「恋人」の構文は難解

 5 |アメリカ二日目

いつもより眩しい日の光に照らされて目を開けた。見慣れない天井、部屋、寝心地のいいシーツ、広いベッド。…ここは一体何処だろう。眠い目を擦ってようやく頭が覚めてくる。

そうだ。ここ、アメリカだ。爆豪くんの家だ。
のそりと起き上がるとベッドには私だけ。隣には誰もいない。サイドテーブルにあった時計を見ると既に午前10時を過ぎた頃だった。時差ボケがあるとはいえ、寝すぎではなかろうか。
慌てて寝室を出たが、家主は既に出掛けていた。テーブルの上には『飯は冷蔵庫の中のタッパー、家出る時は鍵使え』というメモ書き。シンプルなストラップのついた鍵が添えられていた。私を起こさないよう黙って出勤されてしまったことには憤る。けれど、朝どんな風に顔を合わせたらいいのか分からなかったから、助かったのかもしれない。
昨日汚したシーツも庭にしっかり干されている。はためく白さが眩しくて、居たたまれなく感じるのは何故だろう。顔を洗おうとバスルームへ入ると、私の下着だけは洗濯籠に残っていた。洗い方が分からなかったのだろう。それをネットに入れて洗濯機を回した。
太腿の内側は相変わらずヒリヒリする。昨晩、合意の上で向かい合って、服を脱いで、触られて、怒鳴られて、以下略。私を見る爆豪くんの視線がいつにも増して獰猛で情熱的だったこととか、とにかく何をするにも昨日の夜のことが思い出されて、一人で悶絶するしかなかった。

冷蔵庫から『朝』とラベルの貼られたタッパーを取り出した。中身はサンドイッチのようだ。横には『昼』の分もちゃんと置いてある。とにかく何についても細かいな…と呆れながらも、しっかりとサンドイッチを頂いた。
テレビを付けてニュースのチャンネルに変えてみる。日本では見慣れぬヒーローと、少し専門用語の入った難解な英語。早々に理解することを諦めて聞き流す方にシフトした。BGMくらいにはなるだろう。
料理、洗濯が既に終わっている今、出来ることといったら掃除くらいしかない。目に見えてホコリもチリも無かったが、何もしないよりはマシだった。玄関横に吊るされていたホウキを手に取り、まずは寝室から取り掛かることにする。

「…ん?」
ベッドの下へとホウキを滑らせている時だった。その先がカツンと何かに当たった。確認しようと手繰り寄せてみると、それは雑誌だった。…というか。
「私が載ったやつじゃん」
緑谷くんが爆豪くんに見せて、強奪されたと伝えられたあの雑誌だった。もうすっかり爆破されたものだと思っていたし、何故こんなところにあるのかも分からない。
その時、ふと上鳴の下世話な話を思い出してしまった。男はな、エロ本をベッドの下に隠すんだぜ!なんて締まりのない顔で自慢していたから、女子達にそれはもう引かれていた。ベッドの下。エロ本。
「…………まさかね」
あの爆豪くんに限ってそんな。けれど、一度沸いてしまった想像はなかなか消えない。だって、この場にこの雑誌があるということは、わざわざ爆豪くんが日本から持ち出したということになる。うっかり開いてしまった私のページに、何故か少しだけ折り目があることを見つけてしまい、これ以上詮索するのはやめようとまた元の位置に戻しておいた。


一通りの掃き掃除を終えるともう昼の時間。ホウキを片付けてシンクで手を洗う。お昼用のタッパーにはラザニアが入っていた。「あっためてから食え」のメモ付きで。有り難く指示通りにして頂いた。ミートソースと伸びるチーズは最高だった。

午後は折角鍵を預かったのだし、と出掛けることにした。動きやすいように肩掛けバッグにして家を出た。来た時と同じようにバスに乗り中心街へ。どこを見るにしても落ち着かない、田舎者のような挙動で街を歩いた。
「見つけるのは無理かなぁ」
あわよくばパトロールをしている爆豪くんに会えるかも、なんて。久しぶりにストーカーみたいなことをしている自覚はある。昨日どのあたりの管轄か聞いておけばよかった。




『泥棒よ!捕まえて!』
カフェなどの飲食店が並ぶ通りに差し掛かった時だった。女の人の叫び声がけたたましく響いた。反射的に振り向くと、男が真っ直ぐこちらへ向かって走ってくるのが見えた。小脇にコードが千切られたレジスターを抱えている。パワー系の個性だろうか。大胆すぎる犯行に一瞬呆れたが、直ぐに止まれと叫んだ。
『どけ、小娘!』
男も叫ぶ。このままタックルを仕掛けてくるつもりなのだろう、肩を突き出してなおも勢いは緩まない。ならば。
歩道のレンガを抉るように割り、小さな穴を作った。私の『分割』の個性で空いた穴に足を取られた男は見事に転倒する。抱えていたレジが宙を舞い、地面に叩きつけられた。付近にあまり人が居なくて助かった。
『捕まえたよ!このクソ野郎!』
先程の悲鳴の主だろう恰幅の良い女性が駆けつけ、倒れ込んだ男にのしかかった。あまりの勢いに潰されたカエルのような声を出して、男はそのまま気を失い動かなくなった。ぴくりもと動かない。あまりの容赦ない潰され具合に、私も少し引いた。え、生きてるよね?
『ありがとうね!お嬢さん』
『いえ…ヒーローなので』
『まぁ!素敵ね!』
立ち上がった女性に両手を捕まれ、上に下に熱烈に振り回された。それから激しいハグと頬にキスも。すごい、これがコミュニケーションの違いか。しばらくされるがまま揉みくちゃにされていたのだが、その上から第三者の声がかかった。
『あれま、また何か盗まれたのかい』
長身の男が頭を掻きながら、伸びた男と私達を交互に見ていた。ブルーが基調のヒーローの装い、格好や口振りからしてこの辺りのヒーローなのだろう。現地のヒーローなら話は早い。この伸びている男を引き取ってもらおうと口を開くより先に、さっきまで私を振り回していた女性がヒーローに食ってかかっていた。
『あんたらがちゃんと捕まえてくれないからでしょ!』
『こないだの食い逃げは捕まえたでしょうが。で、今度は何なんです』
『レジ泥棒よ。でももういいわ、こっちの素敵なヒーローさんに助けてもらったから』
女性がどうよ、とでも言うように誇らしげに私を見た。いや私は男を転倒させただけで、フライングボディアタックを決めて気絶させたのは私ではないのだけど…。しかしうまく説明できる気がしなかったので黙っておいた。
ヒーローが二、三度瞬きをしてから、君?と私を指してきたので、一応身分証明としてヒーロー証を提示した。
『はい。あの、私、日本から来てるだけで現地のヒーローではないので、この人を引き取ってもらえると有り難いんですが…』
『オッケー、まぁ引き取りはその辺の警察に任せよう。連絡したからすぐ来るでしょ』
連絡なんていつの間に。飄々としているようで、彼も立派なヒーローなのだ。少しだけ侮って見てしまっていたことに反省しつつ、礼を言ってその場を去ろうとした時。私のよく知るあの声が大音量で響いた。
『ゴルァ!ウスノロ!どこ行きやがった!!』
目の前のヒーローのインカムからはみ出すほどの暴言。対面の私でさえ思わず身をすくめるほどの声量だったので、直接耳にしている彼の耳が心配だ。それにしても、英語なのにスラングだということが分かってしまうあたり、いつもの爆豪くんで安心してしまった。
『っ、ウスノロじゃなくてノーマン。もうそろそろ覚えてくれないかなぁ』
『うるっせぇ!何処にいやがんだ!』
『ごめんごめん。急な要請で来たんだけど、もう終わったみたい。親切なヒーローがいてくれて助かったよ』
ね、と私の方を見てウィンクをしてくる。あ、親切なヒーローって私のこと?
『ンならはよ来いや!てめぇも働け!』
轟々と浴びせられる大声のあと、通信はぷつんと切れたようだ。苦笑いとため息をつくヒーローを前に、ご苦労様というしかない。爆豪くんはどこにいても変わらないなぁ、なんて人ごとのように思う。最近穏やかな面に接しているせいか、逆にこの暴言に新鮮な感じがしてしまう。
『はは、相棒が怒ってる。なんか今日はめちゃくちゃ張り切ってんだよなぁ。もう行くね、ありがとう!』
オールマイトのような素敵な笑顔を振りまいてヒーローは行ってしまった。私も手を振って見送る。
——わけがない。彼は今、爆豪くんのことを相棒と言った。ならば、ついていけば爆豪くんに会えるはず…!手がかりを逃してなるものかと猛然と彼の後を追った。




辿り着いた現場は一面のコンクリートが剥がれ、ガラスも無残な残骸となっているオフィス街の一角だった。大爆発でもあったのかと見紛う惨状だったが、爆豪くんの個性でないことは直ぐに見当がついていた。彼は市街地でこんな粗暴な爆破はしないことと、黒焦げになったヴィランが連行されていくのが見えたからだ。
その道の真ん中に立っていたのが、真っ黒なヒーロースーツにオレンジの差し色、見慣れているはずの姿なのに私が思っていたよりずっと、遥かにカッコいいヒーロー。そんな爆豪くんは私の存在にいち早く気づき、一瞬だけ見開かれた目をギッと吊って大股でドカドカと近寄って来た。正確には私ではなく、私の前を走っていたヒーローに向けて。
『何連れて来とんだ!!』
『え、あれ?どうしたんだい、君』
道案内してくれた相棒のヒーローは、私が尾行されていることに全く気が付かなかったようだ。まぁ、ちょっと、と言葉を濁しながら苦笑いをしていると、その間に強引に爆豪くんが割って入ってきた。意外なことに、ガンつけられたのは私の方ではなく相棒の方だった。
『この子、さっき強盗を捕まえてくれてねぇ、助かったよ〜』
『ア゛ァ?!てめぇ、先越されてんじゃねぇわ!!』
『終わってたんだからしょうがないでしょう。今日の君、なんか張り切りすぎじゃない?』
『るっせぇ!やる気無んなら帰れや!』
『はいはい』
ぐわっと爆発する爆豪くんをいなせる人が現地にもいるとは、やはり世界は広い。この人が特段マイペースな気もしないでもないけれど。
相棒のヒーローは現場の被害確認に向かい、爆豪くんの方もきっとまだやることがあるのだろう。それでも、私の方を見て一言。
「ンで、てめぇは何しとんだ」
「運が良ければ会えるかなと思って散策してただけだよ」
「ストーカー卒業してねぇんかよ」
「…しないよ。だって、私の一番好きなヒーローだもん」
煤けた頬を拭いもせずに、アイマスクから覗く目が私をじっと見ている。なんだかなぁ。目の前にいる時に言えって言ったのはそっちじゃない。なのに、今の爆豪くんは不完全な燻りを噛み潰すような表情をしている。そりゃあ素直に喜ぶ爆豪くんとか、それは本当に爆豪くんなのかと疑いたくもなりますけど、嬉しい時くらいは少しくらい素直になってくれてもいいんじゃないかなぁ。
道の向こうにパトカーが集まり始めていた。現場検証や復旧作業が始まるのだろう。久しぶりにヒーロースーツを着た爆豪くんを間近で見れたことだし、かっこいいヒーローたちに任せて私は退散しようと一歩下がった時。不意に服の裾が引かれた。見慣れすぎた緑とオレンジのグローブが私の上着の端っこを摘まんでいる。
「飯、食いたいモン考えとけ」
「飯?」
「クソヴィランども黙らせて夕方には帰る」
それだけ言って、爆豪くんは行ってしまった。少しだけ猫背の、俺様な歩き方で他のヒーローや警察に応対している。というか、簡単な単語だけで周囲を黙らせているといった方が正しい気がした。
爆豪くんはうまくいってないと零していたけれど、それは彼の自己評価の厳しさからくるものだろうと私は思っている。でなければ、こんなにテキパキと働けるかっこいいヒーローを見て誰が「うまくいってない」なんて評するだろう。相棒ヒーローさんも「張り切ってる」って言ってたし、どこまでも自分に厳しい爆豪くんのこと、目標の高さを限界以上に置いているのだと思った。それが完璧主義の彼が引いた道なのだ。




グラタン、パスタ、タコライス、ドライカレー…食べたいものって言ってもな、食べに行くのか作るのかも教えてくれても良かったのに。…まぁ、爆豪くんなら作れそうなのが悔しいな。指折り色々メニューを考えてみるが、最終的には今日働いている爆豪くんの希望に合わせたい。そんなことを考えながらソファにもたれていると、夕方も早い時間に家主は帰ってきた。
分厚いブーツを脱いでいる背に「おかえり」と投げかけると、半分だけ振り向いて、そして小さく「おう」と返してくる。
「ごめん。夕飯、考えたんだけどあんまり決めきれてなくて…」
「あー…………」
リビングまで来た彼は、入り口で止まった。爆豪くんにしては歯切れのよくない返事だった。あれ、忘れてる?いやいや、彼に限って忘れてるなんてことないでしょ?私を引き止めてまで宣言したんだし。次の言葉を待っていると「それ、」と彼が続けた。
「飲み会行くことンなった」
首の後ろに手を掛けながら、ぼそりと。
…ああ、こっちでもそういう付き合いってあるんだなぁ、なんて。他人事みたいに思って。そりゃあショックかと言われればショックだ。アメリカに居られるのは三日、明日の夜にはもう飛行機に乗らなければいけない。少しでも近くに居たいと思う心と、アメリカでコネを作ろうと奮闘している爆豪くんを邪魔したくない心、合わさって首を擡げてくる。
「パーティーだとよ。事務所の奴ら、どいつもこいつも騒ぎ好きしか居ねぇ」
「そっ…か。じゃあ、私はあるものでなんか食べてるよ」
「ちげぇ。てめぇも来ンだよ」
「…はい??」
もう泣きそう、まで行っていた私の心は急にあらぬ方向から引っ張り上げられた。えっ、私も行くの?なんで?それ以上の説明もなく、着替えのためか寝室へ行ってしまった爆豪くんを慌てて追う。クローゼットから黒いジャンパーを取り出したり、ワンポイントの違うキャップをすげ替えたり、身だしなみに余念のない彼を見ながら確認のために聞いてみた。
「それ、私も行っていいの?」
「いい」
「え、待って、服装は!?」
「何でもいいわ、はよ支度しろ」
だからなんで?その問いに答える人はこの場にはいなかった。泣きそうだったことなどすっかり忘れて、カートにあった上着を引っ張り出して、少しだけ崩れた化粧を直して。卓上ミラーに映った私は、チークなんていらないくらいに上機嫌に見えた。「単純」と唇に乗せる。誰に聞かせるでもない言葉は、爆豪くんの急かす声にかき消された。




『バクゴー!』
爆豪くんの家から車で15分程、紫のネオンサインが眩しいバーへと足を踏み入れる。出迎えは盛大熱烈だった。既にアルコールが入っているのか、顔を赤くした金髪の女性が臆することもなくハイテンションなまま爆豪くんに抱きつく。すぐ隣に居た私はそれを呆然と見送った。
『ウッゼェ!やめろや!』
『バクゴーが遅いからよォ!あら、こっちが例のガールフレンド!?』
赤いルージュを引いた唇がにんまりと笑って、片脇に暴れる爆豪くんを抱き込んだまま私の方をじぃっと見てくる。ハッキリとした顔立ちの彼女は興味津々といった感じで目を輝かせた。いや待って、ガールフレンド?気になる単語を聞いた気がするが、まずは挨拶をしなければと急き目に頭を下げた。
『は、はじめまして』
『うそ!真面目な子じゃない!』
『うるっせぇ怪力女!おい、離せ!!』
飄々としている女性とは対照的に顔を真っ赤にして抵抗している爆豪くんを見るに、どうやら彼女の個性で抜け出せないようだ。初っ端カオスな状況に私がどう対応しようか考えあぐねていると、
『ねぇねぇ、あなた本当にバクゴーの彼女!?このボンバーマン、今日どうしても早く帰りたいって急かすから、自白の個性のヒーローをけし掛けたら「日本から彼女が来てる」って言うのよ!このバクゴーが!ふふ、あははっ、おっかしい!!』
『だぁぁっ!!喋んじゃねえこのクソ女!!』
自白の個性、そういうのもあるのか…。しかし、あの爆豪くんの口から「彼女」という単語が出たというのは私にとってなかなかの衝撃である。その事実がじわじわと私を包んで、どうしようもなく顔が赤くなるのを感じた。居たたまれなくなって俯く。早く帰って来てくれたのだって、私のためだったのだ。
ふと顔を上げると、未だにホールドされている爆豪くんと目が合った。無駄な抵抗はやめたようで顔の赤みはだいぶ引いていたが、なんとなく面白くなさそうな顔をしている。なんでだろう。むすっと口を尖らせて彼曰く。
「…おい、肯定しろやブス」
わぁ、拗ねてるのか!私が何も言わないからって、みんなに爆豪くんの妄言だと思われたらたまらない。
『はい!爆豪くんがいつもお世話になってます…!』
『世話にはなってねぇ!!』
いやお世話にはなってるでしょ。そんな漫才みたいな言い合いが何故かウケたらしく、その場の皆に盛大に笑われてしまった。口笛を吹いたり、拍手をされたり、とりあえず歓迎してくれたのでまた頭を下げた。
ホールドからようやく解放された爆豪くんは私の腕を引っ掴んでカウンター席まで移動した。飲み物の注文もそこそこに、みんながグラスを合わせて騒ぎ始めている。ボードに書かれたメニューを見ると、少しだけ日本語も書き添えられていた。
「てめぇ何飲む」
「うーん、お酒はやめとこうかな」
「泥酔して賃貸に穴開けやがったら表に放るかんな」
「だから飲まないって言ってるじゃない、もう」
その嫌味ったらしい笑い方、絶対面白がって言ってるじゃない。私もそりゃあ酒癖がいいとは思ってないけれど、こんな所まで来てご迷惑はかけませんよ。…泊まるところは絶賛世話になっているけれど。
オーダーしたソフトドリンクを傾けながら、さっきのやり取りで気になったことが口をついて出た。
「それはそうと、爆豪くん私のこと彼女って思ってくれてたんだね」
「は?」
「いや、疑ってるとかじゃなくて、こう…単語にされると純粋に感動というか…なんというか…」
「…てめぇ、俺を何だと思っとんだ」
「うっ、ごめん。怒らないでよ…」
流石に失礼だと思ったけど言わずにはいられなかったんだ。怒られるって分かっていても、それでもあの爆豪くんが「彼女」と定義するのが私だという事実。何度も思うけど夢じゃないんだな。
「そもそも自覚が足りねンだよ。俺のサイドキックになんのも忘れてんじゃねーだろな」
「忘れてないよ!…忘れてないけどさ…だって、焦るじゃん、爆豪くんアメリカで頑張ってるの直接見ちゃったらさぁ!」
私が会いたいとか傍にいたいとか、そんな俗的な考えをしている間にも、爆豪くんは二段飛ばしみたいな勢いで頑張ってるなんて。私が見ていない所で、私が日本でテレビに噛り付いて爆豪くんの勇姿を逃すまいと不毛な時間を過ごしている時にも、彼は真っ直ぐ目標に向かってる。でも会ったら会ったで、私に対する余裕もあって。そんな人を彼氏にしてしまって、私は自慢したい気持ちより焦りを感じてしまう。サイドキックとして遅れを取らないように。
「ハ、精々焦っとけや。未だに俺に勝てねぇ奴がもがいてる間にナンバーワンヒーローになったるわ」
「ううう…。待ってよ、せめて追いつけるくらいの所に居てよ」
「待たねぇ。てめぇが必死んなって俺に追い付いて来いや」
『君たちは恋人なのかライバルなのか分かりゃしないね』
唐突に割り込んだ第三者。背中からかけられた声に二人同時に振り向いた。騒いでいると思っていたメンバーが私達の会話に耳を傾けていたなんて全く、全然気づいていなかった。聞かれて困る内容ではないけれど、なんだか気恥ずかしくて何もないところに視線を投げる。しかし気付いていなかったのは私だけじゃなかった。

『ブッころす!!』

次の瞬間には隣にいた爆豪くんが顔を真っ赤にして飛び出していた。私がそれを見てぽかんと固まっている間に、バーのソファを飛び越えて揶揄うメンバーを黙らせようと躍起になっている。
『バクゴー、彼女には優しいな!』
『俺もあんな真面目なサイドキックちゃん欲しいんだけど!』
『うるっせぇ!!あいつは俺のサイドキックだ!てめぇらにはやらねぇ!!』
なんかさらっとすごい告白をされている気がする。お酒は入ってないのに顔がどんどん熱くなって、誤魔化しに飲もうとしたグラスが空になっていることにも気づかなかった。
その時、すすっと横から別のグラスが差し出される。爆豪くんをホールドしてた彼女からだった。赤いルージュは相変わらずにんまりと笑って私を見ていた。
『それ、飲みな』
『あ、ありがとうございます』
『愛されてんねぇ』
『…私もちょっとびっくりしてます』
まだ追いかけっこは続いている。運動神経がいい人達ばかりで、まだ暫くは終わりそうもない。その間、ルージュの彼女が爆豪くんがいる事務所のことを聞かせてくれた。そしてこの人が事務所長だということも。
『あいつが来て、ウチは結構助かってんだ。攻撃系オールラウンダーなんてそうそう居ないしね。安心しな、もう少ししたらアンタに返すよ』
彼女の手が私の肩を叩いた。返すだなんて、アメリカに来たのも爆豪くんの意志だし、私が口出しできる所じゃないのに。弄ぶように揺らしたグラスの水面が波打ち、映った私の顔を歪ませた。
しばらくして、どうにか鬼ごっこは終わったらしい。少しだけ息切らせた爆豪くんが私と彼女の間に無言で割って入ってきた。強引なそれに苦笑いしつつ、ルージュの唇が言った。
『バクゴー、』
『…ンだよ』
『明日、お休みあげるからさ。ちゃんと彼女をエスコートしなさいな』
『……………………っス』
『夜も優しくしてあげなよ』
『っ、そういうとこが余計だっつっとんだ!!』
カウンターを叩きながら爆豪くんが叫ぶ。夜、と言われて昨日のことを思い出してしまった私は身を縮こませたが、帰るとぶっきらぼうに宣言する彼に従うべくグラスを置いた。そのまま手首を掴まれて、急ぎ足にドアへと向かう。私は足をもつれさせながら、残るメンバーに頭を下げるので精一杯だった。




店を出て足早に車へと向かう爆豪くんを必死に追う。車を発進させる間も、走り出してからも、二人とも無言だった。ラジオの音すらない車内はエンジンの音が響くのみ。うーん、気まずい。気まずすぎる。
夜、そう二度目の夜だ。私達がそういうことに踏み出したのは昨日が初めてで、でも今夜も一緒のベッドで寝るんでしょ?また相応の覚悟をもって寝室に行かなければならないんだろうか。いや、今日は何もしないからってソファに寝かされるのかも。
隣の彼を見れば、下唇を突き出して進行方向を睨んでいる。他の誰かに何かを左右されたくない彼のこと、揶揄われたのが面白くないのだろう。だったら今日は何もしないのかもしれない。赤信号で車が止まる。舌打ちも出た。あぁ、やだな。このままだんまりで、突き放されたまま夜を明かしたくない。
「爆豪くん」
「黙ってろ」
「でも」
「黙ってろマジで」
「…こっち向いて」
「だからなん…っ」
助手席から身を乗り出して、精一杯身体を伸ばして。黒のジャンパーの襟を引き寄せた。私から爆豪くんの唇に触れるのはこれが初めてだ。表面を掠めるだけの一瞬。それでも彼の表情を変えるには十分だった。
さっきまでの難しい顔を忘れてしまったように、呆然とこちらを見ている。対する私はといえば、勢いとはいえ大胆な行動をとってしまったことに後から気がついて、顔も目の奥さえも熱い。今日一番顔を赤らめている自信がある。それから、精一杯、一言だけ。

「ソ、ソファで寝かさないでね」

紡いだ声はめちゃくちゃ震えていた。何震えてんだ情けない。縋るように襟を掴んでいた手はするりと解けて重力に従った。指先が厚い胸板を撫でて下に滑っていく。ねぇ、何か言ってよ。ジャンパーの裾に辿り着いた指は未練たらしく縁を摘んだ。柔らかい革の感触。まだリアクションはない。落としていた視線を恐る恐る上げる。
精一杯の言葉はまた爆豪くんの表情を変えていた。何かに耐えるように眉を寄せて、目を逸らして、口元を手で覆う。その口端が僅かに緩んでいるのが見えてしまった。逸らしても分かってしまうくらい、彼は動揺している。
信号はとっくに青に変わっていた。強くアクセルを踏んだ爆豪くんは上機嫌と分かる声色で言い放つ。
「…てめぇ家着いたら覚悟しとけ」
それは、昨日の夜と同じ覚悟でいいの?上がる心拍数を落ち着けるようにシートベルトを掴んだ。家まであと五分くらい。その間また無言だったけれど、さっきの気まずさと違って妙に温かかった。

(2020/9/7) <PREV▼ TOPNEXT >