「…爆豪くんだぁ」
「たりめーだ表札見てねぇんかカス」
何処からか聞こえる蝉の声、夕方だというのにまだ日の熱さが残る中、私は爆豪くんの家の玄関先にいた。いた、というよりかは勝手に訪ねてきた。
合宿以来、初めて顔を合わせた彼は至極いつも通りであった。ツンツンのたてがみも、鋭利な赤い眼も、不機嫌そうな口元も。ただ、前よりも威勢が弱く、赤い目の奥に暗い色が見えた気がした。
「グループチャット見とんだろうが。何もねぇわ、帰れ」
「うん、見た。見たんだけどさ」
爆豪無事だ、と切島くんからの投稿があってから、私はずっとそわそわしていた。だって無事って、どこまでの話かわからないじゃない。ヒーローくらいの定義でいけば心臓が動いていることが「無事」なのかもしれないし。休み明けまでは待てなかった。無性に顔が見たくて、緑谷くんに泣きついて爆豪くんの家を教えてもらった。緑谷くんは案内が終わった途端に帰ってしまった。そういえば天敵だったな…ごめん。
林間合宿前まで、爆豪くんは『次』の約束を律儀に更新してくれていた。最初は燻る劣等感から食ってかかっていた私だけど、しばらくしてからこの関係がどういうものなのか分からなくなっていた。私が知っている爆豪くんは、こんな面倒くさい呼び出しにいちいち応えてくれたりしないし、ましてや自分から次の予定を指定してくるなんてことがあるだろうか。実際、その状態になってみて私の心は少しだけ浮いた。もしかして、友達だと認めてもらえたのかと。
「…友達だもん、心配するよ」
だから彼が居なくなってしまって、心が空洞になってしまったように感じた。私の中で彼は誰よりも強くて、誰にも負けない。それがあたかも幻だというように踏みにじられた気がしたのだ。
「俺がいつテメェの友達になったっつーんだ、ア?」
「だって戦闘訓練、ずっと付き合ってくれてたじゃん」
「テメェが俺に勝つまで続けるなんて寝言ほざきやがるから叩きのめしてやっとンだろうが。寝ぼけてンじゃねーぞ、勘違いストーカー」
「ストーカー…」
懐かしいな、暫くぶりに聞いた響きに弱く苦笑した。
少しだけ話せたことで、やっと彼が帰ってきたことを実感できた気がした。相変わらず不機嫌な顔で、玄関には一歩たりとも入れないとでも言わんばかりに立ちはだかっていたけれど、ややあってからポツリと静かに言葉を吐いた。
「いいから帰れ」
目の前で彼と私を隔てる扉は重く閉じられる。私は暫く動けずにいたが、のろのろと足を動かして爆豪家の敷地を後にした。
爆豪くんの家からの帰り道の足取りは重かった。もう陽がすっかり落ちて、街灯がぼんやりと住宅街を照らし始めるような時間だ。ここから私の住むところまでは電車を乗り継がなくてはならないので、スマホで時刻表を確認しようと操作していると、唐突に黒いコートを着た男に道を塞がれた。
「やぁ、お嬢さん」
「…ドモ」
声をかけられたので思わず返事をしてしまった。心操のような個性だったらアウトだ。不注意にも程がある。幸い身体に変化はないので、言葉を交わすことでは発生しない個性持ちか。
男は俯き気味でよく見えないが、こんな知り合いはいない。真夏にコートも不自然だ。何より暗闇にギラギラと光るその目が私の不安を煽る。マトモな人間ではない。逃げなくては。林間合宿という事件が、私の心をまた臆病にしてしまったんじゃないだろうか。男が一歩踏み出し、少しだけ距離が縮まる。まだ間合いはあるが、安心は出来ない。
突然だが私の個性を紹介する。私の個性は『分割』、物質を二つ、三つと分けることができる。細かく割ることもできるが、やりすぎるとキャパオーバーになる。この個性でよく爆豪くんに突っかかったなと言われれば、それはもう痛いところを突かれたと思うしかない。この個性があろうと人間は飛べやしないし、飛んでいる人間に手出しはできない。爆破ってなんだよ、チートだろ。
何故個性の話になったかといえば、ここに来て私の心の弱さが露呈したからだ。あろうことかこの怪しい男に対して、怖くなった私は個性を暴走させてしまった。
男のコートが目の前で真っ二つになった。支えをなくしたコートは重力に従って地面に落ちる。その事象自体には私は平謝りするしかないが、こっちが謝る必要はすぐなくなったと思う。
その男はコートの下に何も着ていなかったからだ。
「ひぇっ、」
思考停止は僅かコンマ1秒。それからの私の行動は早かった。人間の底力を見せつけるかのように猛然とダッシュし、その場から逃げ出したのだ。後ろから男の声が聞こえた気がしたが、これ以上トラウマを植え付けられたくはないので完全に無視した。
泣きたい、こわい、助けて。叫びたかったけど声は出なくて、気持ちだけが逸って思うように走ることも出来ない。初めて来た土地で逃げる先など、一つしかなかった。
「ンで帰って来とんだクソが!」
「ど、怒鳴らないでって!…緊急事態、なんだから、しょうがないでしょ…」
爆豪家のインターホンをけたたましく連打すると、すぐさま吊り目をより吊り上げた暴君が顔を出してきた。普段なら尻込みしてしまう場面ではあったが、今は本当にそれどころではなかったので、飛び込むように爆豪くんちの玄関へと踏み込んでいた。爆豪くんは大音量でがなり立てる。
「何時だと思っとんだクソが!テメェのワケわかんねぇのは今更だが、非常識の意味を百辺思い出しやがれ!」
「ご、ごめん爆豪くん…やぁ、まさかまさか、ちょっとトラブルがありまして…気がついたら戻ってきてて…それで、あの……」
さっきまでの思い出したくない事象を思い出してしまい、思わずへたりこんだ。なんとか涙だけは流すまいと奥歯を噛み締めて顔を伏せる。私の様子が違うことに気がついたのか、いくらか態度を和らげて声をかけてきた。
「オイ、」
「ごめん、大丈夫、」
「大丈夫な奴がほざく大丈夫に聞こえねぇわ」
「あら、どうしたの」
第三者の声がかかる。リビングから顔を出したのは、爆豪くんと同じ色の髪の女の人。目元もそっくり。聞くまでもなく爆豪くんの血縁者だ。
爆豪くんの舌打ちが聞こえる。多分彼も私をどうしたらいいか分からなくなっているのだろう。申し訳ないけれど、私も何でもないと誤魔化せるだけの余力がなかった。
「勝己、どうしたの?その子」
「知らねぇ」
「私、あの、」
「あ、見たことあると思ったら授業参観の時だわ!勝己のクラスメイトでしょ。うちの勝己が何かした?」
「うっせぇババア、何もしてねぇわ! ってオイ叩くなや!」
爆豪くんが何か言い出すより先に、素早い平手打ちが頭部に飛んでいる。ババアとか言ってるけど…これは爆豪くんのお母さんなのか。授業参観って言ってたし。
「や、爆豪くんには何もされてないので叩かないであげてください…」
「あら、そうなの?まあでも大声出してたのは勝己だから、こいつが悪いわね」
「ふっざけんなババア!」
「お母様でしょうが!」
すごい、爆豪くんの頭がバシバシ叩かれている。私の中の強い人ランキングの最上位に居たはずの爆豪くんが。私はさっきまでの恐怖も忘れて、ぽかんとその光景に見入ってしまう。
「勝己を心配してきてくれたんでしょ?ありがとね。こいつこんなんだから、遊びに来てくれる友達も全然居ないのよ」
「いや、私が勝手に押し掛けたので…」
「そうだ、もう遅いからウチ泊まってかない?最近この辺、不審者が出てるって噂だし」
私はドキッとして身を強張らせた。さっきそこでそれらしき不審者に遭ったとは口が裂けても言えなかった。これ以上爆豪くんの前で醜態を晒したくはない。しかし隣に居る爆豪くんの目がどんどん吊り上がっていくのが怖いのも事実だ。
「いや、でも…」
「こんなんでもヒーロー志望なんだから勝手に帰れんだろ。オイ帰れや」
爆豪くんは私を何とか帰そうとしていたが、その頭を鷲掴みにして、爆豪くんのお母さんが続ける。
「アンタが警察に外出止められてなければ送ってあげられたんでしょうけどね。ほら見て、こんなバカ息子だってヴィランに攫われるんだから、ヒーロー志望とか関係ないわよ。女の子なんだから。ね、泊まってって」
諭すような声に泣きそうになる。今から走っても多分終電はギリギリだし、何よりいま外に出る気にはなれなかった。とても有り難い申し出に、ひとつ頷くより他なかった。
鷲掴みにされたままの爆豪くんは、静かに私を見ていた。
カレーが余ってるから、とぐいぐいとテーブルにつかされて、夕飯まで頂いてしまった。そういえば何も食べていなかったと思い出したのは、漂ってきたカレーのスパイスの香りが鼻をくすぐってきてお腹が鳴った時だった。爆豪くんとお母さん、双方に聞こえるほどの音がして、私は恥ずかしくて穴でも掘って埋まりたいほどに身を縮めた。
爆豪家のカレーはびっくりするほど辛かった。そうだ、爆豪くんは辛いもの好きだった。いつぞやのコンビニでも激辛の菓子を買っていた。あの赤いパッケージが普通の辛さのはずがないのだ。
何故か一緒にテーブルにつかされていた爆豪くんは、頬杖をつきながら「今日のはあんま辛くねぇ」とカレーを指して言う。嘘でしょ?私は中辛くらいで十分だよ。ヒィヒィ言いながらも空腹にはかえられない。どうにか完食した頃には、爆豪くんの姿はなかった。
食器をまとめながら洗い物の手伝いを申し出ると、「大丈夫よ、ウチ食洗器だから」とやんわりと断られてしまった。せめてもと布巾を受け取り、テーブルを拭く。
「客間、廊下の右ね。今勝己に布団出させてるから」
「何から何までありがとうございます…」
「いいのよ、気にしない。あー、ウチも女の子欲しかったわ!」
その後、半ば強制的にお風呂まで押し込まれてしまったが、さすがにシャンプーを借りるのはやめておいた。私が普段使っているメーカーのものとは違う聞いたこともない銘柄が並んでいて、もしうっかり爆豪くんの物を使ってしまったら後が怖い。
いくらかリラックスできた浴室を後にし、伝えられた客間まで行くと、何故か爆豪くんがそこに居た。
「遅ェ!」
「えっ、あれ?あの、待っててくれたの?」
「待ってねェわ!」
「ごご、ごめん。あの、お風呂先に借りました」
和室の真ん中に敷かれた布団を見て、「これ、使っていいの」と彼に聞けば「畳で寝たきゃ好きにしろや」と言葉を突き返される。言われたから布団を出してやったという顔だったけれど、なんだかんだ私のためにやってくれたのが無性に嬉しかった。
「オイ」
「なに?」
「てめぇ、」
言いかけた言葉を噤んで、爆豪くんが押し黙る。彼にしては珍しく、紡ぐ言葉に悩むような仕草だった。私は続きを促すように「わたし?」と問う。
「なんでウチに戻って来た」
赤い眼がまっすぐにこちらを見ていた。私の嘘も真意も見抜こうとでもいうような真面目な目だった。少し気圧される。
でも、こんな時に私の天邪鬼が発動する。彼にあまり情けない姿をさらしたくない。今日、もう既に大分そんな姿を見られているせいでどうでもいいような気もしたが、冷静に気持ちを落ち着かせる時間があったせいで余裕が生まれたのかもしれない。
「…爆豪くん、心配してくれてる?しないよね?友達じゃないんだし」
私は多分、友達じゃないと言われたことを根に持っていた。そして吐き出した言葉は爆豪くんの地雷をいとも簡単に踏み抜いたらしい。あ、爆発する。言った途端、爆豪くんの目が吊り上がり、頭を鷲掴みにされたかと思うと至近距離から怒鳴られた。
「ふっっっざけんな、このクソストーカー!!!俺が!いつ!てめぇを心配したよ!!!思い上がるのもいい加減にしろや!!!」
「あああちょっとやめてよ耳元で大声出すの!というか頭!頭掴むのやめて!鼓膜が死んじゃう!頭皮も死んじゃう!」
「うるっせぇ!しね!」
来客用の低反発マクラを叩きつけて、爆豪くんはカッカしたまま部屋を出て行ってしまった。後に残された私はじんじんする頭を抑えながら布団にダイブする。
爆豪くんは普段近寄っては来ないし近寄らせないくせに、一度近づくと予想以上に懐に入ってくるなぁ。最初に抱いていた憧れに似た気持ちと、クラスメイトとして仲良くしたい気持ち、どちらにも嘘はないはずなのに、あちらから一定以上に踏み込まれるのはなんだか怖い。先に踏み込もうとしたのは私なのにな、そう思うと苦い気持ちになる。
今日はなんだかとても疲れた。いや、林間合宿の後からずっと浅い眠りのままだったからかもしれない。掛け布団を被るとすぐに瞼が下りてくる。その晩は夢も見ないほどに深く眠りに落ちた。
翌朝、お世話になった布団を綺麗に畳み身支度をする。リビングへ向かうと既に爆豪くんがソファに陣取っていた。朝のニュースは未だにオールマイトのことを取り扱ったりしていて次々とチャンネルを変えていたが、やがて諦めたようにTVの電源を落とした。静かになった部屋に私の声が響く。
「色々ありがとね、爆豪くん。お布団は畳んでおいたけどあれでよかった?」
「メーワクばっかり掛けやがって。はよ帰れや、クソが」
昨夜のことを根に持っているのか、少し不機嫌そうな声に、早々に退散することにした。靴に履き替え、じゃあね、とドアを開ける段になってから、「オイ」と声がかかる。
爆豪くんは手を差し出してきた。え、なに?この場面で握手、はないよな…。彼の意図がわかりかねる。
「スマホ」
「え」
「はよ出せ」
「う、うん」
私が渡すより先に、ひったくるように奪われてしまった。買ったばかりだしあまり乱暴に扱わないでほしいな、変な写真は入れてない…よな、とかぐるぐると考えてるうちに彼は奪ったスマホをスイスイと素早く操作をしていく。あれ、私パスワード教えたっけ…教えてないよな…なんで操作されてんの。
1分もしないうちに投げ返されたそれを慌ててキャッチした。
「あ、危ないな!」
「パスに誕生日は危機管理なさすぎだろ」
「えっ」
確かに数字を覚えるのが面倒な私は誕生日を設定してたけど…なんで私の誕生日知ってんの。その疑問を問うより先に、爆豪くんが「次」と言う。
「施設使用許可とったら連絡しろ」
「え」
指差され、視線を落とすとスマホの画面には爆豪くんの名前と携帯番号。
「通話は出ねェ。かけてきたら爆破する」
人の心を読む個性ではないので、爆豪くんの真意は分からない。たとえ彼の気まぐれでもいい。また「次」が繋がったことに、私は安堵してしまう。休みが明けるのがとても待ち遠しくなった。
日が完全に上がる前だったが、もうすでにじりじりとアスファルトが熱を帯びている頃。電車の時間を確認しながら爆豪家の門を出た時、突然声が掛かる。
「おっす」
「おわあああああ!?」
昨日のことで若干敏感になっていたのか、私はびっくりして飛び上がった。その拍子に手からすっぽ抜けたスマホが宙を舞ったが、声の主が慌ててキャッチしてくれたので事なきを得た。
「あっぶね…、何だよその驚きよう。俺は幽霊かよ」
「で、電気!?びっくりしたぁ…」
幼馴染の上鳴電気がラフな格好でそこに居た。私も上鳴も同中なので、地元も同じ。つまりこんなところでバッタリ会うようなことはない。私が「なんでここにいるの」と聞こうとしたところ、上鳴が私の後ろに向かって言う。
「連れて帰るぞ、バクゴー!」
玄関のドアに凭れ掛かっていた爆豪くんは、返事だとでもいうように鼻を鳴らして家に入っていった。二人のやり取りを見ていた私は、もしかして爆豪くんは昨日の私を気に掛けてくれたのかと思い、上鳴に返されたスマホを握り締めた。
2人で並んで駅へと向かう。こんなこと、中学校以来だなぁと呑気に思った。
「お前の行動力にはほんとビックリだけど、バクゴーの呼び出しもマジでびっくりだわ。メールで住所だけ飛んできてさ、俺が何?って聞いてんのに引き取りに来いとしか言わねぇの。俺なんかDVDバクゴーに貸してたかなって一晩考えちまったわ」
「そんな…一人で帰れるのに」
「今、何かあったらまずいだろ?…バクゴーだって言わないだけで、自分が遭った事も含めて色々気にしてんじゃねぇの」
上鳴が声のトーンを落とした。
色々。そう、色々あったのだ爆豪くんは。昨日、「なんでウチに戻って来た」と聞いてきた顔を思い出す。
私は変質者に遭ったからとは言い出せずにはぐらかしたけど、もしかしたら彼は自分を攫ったヴィランに遭遇したと思ったのではないか。
(本当に、心配してくれていた)
もしそうだとしたら、私はなんて失礼な返しをしてしまったのだろうか。はぐらかすような言葉で、余計に爆豪くんを不安にさせたかもしれない。
さっき渡されたばかりの連絡先にメッセージを送ろうとしたが、何と言えばいいのかわからない。馬鹿正直に変態に襲われかけてそいつを丸裸にして逃げました、とはやはり伝えられない。入力して消し、また入力、を繰り返しているうちに隣に居た上鳴がその画面を覗き込んでいることに気がついた。慌てて隠すようにスマホを抱え込んだ。
「見ないでよ、バカでんき」
「お前、いつの間にバクゴーの連絡先ゲットしちゃったの」
「電気だって知ってるんでしょ。特別なことじゃなくない?」
「俺はバクゴーのスマホに勝手に自分の入れたんだよ。もち怒られたけど。けど、お前はそういうのしないじゃん?」
彼の気まぐれ。本当に気まぐれなんだろうか。
また入力しては消し、結局ただ「ありがとう」とだけ送ればすぐに既読がついた。返事はなかったけれど、そこは期待していなかったから別にいい。
急になんだか安心して、上鳴のシャツを引っ張って引き止める。コンビニを指して「アイス買わない?」と言えば、「しゃーねぇ、奢ってやる」と彼も笑った。