子供の頃、二十歳って大人なんだと思っていた。でも実際なってみると、子供からの地続きだから全然大人じゃないなと思う。お酒が飲めても、煙草が吸えても、格好だけで心は全然。実際になってみてそう思った。
上鳴と鉢合わせしたのは事務所の飲み会の帰りだった。見慣れた金髪が馴れ馴れしく絡んでくるものだから、お酒はあまり飲まないという条件をつけて。こういう時、幼馴染というものは気が楽だ。明日はオフだし、少しくらい美味しいものを食べ過ぎてもいい。そんな感じだった。
週末の居酒屋は賑やかだ。誰も彼もが酔っ払いみたい。テーブル席について、お互いにつまみを食べながら近況を話した。上鳴がまた女子に逃げられたとか、まぁいつものこと。
「そういやさ、爆豪と最近会ったか?」
爆豪くん、切島くん、瀬呂くん、そして上鳴は今でも定期的に集まるらしい。雄英の時にいつもグループで行動していたから気が楽なんだろう。結局私はその輪に入れなかったという事実が悔しい時もあるけれど、私だけ女子というのも気を遣いそうだから仕方がない。
「一昨日会ったよ。めちゃくちゃ忙しそうだよね」
「あー、トップヒーロー様は仕事引く手数多か。羨ましすぎる話だな~」
「そうね、電気は暇そう」
「何言ってくれてんの!?俺だってランキング入りしてるしインタビューもされまくりよ!?…じゃなくて!」
「じゃなくて?」
はぁ、とため息をひとつこぼされた。人の顔見てそれとか、失礼だなバカ電気。どうせまた女優に会ったとか、綺麗なナースさんにお世話されたとか、そんなのだろう。伊達に長い付き合いではない。カマンベールチーズ揚げを咀嚼しながら、聞き流し気味にしていると、
「爆豪の奴、最近女にしつこく付きまとわれてるらしくてさ。結構参ってんのよ」
「え」
上鳴の突然の話題に手が止まる。付きまといって、あれだよな。追っかけとか出待ちとか、ともすればストーカー的なあれだよな。爆豪くんが?
一昨日会った時はそんなこと一言も言わなかった。そんな素振りも全く。いつものように私をからかったり足蹴にしたりして去っていった。本当にいつも通り、ただの嵐だった。彼の性格からして言いそうにないけれど、少しぐらい愚痴ってくれてもよかったのに、そう思ってしまう。
…いやまって、そのつきまといって私のことじゃあるまいな。違うよね?私が度々あっちに呼び出されてるだけだし。私も連絡してないし…。あ、そういえば最近はブスストーカーって言われてないな。
「一応相手は一般人だからって事務所に穏便に対応しろって言われてたらしいんだけど、流石にエスカレートしてマジギレしてさ、その女にあいつなんて言ったと思う?」
「クソモブ」
「いや、それも言ってたけど。…ダメだぞお前、爆豪の口真似すんの」
「言ってたんだ…」
「言ったけどさ。じゃなくて!」
「なくて?」
「『こいつだって決めてる奴がもう居る』だってよ」
私が顔を上げると、上鳴の目が真っ直ぐに私を見ている。誰だろうな、なんて言って。その言葉に内心掻き乱されながらも、何でもないように装って答えた。
「誰だろうね」
上鳴はなんとなく、答えを知っている風だったから話題を変えた。知りたくないといえば嘘になるけれど、それは人伝に聞きたいことじゃない。
お酒の味もゲソ揚げの味もわかんなくなっちゃった。ただ喉に流し込むだけ。爆豪くんが決めた奴、私の知ってる人なんだろうか。なんとなく、嫌だなと思ってしまった。そう思ってしまったこと自体も、やだなと思った。私、いつの間にこんな嫌な奴になったんだろ。
上鳴と別れて電車に乗って。駅からの道を歩きながら考えるのは、爆豪くんが付きまといという迷惑行為を受けている件について。
最近はずっと爆豪くんが誘ってきて、私がそれに応じる、のパターンだ。向こうからの誘いはいつも突然で、次の予定は言わない。爆豪くんの方が忙しくて、私の方がスケジュールは合わせやすいからそこに不満はない。不満があるとすれば、遅れると分かってやっているであろう集合時間の指定だけだ。
この間も、爆豪くんが突然夕飯に誘ってきた。何でもない会話をして、ご飯を食べて。その間に何度も赤い目がじぃっとこちらに向いている意味を考えるようになった。どうしたの?と聞けば何でもないってはぐらかされる。その目は今だって私を燻らせている。
家まで送ってくれることを断るのはもうやめた。彼はとても頑固だから自分から折れたりしない。だから私が引くしかないのだ。家までの道のりでも、爆豪くんは何か言いたそうにすることがある。聞いてしまえば意固地になると思って、私は問いかけられない。
進むことも戻ることもできない道のりを歩いているみたい。私はその解決策を探せずにいたけれど、上鳴の話を聞いてふと思った。もしかして、今までのあれは相談したいサインだったんじゃないか。私はそれを見て見ぬ振りして見逃してしまった…?
お節介はヒーローの本質。こうなると行動は早かった。スマホを操作し、最近では一方通行だったメッセージ履歴から[明日空いてる?]と送ってみる。
時刻は23時。…あ。
しまった、もういい時間だから寝ているかもしれない。しかし、予想に反して既読がついた。起きてた。…いや、起こしてしまったのか?どうか怒られませんように、とただ祈った。ぴろん、と受信音。
[何の用だよ]
人を呼び出す時は用件を書かない癖に、私が呼び出す時は聞いてくるのか。いい度胸だ爆豪くん、私にも考えがある。
[最近のお悩みについて聞いてあげよう。何でもご相談ください]
上から目線の一言に、胸を張る犬のスタンプをつけて送信した。即返ってきたのは懐かしい[しね]のスタンプだった。まだ使ってるんだね、それ。
続けて、最初の問いに対する返事が来た。
[21時上がり いつもの店]
…遅番なの。そんな、無理してきてくれなくてもいいのに。自分から誘ったのになんだか申し訳なくなってしまった。でも、爆豪くんを助けるために必要なのだこれは、と自分に言い聞かせる。[OK]と返して家へと急ぐ。
そう、その時の私の頭には『爆豪くんを悩ませる付きまとい』のことはあったけれど、『爆豪くんがこいつだって決めている奴』のことは綺麗さっぱり忘れていた。…いや、考えないようにしていたのかもしれない。爆豪くんと会う時に、嫌な気持ちになるのはなんとなく避けたかった。
翌日の夕方、早い時間に家を出た。ついでに買いたいものもあったので色々寄り道をして、店に着いたのは時刻は20時半。爆豪くんはまだ勤務中だから遅いと怒られることもない。待ち合わせで私が爆豪くんを待つのは初めてな気がする。すっかり顔見知りになってしまった店員さんに案内されて個室に入った。
約束の時間より一時間遅れて、爆豪くんは現れた。相変わらず上下黒のコーディネート、キャップにサングラス。今日は少しだけくたびれたように部屋に入ってきた。テーブルでねぎまを食べていた私も出迎えるようにそちらを向いた。
「あ、来た」
「クソ残業だったわ」
「いーよ、仕事お疲れ。ドリンク何頼む?」
「…オイ」
「うん?」
慣れてしまったタブレット操作でドリンクを注文しようとしたところで、爆豪くんが私の手を掴んできた。タブレットも取り上げられてしまった。彼を見上げるとやっぱり不機嫌な顔をしている。残業だったからだけではない眉間の皺の数は、彼の不機嫌指数である。さっきまで爆破を使っていたからか、掴まれたところがまた熱い。
「用件。お悩みって何だ。誰に聞いた」
「バ上鳴」
「…次会ったらシメる」
やっぱり、あんまり聞かれたくなかったことなんだろう。でもここで落ち合ったからには絶対に聞いてやるんだから、と意気込んで身を乗り出す。
「あのさ、具体的にどんな被害に遭ってるの?付きまといって。女の人って聞いたけど、事務所に穏便にしろって言われてるんだよね?」
「マジでペラペラ喋りすぎだわ、アホ面」
「誤魔化さない」
「…テメェには言いたくねぇ」
「なんで?」
「なんでも」
店員さんが持ってきてくれた水を飲みながら、爆豪くんは口を噤んだ。また、何も言ってくれない。サイドキックにしてくれるって言ったのに、信用されてないみたいで嫌だ。燻る気持ちを吐き出さないように、顔を上げて言い放つ。
「…じゃあいいよ。呑も」
「は?」
「呑んで忘れる!二十歳になってよかったねぇ爆豪くん!」
「は??? ア゛ァ?!てめ、もう出来上がってんのかよ!」
「はぁい!」
「無駄に威勢のいい返事しやがって、マジでムカつくな!!」
「あはは!怒った〜」
「ア゛ーー!!!クソが!!!」
テーブルの上に空になっているグラスが5つ。それを見た爆豪くんが盛大にため息をついた。お疲れ様のところに更にお疲れ様事案を重ねてしまった。おつかれさまです。
一時間私を待たせた爆豪くんが悪いんです〜。そうアヒル口で言えば唇を挟んでつねられた。またクソがぁ!って叫んでる。楽しいなぁ。唇ってさ、つねる所じゃなくない?でも今の私はとっても気分がいいから許してあげよう。
舌打ちする爆豪くんにグラスを差し向けるとものすごく嫌な顔をされた。めちゃくちゃ塩対応。ウケる。
「怒らないでよ〜、私のカシス分けてあげるからさ、ね?」
「いらねぇっつっとんだ!」
「あ、ビールの方がいい?すいません〜ビールお願いします〜」
「呑まねぇ!おい、出んな、オーダーすんじゃねぇ!」
戸口に向かおうとすると大きな掌で顔面を鷲掴みにされた。女子に対するこういう対応はどうかとも思うんだけど、そこは私、慣れたものなんで。個性柄手の皮が厚くなってるって聞いたけど本当なんだなぁなんて思ったり、僅かに香るニトロの匂いが気になって鼻を近づけてみたり。汗だからやっぱりしょっぱいのかな。好奇心とは恐ろしいもので、気になったら止まらなくなった。甘い匂いと甘いお酒で塩気が欲しかったのかもしれない。
鷲掴んでいる掌をべろっとひと舐めすると、爆豪くんはあからさまに身体を強張らせて手を離した。あとゲンコツでわりと本気で頭を殴られた。
「キメェんだよクソが!何しとんだ!!」
「もおぉ、痛いじゃん…」
「煩ェわブス、二度とすんな!」
「いたいぃ…」
たんこぶになったらどうしてくれるのよ。頭をさすりながら、私はめげなかった。どうあっても爆豪くんの悩みを軽くするために、何かをしたいと思った。もはや自分が何にムキになってるのかもわからなかったけど。
「爆豪くん、呑もう〜」
「何度も言わすな呑まねーわクソ。…ハァ、今日はもう帰んぞ」
「ええ〜〜もう帰っちゃうの?」
「テメェも帰んだわ靴履けや!」
帰る、靴。単語を繋ぎ合わせて、なんとか理解してのそのそと動き出す。帰る、靴…。
そういえば、伝票。机の上、下、お皿の下、色々探したけど見つからない。おかしいな、店員さんが置いてった記憶はあるのに。
「爆豪くん、どうしよ、伝票ない」
「もう払ったわ。行くぞ」
「ええ〜、やだ!私が払うの!」
「っせぇ、とっとと歩け!」
払うと駄々をこねていると片腕で拾い上げられてしまった。だって爆豪くん水しか飲んでないのに、なんで払っちゃうの。ばか、ばか、ばかバクゴーくん。呪詛のように呟き続けたが聞き入れてはもらえない。絶対払わせてなるものか、と隙を見て一万円ポケットに突っ込んだ。家に帰るまで気付きませんように。
そこからはもうふわふわしていて記憶が曖昧だ。電車に揺られて、駅を出て、アパートについて。あれ、アパートついた。
「オイ、鍵どこだ」
「バッグの〜サイドポケットぉ〜」
「地を踏めや!おい立て!クッソがァ!!!」
「ん〜〜」
爆豪くんが暴れだしそうなくらい唸っている。近所迷惑だからやめて欲しい。私のバッグから鍵を奪い、ドアが開いた。
一人暮らしの部屋では言わなくてもいいんだけど、つい口癖でただいまと言ってしまう。この時も例に漏れずただいまぁと呟いた。爆豪くんは無言で、いや舌打ちをしながら私をリビングまで引きずっていった。
「いいか、もう二度とこんなことしねぇからな!」
「でもいつも送ってくれるよね、ありがと〜」
「クッッソ、調子に乗るな!しね!」
ばちん、と頭を叩かれた。今日はなんとなく容赦ないなぁ、とまた頭をさすっていると、爆豪くんはそのまま帰ろうとしていた。そりゃそうだ、ここまで私をお届けしたら彼はもう用はない。でも私にはまだ用がある。
駄目だ、帰しちゃ駄目。今日は爆豪くんのお悩みを聞くって決めてるんだから。素早く去ろうとしている彼の服の裾に飛びついて捕まえて、足下でくだを巻く。服が伸びたって構うものか。
「ばくご〜〜くん〜〜」
「煩ぇ!酔っ払いは寝てしね!」
「ね〜〜、こいつだって決めてる奴って、だれ〜?」
爆豪くんの目がまんまるく見開かれた。小さく「なんで、」とも言った。なんでそんなにびっくりしてるんだろう。私が知らないと思ったから?
「でんきに、きいた」
「あンの野郎マジでどこまで喋っとんだ!!!絶対にころす!!!」
「ね〜〜だれ〜〜」
「うるっせぇぇぇ!!!」
「聞くまで離さないからね〜」
上着とサイドバックにがっちりしがみ付く私を離そうと、爆豪くんも力の限りに腕を突っ張ってくる。雄英時代に伊達に彼とバトっていた私ではない、しぶとさには自信があるのだ。このままでは私が離れる前に、爆豪くんの上着の方が先に犠牲になるだろう。
先に折れたのは意外にも負けず嫌いの爆豪くんの方だった。
「…っ、上等だわテメェ、耳かっ穿ってよっっっく聞いとけや!」
「うんうん、それでそれで?」
「そいつは、」
しかし、威勢が良かったのはそこまでだった。あ、とか、う、とか爆豪くんが音を発しないまま口を開いては閉じ、やめてしまう。言わない。
やっぱり、言いたくないのかな。私は、何もかも相談されないような人間、なのか。悔しいなぁ。
しばらくは我慢強く待ったけれど、だんだん瞼が下がってきた。お酒が入って眠いのと、近くにいる爆豪くんの匂いがやっぱり安心してしまって、どうぞここで寝てくださいと言わんばかりに私の睡魔を誘発していた。これには勝てない。
「やっぱだめ。ねむい。おやすみぃ」
「…………………………………は?」
落ちてきた瞼に勝てず、私は寝入る方を選択した。フローリングの上だったけれど関係ない。むしろちょっとひやっとしてて気持ちいかも。
「…寝んのかよ、ブス」
寝入る寸前、爆豪くんの怒ったようなホッとしたような声だけが静かに耳に響いた。
「ふがっ」
翌日、フローリングの上で目を覚ました。フローリング…?身体はバキバキだ。当たり前だけど。あれ、私、昨日…。
身を起こして、あまりの頭の重さにまた伏せてしまった。頭ズキズキする。もしかしてこれって二日酔いってやつ?初めてだよ…どうすれば治るんだろ。
視界の隅にスマホが映った。Webを検索すれば解決方法があるはずと、どうにか手繰り寄せるとメッセージの通知が目に入る。爆豪くんから。
鍵は郵便受けに突っ込んだというメッセージの後、[記憶喪失になれブス]という一言が添えられていた。
「ど、どういうこと…?」
丁寧に[しね]のスタンプも添えられていた。待って、中指立ててるバージョン出たの?なんでこれが申請通るの?
とりあえず、昨日のことを思い出してみる。私、爆豪くんを誘ったよな。それでえっと、先に買い物行って、お店で待ってて、爆豪くんが全然来ないからってカシオレがつい美味しくて…そこからはちゃんと思い出せない。
メッセージに鍵のことが書いてあった。もしかして爆豪くん、私を部屋まで連れてきてくれたのか…。これはきっと多大なるご迷惑をかけてしまったに違いない。記憶のない間に一体何があったんだ。
[ごめん、色々覚えてないけどありがとう]
素直に記憶喪失ですと宣言してお礼を言う。爆豪くんからは即一言[一生忘れとけブス]と返ってきた。
昨日聞きそびれてしまった爆豪くんのつきまとい、まだ続いているんだろうか。昨日の様子からして本人に聞いても無駄だと分かったので、いつもつるんでいる男子メンバーに連絡を取ることにした。上鳴が言ってたくらいだし、爆豪くんもあっちには話してたりするだろう。
切島くんと瀬呂くんにメッセージを飛ばしてからブラウザアプリを立ち上げた。とりあえず二日酔いに対応して、今日の仕事に出なければ。午後からにしてあって本当によかった。