろしくお願いしゃます」
「ン」
肝心なところで噛んだ。でも、そんなの気にならないくらい、顔が熱い。
対面の爆豪も、何かを堪えるように静かに…あれ、待って。なんか顔に鱗が見えてる。爪も心なしか伸びてて。え、爆豪、竜になりかけて…?
「あの、鱗、見えてるけど、大丈夫…?」
「…っ、浮かれすぎだわ、クソが!」
ソファが倒れるかと思うくらい勢いよく立ち上がった爆豪は、ブーツの靴音を鳴らしながら外に出て行ってしまった。
いや待って、浮かれてるって言ったの、今。人間の姿を保てないほど動揺している?あの爆豪が?その事実に気づいてしまえば、顔はより一層熱を持った。
家の外から天にまで届くような竜の咆哮が響いたのは、すぐ後のことだった。




それからが大変だった。家に戻ってきた爆豪は、私を連れてこの土地を出ると言うのだ。最初からそのつもりだった、とも。勿論、そんなこと一度も聞いたことがない。トドメに、出発は翌日だと言うではないか。流石の私も彼の頬をビンタしてしまったのは仕方がないと思う。向こうも私が手を出すとは思っていなかったのか、モロに食らっていた。くっきりとついた手形が痛々しい。
「ほんと、そういうのは最初に言ってよね。皆にも言っとかなきゃいけないし、家だって空けることになるじゃない。しばらく食料買い込んでたのに」
「てめぇが変な癇癪起こさなきゃ言っとったわ」
出発すると言う当日の朝。まだ日も昇らないうちに、何とか大体の準備を終えた。
頑固な彼のこと、日程は変えないつもりだろう。母親にも友人にも大急ぎで挨拶回りを済ませて、買い込んだ食材は保存がきくように包んで荷物に積んだ。運ぶのは爆豪だが、これくらいは頑張ってもらうしかない。
「準備は済んだかよ」
「うん。多分、大丈夫」
「ンじゃ乗れ」
爆豪が赤く大きな竜に姿を変えた。いつ見ても綺麗な竜だ。前脚に足を掛け、鞍にまたがる。ゴーグルもちゃんと持ってきた。
日の昇る前の世界は、しんとした薄闇の中。お互いだけしか居ないみたいだ。
「爆豪、今日はどこまで飛ぶの?」
「テメェが音を上げるまで」
「…嘘、本気?」
「ハ、精々気張れや」
爆豪の声がなんだか楽しそうで、私も嬉しくなってしまった。
翼が大きく羽ばたき、巨体が浮き上がる。その浮遊感が好きだ。振り落とされないように腹に力を入れ、身を屈める。掴む手綱が離れないように握り直した。
「飛ばすぞ、捕まっとけ」
いつもより大きな荷物を抱えて、けれど、そんなもの関係ないとでも言うように、赤い竜は揚々と飛び上がった。
これから未知の世界へ行くというのに、不安なんて全然感じない。それもこれも、きっと爆豪と一緒だからだ。ずっとずっと、彼の背で飛び続けたいと思った。それこそ、世界の果てまでも。

(2021/5/3) <PREV▼ TOP|END.