ガーネットの献身

 5 |信頼の証

一週間のベッド生活を経て、私はようやく復活した。その間、薬や食べ物を届けてくれたのは緑谷だった。どうやら私が落ちたことに負い目があるらしく、私の不注意だしいいよと言っても頑として聞き入れず、毎日せっせと様子を見に来てくれた。その甲斐甲斐しさに、申し訳なさは増すばかりだった。
それから、爆豪だ。緑谷の持って来た薬の材料を取ってきたのは爆豪だと言うのだ。普段人が立ち入らないような険しい所や、なかなか手に入らない物、そういうものでも緑谷が傷に効くと言えばすぐに取って来たという。一晩で行ける距離じゃないような絶海の孤島にも、寒いのが苦手なはずなのに、息も凍るという雪山にも。にわかには信じがたい話である。
その爆豪とは、寝ている間あまり顔を合わせることはなかった。助けてくれたお礼を言いたかったのに、当の彼は今どこにいるのかわからないような状態だった。目当ての物を持って帰って来ても、緑谷に渡すだけ渡して、私に会うことなくまたどこかへ行ってしまう。自由な彼らしいとは思ったが、一度会いたいと思ってしまうと思いは募るばかりで、けれど引き止めることも出来なかった。




家の外に出て伸びをする。擦り傷や痣こそそのままだったけれど、じっとしていられないくらいには元気になった。途中だった皮や骨の処理だってある。寝ていた分のツケを取り戻さなければ。
快晴の空には竜の姿がちらほらとあった。いいなぁ。すいすいと泳ぐように飛ぶ竜を見ていると、私も飛びたくなってくる。
爆豪、来てくれないかな。随分とお世話になったお礼もしたいし。でもまぁ、しばらくは乗せてくれないかもなぁ。あんなとこで落ちる奴を乗せられっかよ、…なんて言われたりして。うう…予想より心的ダメージが強い。
ネガティブな思考を振り切るように、軒先に置いてある鞍を手に取った。しばらく乗せてもらってないから、この鞍の出番がない。爆豪の赤い鱗に映えるような、鮮やかな山吹色の生地に細かな刺繍がされた鞍は、私の大事な相棒だ。竜の小間使いになることを、母親は止めることもなく、更にはこんな素敵な刺繍をプレゼントしてくれた。止めても聞かないものね、あなたは。とも言っていたけれど。
ともかく今は動きたくてたまらない。いつ爆豪が来てもいいように、メンテナンスもしておかなきゃ。作業小屋に入り、ランプに火を入れる。独特の匂いがあるこの空間に入ると、いつでも気合が入る。




「やっと起きやがったな、ポンコツ」
時間を忘れ夢中になって作業していると、後ろから声が掛かった。聞き慣れた声に振り向けば、会いたいと思っていた爆豪が仁王立ちでそこにいる。敷居に足を掛け、いつものように眉間に皺を寄せている彼を見て、胸の内が熱くなるのを感じる。ずっとベッドの中だったから会うのも久しぶりだし、彼の目を見るのは奈落へ落ちていくあの時以来だ。
さぁ、何と言ったらいいものか。こういう時、己のボキャブラリーの無さに打ちのめされる。
「ひ、久しぶり」
「起きとっていいんか」
「うん。もう全然、大丈夫」
爆豪はなかなか敷居から踏み込んで来ない。いつもなら無断で入ってきて、好き勝手にしているところなのに。いつもがそれだったから、私の方が焦れったくなって立ち上がり、歩み寄った。
「それ、壊れてたんかよ」
「ううん。何かしてないと落ち着かなくて」
「フーン。ご苦労なこって」
それだけ言うと、彼は興味なさそうにそっぽを向いてしまった。話してみればいつもの爆豪で安心する。急いでいる様子もなかったので、私はその横顔にまた声をかける。
「…ねぇ、爆豪、暇?」
「ア?」
「飛びたいの。いや、あの…狩りに出るとかじゃなくてね。ほんとに、飛びたいだけなんだけど…乗せてくれる?」
彼の目がまあるく見開かれて、少し笑ってしまった。あんなことがあったのに、頭イカれてんのか、とのお言葉も頂いた。
イカれてるかも。私はそう答えた。
人間は空を飛べない。竜の小間使いだってそう。でも、私には爆豪がいるから。彼はなんだかんだ言っても助けてくれる。そういう確信があった。彼の親切心に、生かされている。
私はそこに全力で寄りかかってみることにしたのだ。訝しみ目を細めた爆豪は、私を不可解な生き物だと思っているのだろう。
「落ちやがったら今度は助けねぇぞ」
「うん、いいよ」
私の揺るぎない返事に、すかさず舌打ちが返ってくる。1分で支度しろ、なんて無茶な要求も。
でも、そんなこと些細なものだ。爆豪と飛べるんだ。そう思えば、他のことは何だって良くなってしまう。浮かれて鼻歌だって出るよ。そんな私の後ろで、心底呆れた顔の爆豪が「やっぱどっか頭打ったんじゃねぇか」なんて言ってても。




竜の姿の時の爆豪は、いつ見ても綺麗だ。だから、鞍をかけるのは何度やっても緊張する。首と胴にベルトを巻いて固定して、本人にも苦しくないか聞いてみたり。神経質になる私をよそに、爆豪ははよ乗れと急かしてくる。
「そういえば、行き先決めてないんだけど、お任せしてもいい?」
「ンだよ。てめぇが乗りてぇっつったんだろが」
「うん。爆豪と飛びたかっただけだから」
「チッ…しゃあねぇ。行くぞ」
大きな翼を目一杯広げて、竜の巨体は空へと舞い上がる。力強く羽ばたけば、地上は直ぐに遠くなった。手綱を手に巻きつけるように強く握る。これ以上、爆豪に失望されないように。
思案するように街の上を旋回していた爆豪は、やがて南の方へ進路をとった。川を越え、山を越え、森を抜けて。狩りばかりだった私にとって、そこはもう未知の世界だった。眼下に広がる森は、街の近くのものとは様子が違って見えた。木の形も、緑の濃さも。
「まだ、こっからだ」
私が物珍しく辺りを眺めていたことに気付いていたようで、しかし彼の目的地はここではないらしい。またぐんと速度を上げながら大きく羽ばたき、それから軽く二つ山を越えた。
爆豪の背に乗る時、本当に自由だと思う。どれだけ高い山でも、谷でも、彼には何も関係ない。ただひとっ飛びするだけだ。なんとも羨ましいことではあるが、こればかりはどう願おうとも叶うものではない。私は人で、彼が竜族だから。ただ、それだけ。
「おい、前見ろ」
彼の背に落としていた視線を上げる。私は広がる世界に、その眩しさに目を細めた。
「わ、」
「ここが海だ。ずっとずっと向こうまでな」
「果てが…見えない」
私にとっては本の中でしか見たことのなかった『海』が果てしなく広がっていた。住んでいる街のあるところは山で囲まれているし、地図で見ればずっと内陸にある。だから、旅でもしない限りはお目にかかることなど出来ない場所だった。
「…すごい」
「は、気に入ったかよ」
「うん。うん、」
きらきらと輝く水面が、途切れることのない波音が、私の心を満たしていく。初めて見るこの景色もそうだけれど、ここに連れてきてくれたのが爆豪だということも、気分を高ぶらせた。一緒に飛ぶだけでいいと思っていたのに、私に知らない世界を見せてくれた。彼はこの景色を何度も見ているのだろうか。
するすると滑空して岸壁に着く。落ち着く場所に伏せると、爆豪は海の向こうを見ながら言った。
「もっと向こうには、また違う世界がある。街も、村も、数えきれないくらいにな」
「…途方も無い話だね」
「けど、行けねぇわけじゃねぇ。…俺は、」
彼はそこまでで口を噤んでしまった。緋色の目は海の向こうをじっと見つめて動かない。出会ってから初めて、彼がどこか遠くにいるような気持ちになって、手を伸ばして直接彼に触れた。固い鱗の上からも、その体温を確かに感じられた。大丈夫、爆豪はここにいる。
結局、彼は何も語ることは無く。言いたかったことはわからないまま、私は広がる世界にただただ圧倒されて、ぼうっと波間を眺めていた。




「ケロ。元気になったのね、良かったわ。緑谷ちゃんに聞いた時は心配したのよ」
「あはは、ごめん」
久しぶりに梅雨ちゃんの喫茶店に顔を出すと、彼女は快く迎え入れてくれた。カウンター席に座り、いつもの紅茶をオーダーする。このお店は彼女と同じで、静かで優しい感じが好評なのだ。
しばらく顔を出せなかったことで積もる話もある。何より、彼女は話しやすいのがありがたい。どんな話題でも頷き、的確に言葉を返してくれる。たまに容赦のないこともあるけれど。
待つ間、何気なく彼女の耳に輝くものが目に入った。職業柄よく見るもので、だから目を引かれたのかもしれない。
「梅雨ちゃん。それ、竜の鱗?」
「そうよ。竜族のお友達にもらったの」
彼女の耳元で揺れる薄金色の鱗のピアスはとても綺麗だ。とても嬉しそうに話す梅雨ちゃんにつられて、私もなんだか嬉しくなる。
淹れたての紅茶頂きながら、もっと聞いてもいい?と問えば、彼女は快く肯定し頷いた。カウンターの向こうで背の高い椅子に座り、静かに話が始まった。
「私の友達は、お店によく来てくれたわ。窓際の席で、いつも一人でいたの。静かに本を読んだり、書き物をしたり。私も邪魔をしてはいけないような気がして、声をかけなかったの。けれど、ある日目が合ったのよ。後になって聞いてみたら、私とお話をするきっかけが分からなかった、って。ふふ、私もお話ししたかったよって言ったら、すごく喜んでくれたわ」
「あ、もしかして羽生子ちゃん?」
「そう。昨日も来てくれたのよ」
「そっか。私も久しぶりに会いたかったなぁ」
梅雨ちゃんの友達とは以前に会ったことがある。二人が話しているところへ、私も混ぜてもらったのだ。羽生子ちゃんも梅雨ちゃんのことを一番の友達だと言い、何があっても信頼できる人、とも言っていた。照れるように梅雨ちゃんが笑ったのを覚えている。
「竜族が人に鱗を渡すのは、その人を信頼しているという証なの。硬い鱗を剥がしてでも、あなたに心を見せるという意味らしいわ」
「…それって、竜族の風習みたいなもの?」
「そうね、昔からあるみたいよ。竜族以外にも渡すようになったのは、最近のようだけれど」
服の下、首にかけたままの赤い鱗に触れる。無性にこれが気になってしまった。爆豪は何も言ってくれないけれど、もしその風習の通りなら、彼は私を友達だと思ってくれているということなのだろうか。
「あの、私も…竜族の人に鱗貰うんだけど、その人は…いつも何にも言ってくれないし。やる、って押し付けるみたいに置いてくし、最近は赤い宝石みたいなのまで寄越してきて…」
「それって爆豪ちゃんのことよね?」
「う、はい…」
言い淀む私とは対照的に、彼女は的確に言い当ててくる。やっぱり、梅雨ちゃんには一切の隠し事ができない。
「爆豪ちゃんはきっと、あなたを大事にしてるのよ。鱗を渡すのは本当に信用のおける人でないといけないらしいから」
「信用、」
「心臓を渡してもいい。それくらいの『信用』らしいわ」
「し、心臓を、」
「それから、鱗に綺麗な装飾を施してあれば誠実の意味。繰り返し渡されるのは、その重みの表れ。鱗を研いで宝石のようにしたものを渡すのは、親愛以上」
矢継ぎ早の情報に思わず固まってしまう。えっ、えっ?いや、だって…その通りだとすれば、爆豪の私に対する思いって友達とかフランクな感じを超えてるってこと…?いやいや、あの爆豪に限ってそんな。そんなこと。え、そんなことあるの…?
何度も何度も、会うたびに彼は鱗を置いていった。綺麗な装飾が施されたそれが、いつのまにかまあるい宝石に変わって。彼はどんな気持ちで私に会いに来ていたんだろう。どんな気持ちで、私に鱗をくれたのだろう。信頼の証だなんて、そんな大事な理由を一言も言わないで。
察して、理解しなかった私が悪いのだろうか。竜に乗ることばかりで、竜族のことはまだ何も分からない。爆豪の気持ちだって、全然。
俯いていた顔を上げると、梅雨ちゃんがいつものようににっこりと笑っていた。
「爆豪ちゃんが言わないのも、何か理由があるのかもしれないわ。私が言ってしまったことは内緒にしてね」
「うん、言わないよ」
彼が言わない理由。まだ、私はちゃんと認められていないのかもしれない。竜の小間使いとして一人前になれば、いつか話してくれるかもしれない。それまで爆豪に見捨てられないようにがんばらないと。
紅茶を飲み切り、梅雨ちゃんにお礼を言って席を立とうとすると、思い出したように彼女が呟いた。
「もう一つ、竜族の風習を教えてあげるわ。もしかして、爆豪ちゃんに寝床を奪われていないかしら」
「え…、あれも何か意味があるの?」
「気に入った相手に、同じ匂いをつけるためのマーキングよ」
悪戯っぽく笑った梅雨ちゃんを前に、私の口は言葉を紡ぐことなど忘れぽかんと開かれたまま。それからしばらくはまともに思考が働かなかった。

(2021/3/20) <PREV▼ TOPNEXT >