四月の東海岸は日本より少し肌寒い。ダレス空港に到着した私は持っていた上着を羽織る。入国審査を抜け、案内表示の英字、訛りの強い英語が飛び交うホールを歩いていればいやでも実感する。アメリカだ。ついに来てしまった。
事務所に頼み込んで貰った五連休。二日は飛行機内でカウントしないものとして、三日間。三日だけ、爆豪くんと会えるチャンスがある。数ヶ月のスパンを経てここに来るまでの間を思えば、短いとは言っていられない。この三日の間に爆豪くんの誕生日を祝う、その目的のために来たのだから。ケーキもプレゼントも持っていないし、プレゼントは私、などと言うつもりもない。誰のための行動だなんて分かりきっている。自分のためだ。会いたいから会う、ただそれだけで海を渡ってきた。
路線バスに乗り、窓の外には高いビルと大きな建物が互いに遠くまで並んでいる。アメリカの首都だけあり、少しだけ見たことがあるような建物もある。
ここに爆豪くんがいる。そう思うと逸る気持ちは抑えられない。少しだけ緩んだ頬を誤魔化すように力を込めた。
一週間前、爆豪くんにいつものように電話をした。勿論、アメリカに行くことは伏せて。いつものようにおはよう、と言えば向こうも寝起きの声ではよ、と返してくれた。
「爆豪くん、誕生日何か欲しいものある?」
『いらねーわ。どうせ国際便じゃ間に合わねぇだろ』
「そう?」
『てめぇの自己満足だろが。いいか、何も送って来んなよ』
と、取りつく島もなく拒否されたプレゼントだったが、来るなとは言われていないのでサプライズ渡航は無事決行されることとなった。さすがに、さすがに日本から来た彼女を邪険に送り返すことだけは無いと思いたい。そこだけは少し不安だった。
バスの中に視線を戻すと、前の席に座っていた男の子が身を乗り出して後ろ側を向いている。五、六歳だろうか、金色の髪にまん丸な青い目がじいっとこちらを見ていた。
日本人が珍しいんだろうかと笑顔で手を振ってみると、男の子が尋ねてきた。
『お姉ちゃん、日本のヒーロー知ってる?』
『日本の?どんなヒーロー?』
簡単な英語を拾って返事をする。完璧とはいかなくても、それなりに使える単語を覚えて来たのが早速役に立った。
返事をくれたのが嬉しかったのか、男の子はすぐに笑顔になって腕を振った。
『ハウザーインパクト!!』
BOOOM!と叫びながら手のひらを突き出すその姿。すごく強いんだ!と楽しそうに語るその姿に、私も嬉しくなって必死に頷いた。だって、私は誰よりもそのヒーローの名前を知っている。目の前の小さなファンに、私も一緒だと伝える。
『知ってるよ!私、そのヒーロー大好きなの!』
『ほんと?!』
徹甲弾のポーズを真似て指を弾けば、男の子の目はきらきらと輝いて興奮したように声を上げる。彼はウケが悪いだの何だのと言っていたけれど、私が爆豪くんに憧れたように、彼の良さを知ってくれる人は居る。でなければ、海外メディアで取り上げられたりはしないだろうに。目的のバス停に着くまで、私は男の子と大好きなヒーローについて尽きないくらいに話をした。
爆豪くんのファンの子に手を振り、バスを降りて真っ直ぐに伸びたストリートを歩き出す。午後の日が高い時間とはいえ、平日なので人通りはほとんどない。同じような建物がずらっと並ぶ姿はなかなか壮観だ。集合住宅でさえ隙間を開けて建てられているから、目的の建物はかなり遠い。気合いを入れるようにキャリーバッグの持ち手を握りしめて、緩い坂道を登っていく。
さて、最初は何て言おう。久しぶり?というのも変かな。電話でいつも話してるもんな。元気?だなんて、会わなくても分かるだろって怒られそう。じゃあ、なんて?うーん…。
会いたかった。
私の動機は一言だけ。でも面と向かって言うにはなんだか恥ずかしい。そのために来たくせに、私は素直になれないでいる。俺がいないだけでそのザマか、なんて頭の中の爆豪くんが罵ってくる。そうだよ、あなたがいないからこのザマなんだよ、と言い返してやりたかった。目の前に居ればそんな些細な言い合いも出来るんだから、やっぱり会いたいに決まってる。
そんなことを考えていたら、目的の区画を通り過ぎていたことに気がついた。何をしてるんだ私は…!慌てて来た道を戻る。23、23…。スマホのメモ帳に書いた住所を繰り返し唱えて歩いた。
やがて赤茶色の壁の建物の前に着く。赤レンガの壁に青い屋根、平屋建ての一軒家。ネットでストリートビューを確認して来たから間違いない。ここだ。
一歩ずつドアに近づき、インターホンに指を伸ばした。ああ、何て言うんだっけ。さっきまで考えてたのに、結局思いつかなかった。いや、誕生日だ。誕生日を祝えばいいんだよ。そう、さりげなく。いや、でも、こんなとこまで来てさりげなくは無理があるのでは?
ええい、ままよ!
インターホンを勢いよく押せば、軽いんだか重いんだか分からない微妙な音がして、幾分か力が抜けた。彼は居るだろうか。誕生日、休み取ったって言ってたから居るよね…?まさか、こっちのヒーロー仲間に連れ出されてパーティーの真っ最中とかだったら、私今すごい間抜けじゃない?え、どうしよう。その場合、夜までここで待ってなきゃいけなくなるのかな。
そんなアホなことを考えていたら、ドアの向こうから鍵を開ける音がした。次いでドアノブが回り、扉が開く。そんな感じで、心の準備が中途半端なまま家主と対面することとなった。
扉の向こうには、変わらぬツンツン頭の爆豪くんがいた。そこにいた私を見て、少しだけぎょっとして、それからぎゅっと眉間に皺が寄る。真っ直ぐに差し向けられる赤い目は、物言いたげにつり上がった。
これ、これだ。これこそ私が欲していたものだ。それを頭が理解して、自然と口が開いた。
「やぁ、爆豪くん」
「…何しとんだてめぇは」
数ヶ月ぶりに見た彼は、呆れ口調を隠そうともせずに唸った。また少し背が高くなっているのかな?気のせいだろうか。部屋着であろうスウェットの上下のままに立ち尽くしている。お互いに向き合ったままで、次の言葉を必死に探した。
あー、私が来るの、そんなに意外だったかな。まさか個性か幽霊だと思われてる?キャリーバッグの持ち手を握りしめながら、とりあえず伝えたい言葉をと次に口をついて出たのは、
「お誕生日おめでとう」
「アァ?!」
「え、合ってるよね?日付」
「…今日だわ」
「よかった、合ってた」
「……ンなこと言いに来たんかよ、こんなとこまで、わざわざ」
心底呆れている声色。ぶすっとした顔も久しぶり。ここにいるんだ。電話越しに聞いていたのに、その口から言葉が紡ぎ出されているという光景が目の前にある。そう思ったらついつい本音が飛び出す。
「それだけじゃないよ」
「あ?」
「…会いたかった」
だから来た。隠そうと思った本音は、すんなりと口から飛び出した。そう言い終わるより先に、爆豪くんの腕が伸びてきて、強引に攫われる。玄関の中に引き込まれて、背後で重い扉が閉まった。
「ばく、」
両手首と背中を玄関の壁に押し付けられて、噛み付くようにキスされた。勢いが余って少しだけ歯がぶつかって、けれどどちらも文句など言わなかった。痛いくらいに身体を押さえつける腕も解こうとは思わない。手の届く距離にいる彼の上着に手を伸ばし、掴んで離さないように握りしめた。
目の前のギラギラとした赤い目が私を見ている。それだけで埋まらなかった心の隙間は一瞬で溢れかえった。大きな手が頭上に伸びてきて、全力の握力でもって掴まれると思って咄嗟に身を竦ませたのに、その手はぐしゃぐしゃと乱暴に髪を混ぜてきただけで、お決まりのアームクローはお休みらしい。
苦いように笑う彼を見て、私も同じように笑った。
「ンとに、何しとんだてめぇは」
「…それはこっちの台詞じゃない?」
「るっせえ、」
狭い玄関で私たちは一体何してるんだろう。倒れたキャリーバッグと、バラバラになった玄関にあった靴と、そんなものはどうだっていいというように離れない私達と。とりあえず、サプライズは無事完遂されたのだ。
家の中に招き入れられて、そこ座れ、とソファを指す。初めて踏み入った彼の家の中は一切が無駄なく、黒いシックな家具で綺麗に整頓されていた。今の今まで使っていたのか、テーブルの上のハンドグリップすら彼らしいと思う。キッチンスペースに入った爆豪くんはコーヒーを淹れているようだ。来客として扱われていることに安心する。門前払いもされなかったし。
「てめぇ、いつまでこっちに居んだよ」
「一応、明後日まで」
「いきなり押しかけて来やがって。俺ァ明日明後日は仕事だぞ」
「うん、」
誕生日当日だけ考えて来たから、それは申し訳ないと思う。二つのマグカップを持ってリビングまでやってきた爆豪くんは、静かに私を見下ろした。何故か少しだけ怒っているような顔をしていたので、彼が言葉を発するのを待った。
「…ホテルは、何処取っとんだ」
「あー、それなんだけどさ、ここ泊めてくれないかなーっ、て…」
「ア゛ァッ?!」
「っ声大きいよ!」
「無計画すぎんだろ、バカかてめぇは!」
マグが目の前に突きつけられた。その勢いに思わず背筋が伸びた。キッチリしているしている彼のこと、行き当たりバッタリな行動が信じられないのだろう。私も今回の来訪に勢いがなかったとは言えないので、大人しく口を噤んだ。もしかしたら彼にも都合があったのかもしれない。そう思うと、さっきまでの浮かれ具合も反省しなければならなくなった。
威圧するような目で飲めと言われている気がして、そっとマグに手を伸ばす。怒鳴りながらも一応淹れてもらったので、有り難く頂くことにする。
「もしかして今日何か予定あった?その…急にごめん」
「別に、なんもねぇ。電話で言ったろうが。砂糖とミルクもねぇぞ」
「うん、大丈夫。ブラック飲めるようになったから」
「そうかよ」
「…あのさ、ダメなら近いホテル教えてくれない?そっち泊まるからさ」
「………泊めねぇとは言ってねぇ」
隣に爆豪くんがどかっと腰を下ろす。今日はぴったりとはくっつかず、私との間に僅かに隙間があいていた。視線はこちらに向かないので、コーヒーを啜りながら彼もまた何かを考えているらしい。
私の方もマグを両手でゆらゆらと揺らしながら、沈黙してしまった会話をどう再開しようか考える。会えて嬉しいのと、久しぶりでどうしたらいいのか分からないのと、気持ちは複雑だ。どう対応するのが正解なんだろう。
私が考えあぐねている間に、爆豪くんの方が動いた。
「てめぇ、泊まんのか、泊まんねぇのか」
「じゃあ、えっと…三日間お世話になります」
「ん」
私の回答に一音だけで応えて、彼はまたキッチンの方へ行ってしまった。怒っていたわけではなさそうなのでホッとする。カウンターの向こうで棚を開けている姿を眺めながら、また苦いコーヒーを啜った。
彼のテリトリーの中に居るのは初めてかもしれない。雄英の時だって、爆豪くんの部屋を訪ねる機会などなかったし。あ、でも家には行ったっけ。なんて、懐かしい事象に想いを馳せていると、キッチンから爆豪くんが尋ねてきた。
「飯、どうする」
今晩の話。棚や冷蔵庫を確認していたのはそのためだろう。一人で暮らす家に二人分の食材が沸くわけがない。
外食に行くという選択肢も多分あっただろうが、今日は爆豪くんの誕生日。私が働かずにどうする、とソファから身を乗り出して宣言した。
「私、作ろうか。何食べたい?」
「作れんのかよ」
「そりゃ一人暮らししてますし」
カウンターの向こうから、信じていないような視線が送られてくる。うわ、失礼だな!そりゃ、爆豪くんに比べたらそんなに上手くはできないかもしれないけどさ。
リビングに戻ってきた彼は、私の手にあるからのマグを攫って「買いもん」と言い放つ。
「着替えたら出る。てめぇも来い」
「え!わ、待って待って!」
財布とスマホだけ持って表に出ると、通りに止めてあった大きな黒い車のドアを爆豪くんが開けていて、思わず目を見張った。
「え、免許あるの?!いつ?!」
「あるだろそんくらい。つかはよ乗れやブス」
「うわ、わわ、お邪魔します…!」
都内で暮らすなら車なんて必要ないと思って、私は迷いなく免許を取らなかったのに。雄英を出て、ヒーローとして活動して、海外に出て、本当にいつ免許を取ったんだろう。
日本でしていたような上下黒の組み合わせ、キャップとサングラスに着替えた彼が運転席に居るのが新鮮すぎて、ついつい視線を送ってしまう。シフトを操作する手も、ハンドルを握る手も、目で追ってしまう。操作もスマートすぎる。そのうち視線を感じたのか、目線が一瞬こっちに向いたので慌てて話題を探した。
「これ、車買ったの?」
「中古、こっちでしか使わねぇ。つかよ、さっきからチラチラ見過ぎだわ」
「うっ…み、見てません!」
「相変わらず嘘が下手くそすぎんだろ」
だって折角久しぶりの爆豪くんが隣にいるのに見ないわけないじゃない。また沈黙した信号待ちの間、ガラスに映った爆豪くんを見ながらふと来るまでにあったことを思い出した。バスの中で夢中で語り合ったあれだ。純粋に強いと言われるのなら、爆豪くんだって悪い気はしないはずだ。
「そういえば、爆豪くんのファンの子に会ったよ。ちっちゃい男の子がハウザーインパクト!ってめちゃくちゃはしゃいでてさ。強くてかっこいい~って、」
「ガキかよ」
「子供でもファンだよ。めちゃくちゃ強いんだっていっぱい話してくれるから、私もスタングレネード!ってやったりして」
「てめぇもガキじゃねぇか」
ふ、と爆豪くんが笑った。
その顔はあまりにも穏やかで、心なしか嬉しそうで、思わず釘付けになる。いつもの表情と全然違うから見間違いかと思ったけど、そんなことはない。だって眉間の皺がだいぶ違う。いつもはこう、ぎゅっと痩せたような感じで、皺が取れなくなるよって心配になるくらいなのに、そんな心配全くなかったというように眉間は綺麗なもので。
そのままどれくらい経ったのか、私の視線に痺れを切らした爆豪くんが顔面をガッと鷲掴んできた。
「んがっ」
「ウッゼェんだわ、見てんじゃねぇ!」
「だって、いま」
「あ?」
「爆豪くん、ファン出来て嬉しかったの?そんな感じの顔してなかった?」
「は?」
「あれ?違う?」
「……ちげぇ」
あれ、違うのか。じゃあなんで嬉しそううだったんだ。またいつものむっすりした顔に戻ってしまったのを残念に思いながら、またガラスの方に視線を向けた。
やがて目的のマーケットに着いたのだけれど、爆豪くんはハンドルに手をかけたまま。どこか前の方を見たまま動かない。その神妙な雰囲気に、私もなんとなく話しかけられなくて黙っていた。数分経った頃、ひとつだけため息をこぼしてやっと彼が口を開く。
「てめぇ、電話してきたろ」
「ん?いつの話?」
「俺がテレビに出たって」
深夜に掛けてしまった時のことだ。泣いたり呻いたり、大分恥ずかしい醜態を晒してしまったあれだ。まさかこんなところまで来てお小言を言われるのだろうか、と身構える。
「こっち来て、評価も実力もゼロスタートだ。うまくいかねぇこともあった」
ところが、彼は自分のことをつらつらと話し始めた。それも、ポジティブな内容ではない。電話では一切出なかったような、曝け出した告白だ。
「電話の度に顔が見てぇって言ってたろ。こっちは何もうまくいってねぇ。正直、てめぇの顔見る余裕なんぞなかった。…普通によ、愛想尽かされると思うだろが。付き合って一日で海外飛び出した男が顔も見せねぇとよ」
ばつが悪そうに顔を歪めながら、話は続いていく。それは、まあ。確かに普通の女だったら不満の一言でもあるでしょうね。でも、お互いの立場上泣きつくようなことなどないし、私は海外で顔を見せないからといって、寂しいとは思っても愛想を尽かすなど考えたこともない。それどころか、私の事を勝手に決め付けているこの男を一発殴ってやろうかと思い始めていた。
「けど、夜中にテレビに俺が映ったってはしゃいで電話掛けてくる馬鹿で間抜けな女のお陰で、心底悩んでんのがアホらしくなったわ」
「馬鹿で間抜けは余計じゃない?」
爆豪くんは強い。間違いなく強いと思う。私から見れば、一人で海外でやってけるだけで十分強い。でも、ふとした時に少しだけ弱くなって、それを私に見せてくる。というか、無遠慮に投げつけてくる。甘えているようで、それでいて私には叱って欲しいように見えた。これはきっと頼ろうとしている仕草で、今までそうしてきたことがないからどうしたらいいのか彼の中ではわからなくて、このような判別のしにくい頼り方をしてくるのだと。多分、そういうことだ。
ああ、そうか。さっきちょっと嬉しそうだったのは、私が楽しそうに爆豪くんがすごいって話したからか。たったそれだけでそんなに嬉しそうにするなら、もっと早く言ってくれればいいのに。
「離さないって言った癖に、随分勝手なこと考えてたんだね」
「…っせぇ」
「…悪いと思ってるならさ、今度から顔見せてよ。爆豪くんの顔見たさにアメリカまで来ちゃう馬鹿で間抜けな女のために」
私の方はどうだろう。爆豪くんから見て甘えているように見えているんだろうか。
甘やかしてくれる爆豪くんはあまり想像できないけれど、今私の手に重ねられた手は間違いなく優しかった。