「友達」の定義を問う

 10 |雄英3年・爆豪君と山岳ヒーロー活動

お互いに忙しく時間が合わない中、久しぶりに戦闘訓練をして見事に私が惨敗した後のこと。いつものように床でへばっている私を見下ろす赤い目が話しかけてきた。
「オイ」
「なに?」
「ヒーローの山岳救援活動の申し込み、あったろうが。あれ提出しろ」
とりあえずそのブーツで足蹴にしながら言ってくるのはやめてほしいなぁ。ちゃんと聞いてますよ。
身を起こして今朝のことを振り返る。朝のホームルームで先生から渡されたのはヒーローについて場所を指定して救援救助を学ぶ活動、いわばボランティアの申込書だ。海難・高層ビル・火災現場など、実地を交えて行うもので、ヒーローを志す者としては大変ありがたい経験である。参加は自由とのことだったが、活動は土日、つまり休日に行われるとのことで、学生時代を謳歌したい者にとっては悩ましいところであった。
その中で爆豪くんが言っているのは山岳での救援活動なのだが、こう言ってくるということは、つまり?
「えっと、相澤先生が言ってたやつだよね?…私と爆豪くんで行くの?」
「たりめーだわ。寝ぼけてンじゃねーぞ」
容赦なく頭を叩かれる。何かと私の頭をどついてくるのは、もうそういうパターンが組まれているとしか思えない。私の頭、叩きやすい所にあるんだろうか。いつぞやの文化祭のドラム担当だった爆豪くんは確かにカッコよかったけどさ。あれ、もしかして私、打楽器だと思われてる?そんな馬鹿な…。
しかし、私と爆豪くんが一緒に申し込むのが当たり前と言い切られてしまって心がムズムズして落ち着かない。なんだかこのところ心を許してくれている気がするのは気のせいじゃない、はず。博多のインターンの時は他所へ行けとか高らかに言ってたのに、なんでだろう。
「でも私、山登りとか初心者なんですけど」
「だから行くんだろが」
そういうものですか。いつだったか、上鳴に聞いた爆豪くんの趣味が山登りという情報を思い出す。はぁ、とどのつまりヒーロー活動と山登り、二つの欲求を満たす場所に私を道連れにしようとしているのか。若干楽しそうなのも、そのせいか。
でも楽しそうな爆豪くんを見るのはまんざらでもないので、私には行く以外の選択肢はないのである。



職員室はどんな理由で来ても落ち着かない。相澤先生が私の申請書に目を通している間、周りのデスクを見たり、窓の外を見たり。
初夏の屋外は夕方でも明るい。A組のメンバーで花火をやろうと言ってたのはどうなったんだっけ。みんな三年になってからはクラスの全員が揃うことも少なくなった。インターンに職場見学、請われれば近隣事務所からの応援要請にも出られるようになったから、一年の頃の騒がしい共有スペースが懐かしくなってしまう。
相澤先生が申請書を見終えた気配がして視線を戻す。受理する、と短く言われてほっと息をついた。
「お前と爆豪は何かとセットなんだな」
「うーん…今回は私もびっくりしてます。というか、あっさり許可くれるんですね」
「お前らはまぁ、テストの点数も悪くはないしな。赤点の奴らはまた補習だ」
「上鳴、勉強しないですもんね」
「よく分かってるじゃないか。だが、今回の最下位はあいつじゃない」
「えっ、嘘!?」
「少しは自覚が出たってことだ。おまえも気を抜くなよ」
切らない前髪の隙間からの眼光に気圧される。以前の私がったら咄嗟に目を逸らしていただろう。
「おまえがちゃんとヒーローになれるのか、一年の頃は疑問に思ったが…」
「な、なる!なります!」
「安心しろ、今はちゃんと送り出してやる気でいる。
山は突発的な事故が多い。油断するなよ。ヒーローであることを自覚しろ…というのは今更だな」
「…今更ですね」
しっかりやってこい。短い先生の言葉に強く背を押された。




午前4時。真っ暗な共有スペースはしんと静まり返り、いつもの騒がしさが幻に思えるほど。既に玄関で待っていた爆豪くんが鼻を鳴らして先に出ていく。その声は聞こえなくても、ついてこいと言われた気がした。扉の向こう、雨の跡、夏の夜はじめじめして蒸し暑い。
まだ日も昇っていない時間なので、街灯の灯りを踏みながら、キャリーケースを転がしてバス停へ向かった。バス停から登山口への直通便があるらしいのだ。
らしい、というのは、こういうところは完全に爆豪くんに任せきりになってしまっているためである。[申し込みしたけどどうしたらいい?]とメッセージを送れば、[山の道具はレンタル、あとは俺についてこい]としか送られてこなかった。さすがに説明不足すぎて不安になったので自分なりにネットで調べて必要そうなものは揃えてきたが、インターンのようにホテルや宿泊施設が万全ではないようなのがやや不安である。
バス停に着く頃には空は明るくなり始めていた。私はベンチに、爆豪くんは自分のキャリーに座ってバスを待つ。早朝だからか、他に人は居なかった。
「ねぇ、もしかして爆豪くんが早寝早起きなのって、山登りが好きだから?」
「………テメェ、なんで俺の趣味知ってやがる」
スマホの画面に照らされていた目がこちらに向いた。あ、そうだ、これ上鳴に聞いたんだった。慌ててそう正直に告白すれば、やっぱストーカーじゃねぇかとジト目で言われた。その通りですけど。
爆豪くんは面白くなさそうな顔でまたスマホを弄っていたが、やがて思い出したように呟いた。
「アホ面とよくつるむんかよ」
「つるむとか…普通だと思うよ。幼馴染だし。…雄英、電気に誘われて入ったんだよね。あれ、ずっとウェイウェイでしょ?だから雄英って楽しいところだと思ってたんだよね…」
「クソみてぇなことバラすんじゃねえよ。雄英も舐められたモンだな」
「だから一年の時に相澤先生に言われたよ。そのままなら除籍にするところだったって」
「ハッ、ダッセェ」
「…だからね、今ちょっと不思議な感じ」
そうせせら笑ってる爆豪くんだって、一年の時は結構問題行動起こしてたと思うんだよなぁ。私も爆豪くんも、よく除籍にならなかったよね、と同意を求めてみたが、テメェと一緒にすんなと一蹴されてしまった。
そんなことをだらだらと駄弁っている間に早朝のバスがやってくる。私たち以外に乗客のいないバスは緩やかに走り出した。一番後ろの席に爆豪くん、その前の席に私。椅子にどかっと座り両腕を組んでひと眠りしようとしている爆豪くんに「どのくらいかかる?」と聞けば、目を開けることなく「一時間」と返ってきたので、早起き分を取り戻すべく私も爆睡するのであった。




「おい、着いたぞ」
「んあ?」
肘で小突かれて目を覚ます。終点のアナウンスが響く車内は寝入る前より随分賑やかになっていた。黒いキャリーを引く爆豪くんに続いてバスを降りる。日は既に上の方にあって、目を開けるのが眩しかった。
そこは登山口の一つのようで、いかにもな感じのツアー客で賑わっている。辺りを見渡すと、既に金色のたてがみは遥か向こうを歩いていて慌ててそれを追った。

離れたところにある事務所で待っていたのは男女のプロヒーローペア。二人とも山岳ガイドを兼ねているらしく、ヒーローというよりは登山家の装いだった。男性のヒーローの方が登山客を案内している間、女性の方が声をかけてきた。
「君たちが雄英から来た子ね。よろしく」
「よろしくお願いします!」
「君たちにはわたしたちのサポートをしてもらうわ。登山道の安全確認と、事故が起きた時の救急手当なんかね。男の子の方は登山経験者って聞いたけど、あなたは?」
「私は初心者なんですけど、」
「こいつの面倒は俺が見る」
隣で黙っていた爆豪くんが私を指して名乗り出る。まさかアシストしてもらえると思っていなかった私は、まじまじと隣の仏頂面を見てしまった。しっかり睨まれたけど。
「そう?じゃあ大丈夫かな。…キミ、ちゃんと挨拶しなよね」
「…っす」
挨拶を指摘されて面倒くさそうに小さく頭を下げた爆豪くんがなんだか可笑しくて、ふふっと笑ってしまった。いつも年上に何を言われても自分から折れたりしなかったのに、ちゃんと頭を下げることができるようになったんだなぁ。そんな上目線の視線を送っていたからか、隣から肘鉄が襲ってきたのは言うまでもない。




事務所にキャリーを預けてヒーロースーツに着替える。今回は戦闘用のパーツをできる限り外し、その代わりに山の道具である登山靴やレインウェアを用意した。特に重量には気を使った。必須道具に加えて軽い救命用の道具も一式となると、バックパックはもう一杯になってしまった。軽い子供くらいの重さはある。
「背負えるんかよ、それ。余計なモン持ってきてねーだろうな」
「ないない、そんな余裕ないもん。板チョコレートとかお菓子はちょっと入ってるけど…。道中食べやすいものならいいんだよね?」
「調べたんか」
「だって爆豪くん、教えてくれなかったじゃない」
出かける前の簡素なメッセージについて苦言を呈せば、聞いて来いや!とがなられた。聞いたら教えてくれたの?先に言ってよ。
そんな薄情な爆豪くんは自前であろう登山靴と、ヒーロースーツの上に蛍光オレンジのレインウェアを着込んでいる。何を着ててもカッコいいのは変わらないなぁ。私も事務所から借りたイエローのウェアを身につけて準備を進めた。時計を見ると針は11時を指している。
「そういえば、まだ出発しないんだね。スケジュールって以外とルーズなの?」
「山の空気の薄さに慣れンだよ。身体慣らしとかねーとここより上行った時に高山病になんだわ」
「へぇぇ」
「とりあえず、今日登るルート確認んすんぞ」
いそいそとテーブルに広げた地図には等高線と登山道、そして目印、過去落石や滑落事故があった場所が記されていた。覗き込んでみて、その詳細さに素直に感動する。
「すごい、こんなのあるんだ。分かりやすい!」
「俺が作った」
「えっ?!」
「あんだよ、文句あんのか」
ジロリと睨まれたので慌てて首を振った。いや文句っていうか…ガチじゃん。ガチ趣味じゃん。
爆豪くんの趣味への情熱を甘く見ていた。そうだよ、何より努力家の彼は何をするにも完璧を求めている。こんなものを自作するほどには。これ、趣味へのどっぷり具合は緑谷くんと大差なくない…?とは絶対に言わないでおこう。
訝しげにこちらを睨んでいた視線が地図へと落ちる。右端の旗を指して言った。
「今居ンのがここ。で、今日中にこの山小屋まで行く。夏山シーズンのルートはこの青い道だ」
「季節で道が変わるの?」
「夏は最短でもいいが、冬は道を間違えねーように目印が多い道を使う。あと休めるとこも多い」
「はー、なるほど」
「調べてきたんじゃねぇんかよ」
「持ち物くらいしか見きれなかったよ。…あと注意することは?」
山で起こるおおよそのアクシデントと対処法についても説明してくれた。やっぱり聞けばちゃんと教えてくれたのか。頭の良い爆豪くんは自分のことは感覚的にこなすから、教えるのは苦手だろうと思っていたけれどそうでもないらしい。
確認は終わりだと言わんばかりに地図をリュックに戻され、準備を再開する。背負ってベルトの具合を確かめている爆豪くんを見ながらふと思った。
山のことになってから殊更口数が増えた。というか、これ多分趣味人ならではの語りたがりが発生してるんじゃない?なんだか爆豪くんの新しい面を見てしまって嬉しいし、微笑ましいことこの上ない。思わず一瞬、頬が緩んでしまった。
「キメェな、何にやにやしてやがる」
その一瞬を爆豪くんに見られていたのは一生の不覚である。



事務所から出れば、雲もなく絶好の登山日和。プロヒーロー二人が点呼し、お昼過ぎに10人程のツアー客を伴って出発した。私と爆豪くんは最後尾から、安全管理と緊急時の対応を任されている。
舗装はされていないが人が通った跡でできた道を進む。青い空の下、火山性の岩、脇には見慣れない植物が点々としていた。私にとっては初めての光景で、物珍しくてきょろきょろとしてしまう。
「なんか、山ってあんまり見るものないんじゃないかって思ってたけど…綺麗だね」
「この辺はまだ高山植物があっからな。もっと上行きゃ岩しかねぇ」
「なるほど。勉強になります、先生」
「誰が先生だゴルァ!」
そんな会話をツアー客の人に見られて笑われ、和んだ雰囲気のまま山道を進む。
先頭を行くヒーロー達が岩陰に生えている植物の説明をしたり、火山岩の出来方なんかを教えていた。立派なツアーガイドのようで、でも本職はヒーロー。なんだか不思議な感じ。
ツアー客の後からついていくだけの私は、なんだか客サイドの気分になってしまっていて、爆豪くんにもあの花は?あっちに見える山は?など聞きまくった。意外にも、彼は律儀に答えてくれた。ちゃんと教えてくれるのが嬉しくて、また質問を投げる。その繰り返し。
そうして道中何事もなく、16時頃山小屋に到着した。




「お疲れ様。じゃあ、明日の出発までは自由にしてね」
「はい!」
「…っす」
中に入ると、想像していたより綺麗な山小屋に少しほっとしてしまった。サスペンスものに出てくる、農機具小屋みたいな外見の焚き火くらいしかない質素なものを想像していたのが恥ずかしい。新しく出来たばかりだという建物は床はフローリングだし、トイレも食堂もあった。流石に水は有限なのでシャワーはなかったけれど。
先輩ヒーローと別れ、さて何をしようかとバックパックを抱えていた私の頭を爆豪くんが小突いてくる。
「飯行くぞ」
「あ、食堂?」
「腹減っとんだわ、はよしろや」
「ま、待って今行く!」
今日一日、遠足のような気持ちでずっとハイだったから空腹を忘れていた。上着を脱いで少しだけ身軽になった爆豪くんの後について食堂へ向かう。既に幾人かの登山者がテーブルを囲んでいて、私たちも空いている席に着く。食べ物の匂いにつられて、脳が思い出したように空腹を伝えてきた。
本日のメニューはカレー、の文字がカウンター横のホワイトボードに掲げられていた。爆豪くんとカレー。二つを目の前にして、なんとなく彼の家の味を思い出した。一年の時、苦いアクシデントから生じたお泊りに付随するあの事象だ。
「何渋い顔しとんだ」
「や、爆豪くんの家で食べたカレー思い出してさ。あれ、市販のルーの辛さじゃなくない?」
「詳しくは知らねーが、ババアが好きな海外メーカーがあんだとよ」
「そうなんだ。…でも、辛かったけど美味しかったよ、カレー」
「……」
スプーンを咥えたまま、爆豪くんが押し黙る。なんだろう。山小屋のカレーは大衆的な辛さだから、やっぱり実家のカレーの方がいいのかな。なんて、じゃがいもを二つに割りながら思っていると。
「ババアに伝えといたる」
と、ひとこと。
「え、なんで?」
「ハァ?そういう意味で言ったんじゃねぇんかよ」
「そんな、今更すぎるからやめてよ!…恥ずかしい」
何なんだと燻られたけれど、それはこっちの台詞だよ。お母さんに対してあれだけ反抗的な態度をしている爆豪くんが、私の感想をわざわざ伝える意味がわからない。お礼だったら、あの後ちゃんと送ったし。
大口で早々に完食し暇を持て余した彼は、私が食べ終わるまで備え付けの雑誌を見ていて席を立つことはなかった。




明日はまた日が昇る前に出発するとのことで、早々に就寝に入ることになった。思ってみればここが一番の問題だった。
「…ここで寝るの?」
「ここしかねーわ」
上下二段、申し訳程度にカーテンで区切られた、押入れを思わせる構造。はっきり言って狭い。雑魚寝って聞いてたけどこんなに狭いの?というスペースに押し込められる。布団もそれほど数はなく、二人で一つ。つまり爆豪くんとのシェア。本気で???
布団を抱えたまま固まっていると、爆豪くんもスペースに入ってきた。バックパックを枕がわりにするために、ただでさえ狭い場所はもっと狭くなる。
「おい、もっと詰めろ」
「わ、わかったから押さないで」
壁と爆豪くんに挟まれて身動きができない。そりゃ面積的に場所を取る爆豪くんに譲歩したい気持ちはありますけども、容赦なく足蹴にしてくるものだからこっちはもう壁に張り付いてるんですよ…!
「明日、0時起き。寝過ごしたら殺す」
「がんばるけど寝坊したら起こしてね…」
「死ぬ気で起きろや」
ぱちりと明かりは落とされ、否が応でも寝入るしかなくなった。というか近い。顔、目の前なんですけど。心臓の音が聞こえてしまわないか、鼻息がかかってしまわないか、手が汗ばんでいることに気づかれないか。考え始めたらキリがないくらいに頭は爆豪くんのことでいっぱいになった。だって仕方がないじゃない、今までで一番近くに居るんだよ。…いや、猫の時もあった。

これ以上は、きっとない。そう思ったら不意に視界がぼやけた。思わず目を瞑ると温かい雫が頬を伝う。 私はまだ弱い。全然弱いまま。卒業しても爆豪くんを追えるように強くなりたい。そう決めてはいるけれど、不安はまだいっぱいあるし、消えることもない。だって爆豪くんと私との間に何の名称もないからだ。一年の頃から何もかもが変わった今なら、友達と答えてくれるだろうか。一方で、友達止まりと落胆するのが嫌な自分がいる。浅ましいことこの上ない。だから聞けない。
再び目を開ければ、暗闇の中に爆豪くんの寝顔が見えた。目を閉じているだけでこんなに威圧感はなくなるんだな、と改めて思う。さっきまで私を足蹴にしてた癖にもう寝てしまったの。こういう切り替えの早さには感心するやら呆れるやら。
とにかく明日もしっかりしなければ、と再び目を閉じる。私が寝入るその瞬間まで、赤い目がこちらを見ていたことなど気付くはずもなかった。




日付が変わる前に意識が浮上した。暗闇にぼんやり映る輪郭を認識して、途端に目が覚める。端整な寝顔を見るのはこれで何度目になるんだろう。もうちょっと明るいところで見たかったな。などと考えているうちに、むいっと眉間に皺が寄る。ゆっくりと目が開いて、見慣れた赤が焦点をあわせる。他の人に聞こえないよう、囁くように「おはよ」と言った。
「…はよ」
出来るだけ静かに寝床を抜け出し、出発の支度をする。それから今日のコースの確認。ルートには山小屋がいくつかあるけれど、順調に登れば日が昇る前に頂上に行けるらしい。
「日の出かぁ、見てみたいな」
「…運が良かったらな。山の天気次第だわ」
「そっか」
「あとはテメェがドジんなきゃな」
「…善処します」
世界に日が当たる瞬間、その光景を2人で見れたら一生の思い出になる。自然に心が踊った。




深夜。暗がりの中、ライトを頼りに山小屋を出た。明るい時でも注意しなければいけない足元は、暗闇では尚更気をつかう。前を行く人との距離も確かめながら歩みを進めた。
闇の中でもちゃんと見える、オレンジ色のレインウェア。それが確かにそこに居るとわかるだけで、私は力強く地を踏める。
薄く明るくなってきた頃、頂上まではあと少しのところに差し掛かる。大きな岩があちらこちらに点在しているそこは、確か爆豪くんの地図に描かれていた要注意スポットだ。周りを見ればどの岩も恐ろしく見えてくる。
落石は重量と速さで拳大の石でも弾丸と同じ殺傷能力になる。爆破では加減が出来ない、出来るならお前の個性で崩せ。目の前を行く爆豪くんが出発前にそう言った。何事もなければいい、そう思っていた。

不意に、暗闇に慣れた目が動くものを捉える。からからと登山道を落ちる小石を見た瞬間に顔を上げた。地面が滑り落ちてくるような恐怖が襲う。崩壊の音とともに、人間の背丈ほどもある真っ黒な岩が道に向かって転がり落ちてくるところだった。何より先に動いた爆豪くんが数人の腕を引き退避させる。
「止まって!!」
声の限り叫んだが、岩の落下するルートに女性が一人足を踏み入れていた。咄嗟に手は動いた。なるべく早く、しかし二次災害を増やさないように冷静に、岩を砕くイメージで。
岩が女性にぶつかる手前、私の個性によってバラバラに散った。小さな石の粒ほどに砕けて辺りに降り注ぐ。取りこぼしが無いことを確認し、次いで女性の安全確保のために走り出した時。
それで終わりではなかった。びっくりした女性はそのままフラフラと足をふらつかせ、登山道を踏み外してしまったのだ。道の外は急な傾斜、伸ばした手は追いつかない。目一杯伸ばした指が空を切る。ぶわっ、と脳が最悪を想像してしまう。
「ッオラァ!!」
その咆哮は私の心をもすくい上げる。私では届かなかった距離に爆豪くんの手が届き、力強い腕が確かに繋がった。女性を腕の力だけで引き上げると道端の石の上に座らせる。女性はまだ若干パニックになっているようで細かく震えていた。なるべくゆっくり、目を合わせるように話しかけた。
「もう大丈夫です。痛いところはありますか」
「っ、すみません、少し、足が…」
失礼します、と登山靴に手を添え少し動かすと女性は顔をしかめる。捻挫か骨折か、どちらにしてもこの先歩くのは無理だと判断した。
先頭を進んでいたヒーロー達も駆け寄ってくる。私と爆豪くんが状況を説明すると、ヒーロー達は二手に分かれようと言った。
「僕らはこのままツアー客を上まで送り届けるから、君たちは負傷者を連れて連絡できる小屋まで降りてくれ。中継地にいるサイドキックにここの安全確認をさせる」
「はい、」
「頼んだよ、ヒーロー!」
叫んだのは他のツアー客だった。拳を掲げ、鼓舞するような笑みをくれた。それも一人ではない。いまの一部始終を見て、思うところがあったらしい。まわりも銘銘に希望を灯した目でこちらを見ていた。
しっかりやってこい。相澤先生の言葉を思い出す。私は声を張って応えた。
「はい!」




ツアー客達を見送った後、負傷した女性を降ろすために、まずは脚を固定する応急処置をすることになった。
「おい、俺のバックパックからロープ出せ」
「うん」
言われるまま、爆豪くんのバックパックをまさぐる。サイドのポケットに言われたものが入っていた。取り出すと、その下に見覚えのある黒いリストバンドがあった。あれ、これってもしかして。
「はよしろや」
催促の声に慌ててチャックを閉めた。今見たものの衝撃が私を高揚させる。待っててくれたんだ、二年の時にあげた誕生日プレゼント。捨てられてなかった。
「そっち抑えてろ」
「おっけー、いいよ」
手渡したロープを手際よく巻きつけ、添え木を固定する真剣に応急処置をこなす爆豪くんをつい目で追ってしまった。どんな気持ちであれをバックパックに入れてきたのか。彼が必要最低限以外の荷物を持ってくるとは考えにくい。『必要』と、されたのか。
「そっちの荷物持つよ」
「あ?」
「荷物2つに要救助者は背負いすぎでしょ。はい、貸して。私だってそれくらい持てるから」
女性を背負い、そのバックパックまで背負おうとしていた爆豪くんを呼び止めた。目と目が合う。私は登山者でもツアー客でもなく、ヒーローなのだからここは譲れない。手を差し出したまま睨みあっていると、舌打ちをして根負けしたように女性のバックパックを投げつけてきた。
「いいか、落とすんじゃねえぞ」
「わかってるって。…さ、大丈夫ですよ、手当てできるところまで行きましょう」
女性が不安そうな顔をしていたので笑顔で対応する。1年の時の仮免試験の時より上手く出来るようになっただろうか。2人分の荷物を背負い、ゆっくりと歩き出した。




明らかに過積載になる爆豪くんに自信満々にそれくらい持てると豪語してみたものの、やはりバックパック2つはキツイ。何より足場が悪くて気を抜いたら二人目の要救助者になってしまうだろう。思わず最悪を予想して、そしてその最悪に爆豪くんの憤怒の表情をありありと想像して身震いする。それだけは避けなければ。
前を行く爆豪くんも少し疲れてきたのか、足取りが緩やかになってきている。山での体力消耗は早い。空気が薄いからだ。
「ちょっと休もう」
私が声をかければ、爆豪くんも黙って立ち止まった。それを肯定とみて、バックパックを二つ揃えて置き、それぞれの持ち物から水筒を取り出した。背負っていた女性をそっと降ろした彼は長く息を吐いている。ひと一人背負って歩くのは相当キツイはずだ。
私が水筒を差し出せば、背負われていた彼女は申し訳なさそうに身体を縮こませている。
「すみません。私の不注意でご迷惑を…」
「ご迷惑じゃないですよ。私達、ヒーローですから!」
「そういうこった。…オイ、俺にもそれ寄越せ」
それ、と指されたのは私の水筒だ。一瞬、判断を決めかねる。爆豪くんの水筒は自分で持っているはず。なら私のを奪う必要はないのだ。
「はよ寄越せやボケナス」
「ボケナス…」
労りの気持ち2割、恐喝への反射8割で差し出せば、すぐさま奪い取られた。目の前で残っていた水の半分程を飲み干され、押し付けるように帰ってきた水筒は随分軽くなっていた。なんとなく彼の後に口をつけるのは躊躇われるが、喉の渇きにはかえられないので私も二口ほど水を飲む。
爆豪くんが私たちから離れた時、女性が耳打ちをしてくる。
「あの子もヒーローなの?」
「そうです。まだ学生ですけど」
「言葉遣いは乱暴だけど、彼の手に捕まえられた時、すごく安心しちゃったわ。あなたも、私を助けてくれてありがとう」
「…それ、彼にも言ってあげてください。きっと喜びますから」
「そうね、でもちょっと怖いから…」
女性はまた申し訳なさそうに縮こまった。フォローできない問題に直面してしまった。爆豪くんのヒーロースーツのフェイスマスクとあの言動、ヴィランよりヴィランらしいと言われるだけあって初対面であれば当然の反応だった。長い目で見れば優しいところもわかる。逆に言えば、ずっと付いてきた私にしか分からない爆豪くんがいる。それはなんだか特別なことに思えて、胸の隙間が埋まる気がした。




なんとか山小屋まで下りきり、救急の連絡をする。その頃にはもう私はクタクタになっていて、諸所の連絡は爆豪くんに任せきりになってしまっていた。ひと一人と自分の荷物背負っていたのにこのタフネスは何なんだ。
女性は最後までお礼を言っていた。あなた達はいいヒーローになる。そう言われて私も、そして爆豪くんも肯定の返事を返した。
「明日救援用のヘリが来る。あとツアーの方は今日ここに着くメンバーを送れとよ」
「うん、連絡ありがと」
「それくらい持てるだとか抜かした癖にへばっとんじゃねぇわ」
「正直なめてました…」
だらんと自分のバックパックにもたれかかる。今日はもう動けそうにない。
私がこうやって倒れている間に食堂で水を汲んできた爆豪くんは、隣に座って思い出したように話しかけてくる。
「個性の限界、上がったんか」
「…落石の分割こと?」
「前は6つ位にしかできなかったろ」
「あれはまぁ、咄嗟の馬鹿力もあったけど…今は普通にできるよ」
「ほぉん」
何かを思案するようにこちらを見てくる。これはまた褒めてくれるのかな。爆豪くんが褒めてくれるのが嬉しいと脳に刷り込まれてしまった私は、大人しく彼の言葉の続くのを待った、のだが。予想を裏切ってその目尻は吊りあがった。
「……てーことは何か?テメェ、俺との戦闘訓練手抜きしてんじゃねぇか!しね!」
「えっ、あっ、褒めてくれるとこじゃない?!」
「うるせー舐めプ2号!ぶっ殺す!!」
力の限りのアームクローが私を襲う。悲鳴を上げながらギブ!ギブ!と叫んでいると、遠巻きに見ていたご年配の夫婦に喧嘩はよしなさいと咎められてしまった。騒いですみません。爆豪くんは隣でむすっとしていたから、頭を下げたのは私だけだった。

その夜は彼の気配も気にならないほどすぐに寝入った。多分、相当疲れていたんだと思う。案の定自力で目覚めることはなく、翌日爆豪くんに足蹴にされて起こされた。




早朝に出会ったのはサイドキックのヒーローだった。いかにも山男という風貌で、猪くらいなら仕留めて来そうな感じだ。そのヒーローを先頭に、今日も次のツアー客を率いて出発した。私たちはまた最後尾からついていく。
山頂に着いたのはまだ明るくなる前。薄暗い中、日の出を待つ人があちらこちらで待機している。風も穏やかで、話し声もあまり無い。まだぼんやり見える星を眺めながら、爆豪くんが陣取った場所の隣に座り、私も日の出を待った。
あと何分くらいなんだろう。ぼんやりと明るくなり始めた空を見ていると、隣にいた爆豪くんも座り込んだ。
「就職先は決まったかよ」
暇だったのか、いつぞや投げかけられた質問を再度繰り返された。あの時の私はぼんやりとした未来しか見えなくて、将来を真剣に考えている爆豪くんに知られたくなかった。今は少し前向きになれたから、正直に答えられる。
「う~ん、東京か神奈川あたりで絞ってまだ迷ってるとこ。スカウトはいくつか貰ったんだけど」
「何処でもいいから東京の事務所入れ」
「東京…は、倍率高いんだよなぁ〜」
「雄英生だろうが、気張れや!」
「ごもっともでございます」
目をつけてた事務所は数件ある。そのどれもがランキング上位のヒーローの事務所で、毎年気鋭の新人ヒーローがスカウトされるかたちで入るのだ。私はまだ地方と東京の数個の小さな事務所からしか指名を貰えていなくて、東京で希望の事務所入りを目指すならばスカウト枠に追加される空き枠で入るしかない。当然狭き門であるし、落ちた場合には首都・近郊の事務所は既に埋まった後だろう。雄英という肩書きだけに甘んじてはいられないのだ。
爆豪くんを追う。そう覚悟を決めたからには。
隣に居る彼はずっと遠くを見ていた。それが来たる日の出を待っていたのか、ずっと向こうの未来を見ていたのか私にはわからなかったけれど、ぽつりと彼が言い出した。

「数年したら、俺が事務所立てるから来い」

その言葉を、意味を汲む。早くから独立する、そう宣言していた彼が、来いと。
白んでいた空が一気に明るくなる。日の出の瞬間だ。そのためにここに居たというのに、私は爆豪くんから目を離せなかった。

「テメェを俺のサイドキックにしたるわ」

なんでもない、というように険しさのない顔でそう告げる。白い息とともに吐き出された言葉は私の心にじんわりと落ちていく。
誰も安易には寄せ付けない、人一倍孤高を目指していく爆豪くんが、私をサイドキックにすると言う。ヒーローになる私を、側における奴だと認めてくれた。
うっかり泣きそうになって雲海に目を落とすけれど、もう無駄だった。雲と山の輪郭が淡く滲んでいく。朝日がいつもより眩しく感じるのは、遮るものがないからじゃない。
「それは…とても光栄なことですね」
「精々俺のために働けや」
「うん」
「死ぬまでこき使うかんな」
「うん、」
溢れるものを下瞼からこぼれ落ちないように留めておくことに必死で、しばらく顔を上げることができなかった。プロヒーローになってからもその背を追いかけていいと言われたようなものだ。私が必死になって、でも不安で揺れていた未来を繋いでくれた。それだけで十分だった。
「わたし、」
「ア?」
「雄英、来てよかったなぁ」
きっと顔は涙でぐしゃぐしゃだ。もうブスでもなんでもいいよ。でもやっぱり顔を見られるのは嫌だ。膝に顔を埋めてひたすらに涙が枯れるのを待つしかなかった。
その間、隣にいた爆豪くんが鼻で笑う気配がした。馬鹿かよ、って。

(2020/7/20) <PREV▼ TOPNEXT >