「恋人」の構文は難解

 7 |アメリカ三日目

パタン、と控えめに扉が閉じる音で目が覚めた。朝の光が厚いカーテンの隙間から漏れている。爆豪くんは既にベッドには居ない。ぼんやりした視界で時計を確認すると。
「ん…6時前…?」
きっとジョギングから帰ってきたんだ。いそいそとベッドから抜け出して玄関へと向かう。
リビングと玄関を繋ぐ廊下に出ると、靴を脱いだ爆豪くんと目が合った。黒の上下のトレーニングウェア、発汗を促す通気性のあまりないやつだ。汗をコントロールするための鍛錬だろう。
「おはよう」
「ん」
気の無い返事。その時私の目を引いたのは、右腕にあるリストバンド。忘れるわけもない、雄英時代にあげたものだ。同じもの入手していなければ間違いないのだが、わざわざ指摘するのは無粋な気がしたので、言及はしないでおいた。
けれど心はムズムズしてしまう。努めて顔に出さないようにしてみたものの、爆豪くんが顰めっ面をしているのを見るに、多分隠しきれてなかったみたい。
「…ンだその顔」
「いやぁ、なんか嬉しくなって」
「キメェな」
だって頬が緩んでしまうのはしょうがない。彼はあまり口にしないけれど、見えないところでちゃんと私を認識してそばに置いてくれているのだと確認できたのだから。そんな浮かれ頭のまま、バスルームへと向かう彼に声をかける。
「あ、シャワー?朝ごはん作っておこうか」
「もう出来てんぞ」
「はい?」
「てめぇがグースカ涎垂らして寝てっからだわ」
涎!?慌てて口を拭えば鼻で笑われた。揶揄われたのだと気付いたけれど、寝ていたことは事実である。むくれずにはいられない。起こしてくれれば私だって一緒に走りに行ったのに。
そんな不満げな視線に気付いたのか、彼は開きかけた扉をそのままにして提案してきた。
「トーストくらいなら焼かせてやらんでもない」
「やります!やらせてください!!」
勢いよく手を挙げて志望した。ここで張り合わなくては将来的にやばい。いや、もうだいぶ向こうにイニシアチブを取られている状態ではあったが。
「俺のは三枚焼け」
三本指を立てた爆豪くんがバスルームに消える。それを見届けた私はキッチンに向かい、与えられたミッションを粛々と遂行した。




「そういえば、買い物って何を買うの?」
「服」
トーストを大口で齧りながら、その二文字だけを伝えてきた。卓上にはハムエッグにマカロニサラダ。焼いただけのトーストにアボカドを乗せたのは私ではなく、シャワーから戻った爆豪くんだ。彼はチリソースもつけていたが、私は丁重にお断りした。
「上着、駄目にしたろうが」
「ん?」
「昨日、破いたやつ」
「え、あれ?私の服を買いに行くの?」
「他にあっかよ」
なんて、さも当然のように言ってのけてくれる。だから別にいい、とは言いづらかった。一緒に行動できるのならどこだって構わない。完熟のハムエッグを半分にしながら、彼が続ける。
「んで、海外来てんだろうが。なんか行きたいとこねぇんかよ」
「そう言われてもな…爆豪くんに会うこと以外考えてなかったんだもん」
「…地球の裏側までご苦労なこった」
爆豪くんはカップに残ったコーヒーを飲み干してお皿を纏めはじめた。私がパン一枚をのそのそと食べている間に、彼はその三倍を綺麗に食べ終えてしまった。口の大きさの違いだろうか、などと考えていると、ついでに昨晩のことも思い出してしまう。あの口で散々色んなところを噛まれたこととか、歯の感触とか、諸々思い出してしまって駄目だ。
顔を上げると、赤い目と目が合った。もうお皿を下げていると思ったのに、彼はずっとこちらを見ていたようだ。無言のまま、あちらの目線が少し下がる。なんだか落ち着かないな。
「つかてめぇ、いつまで寝巻きで居ンだよ」
「え、あっ」




「てめぇの私物置いてったら捨てるかんな」
「だ、大丈夫。ちゃんと確認したし」
寝室、バスルームを見渡してもう一度確認する。二日と少しお世話になったこの空間は、どこもかしこも爆豪くんの気配しかなくて、去るのが惜しくてたまらない。後ろ髪を引かれながら扉を閉めると、玄関の外で爆豪くんが急かす声がした。
外に出ると、置いたはずのキャリーバックがなくなっている。えっ、置き引き?!と一瞬青ざめそうになっていた私に向かって、彼が言い放った。
「キャリーならもう車に積んだわ。はよ乗れや」
「え!あ、ありがとう」
家に鍵をかけようとする彼と入れ替わりのように車に向かった。助手席からもう一度、その部屋を眺める。もうすぐ日本に帰ると事務所長は言っていたから、もう見る機会はないのだろう。けれど、どうしても記憶しておきたかった。
施錠を確認した爆豪くんが車に戻ってくる。いつものサングラスをかけながら、車のエンジンをかけた。
「おい、昼食いてぇモン考えとけ」
「そうだねぇ…なんかさっぱりしたものがいいな」
「アメリカでそれ言うンか」
「はは、確かに」
車が発進し、窓から家が見えなくなってからようやく前を向く。爆豪くんは運転が上手だな、なんて言ったら馬鹿にされるだろうか。それとも当たり前だと鼻で笑われる?そんなことを考えてまた見入ってしまっていたから、頭を勢いよく小突かれた。見るな、と横目で訴えられたけど、自然と目が向いてしまうので許して欲しい。
アメリカ三日目の朝、今日もよく晴れていた。




少し車を走らせて、郊外のショッピングモールに車は止まった。マーケットでもそうだったけれど、日本とは違う風景についキョロキョロと目移りしてしまい、その度に爆豪くんに急かされる。最終的に、ふらふらしていた私の手首を掴んで強引に連れて行くのが最も有効な手段だと思ったようだ。手首を引く手はあまり優しくはないけれど、合わないはずの歩幅は私のペースに合っている。
「行くお店決まってるの?」
「たりめぇだろ。余所見してんじゃねぇ」
立ち並ぶアパレルショップの中、ひとつの店に立ち入った。男性向けも女性向けも取り扱う店内は親子連れも多く賑やかだ。そんな中、迷いなくレディース向けに歩いていく爆豪くんに少しぎょっとする。
「おら、選べや」
良かった、選択権はあった…。急かされるままとりあえず棚の前に立って服を見ていく。その中からピンときた薄いグレーと濃いネイビーの上着を手に取った。
「どっちにすんだ」
「悩むなぁ…。どっちがいいと思う?」
「どっちでも変わんねぇわ」
と言いつつも、サングラスの下の目が真剣に服を品定めしている。破れた服はお気に入りではあったけれど、それほど高い買い物ではなかったから直感で決めて欲しいと、選べない自分を棚に上げて思った。
彼のジャッジを待つ間に、広い店内を見渡す。大きめのサイズの服も色々壁に掛かっていて、それを眺めるのもなかなか楽しい。そのうちのひとつにふと目が止まる。真っ黒だから、と安直に脳が判断したとも言える。
「爆豪くん、あれ似合いそう」
「あ?」
「ほら、あのクマのやつ」
黒地にリアル画で描かれた熊の絵。吠えている姿がなんとなくヴィランを前にした時の爆豪くんだなぁと思っただけなのだが、それを目にした彼は暫く見つめた後、通りかかった定員を捕まえる。指差しと流暢な英語で速やかに商品のオーダーをしていた。
「え、買うの?」
「買う。てめぇの、こっちでいいな」
薄いグレーの上着を指して、選ばれなかったものは棚へ。そのまま流れるようにレジカウンターへ向かう爆豪くんを呆然と見つめていたが、『カードで』と告げる口先を見て慌てて駆け寄った。
「待って待って!払うよ!」
「はぁ?いらねーわ」
「だって服は別に爆豪くんのせいじゃないし、私が選んだやつだって私に買わせてよ…」
「しつけぇ、いらねぇ」
きっぱりと断った爆豪くんは、私たちの問答を見守っていた店員さんに向けてカードを差し出す。あっという間に精算が終わって、二つの手提げ袋を受け取った。一つを私に差し出してくる。まだ不服だと燻った視線を向けている私に、舌打ちしながらも伝えてきた。
「次、何かあった時にてめぇが払えや。それでチャラだ」
次。次って何だ。私が意図を汲めずに怪訝そうな顔をしていると、分かれや、と言わんばかりの低い声が続けた。
「今回で終わりじゃねぇだろ。何か買うのも、金払うのも」
次に、と約束を繋いできた雄英の頃があった。私たちの関係がこのまま続いていくならば、次は何回もある。彼はそう言っているのだと理解して、心は歓喜に沸く。
「前の呑みン時もよ、」
「うん?」
「いつも割り勘にしてきやがるてめぇに、俺ァ心底腹が立った」
「それは…だって、対等でしょ、私達は。そう思ってたんだよ。おんなじヒーローなんだし」
「んなこたぁ分かりきってんだよ。その場で終わらそうとしてんのかと思っとったんだわ俺は」
思い返してみれば、あの気まぐれと思われたご飯の誘いを繋いでくれたのは、間違いなく爆豪くんのメッセージだった。私からはたった一度しかお誘いをしていない。なんとも薄く細い関係だった。あの淡々としたメッセージに込められたものは、思いの外真摯なものだったのだ。
「…わかった。じゃあ次は私が払うから」
「精々俺より先にカード出せるようになっとけや」
「ちょっ…次って言ったじゃん!なんでまた先行するつもりなの?!」
「ハ、悔しかったら俺に勝ってみろやブス」
彼女に中指立てて煽ってくる彼氏なんて早々お目にかかれなくない?そうやって宣戦布告された私はまんまと焚きつけられているので、結局似た者同士なのだ。




お昼を過ぎ、二階のオープンカフェスペースで他愛のない話をして、そろそろ別の所へ行こうかと思っていた矢先。突然強烈な地響きがモール内に広がった。確実に自然現象ではない揺れに、思わずテーブルにしがみついて辺りを伺う。皆がざわめき悲鳴を上げる中、隣に問いかけようとする前に聞き慣れた爆破音が轟いた。
「ちょっ、爆豪くん!?」
「てめぇそこ動くんじゃねぇぞ!動いたらブッころす!」
私と荷物を置き去りにして、爆破の主は二階から勢いよく飛び出して行った。爆破の余韻を受けながら、状況を整理してトレーを持って立ち上がる。置き去りにされた私は周りの喧騒とは真逆で、冷静に店先にトレーを返却し、慌てて後を追う。とはいっても、飛べる彼とは違うので先に階段を見つけなければならない。ああもう!
「なんで置いてかれなきゃなんないのよ!私だってヒーローだってさっき言ったばっかりじゃん!」
地響きの震源は東の方だ。二人分の荷物を抱え、流れてくる人に逆行し、押されながらも突き進む。途中で同職であろう人たちも同じ方向へと真っ直ぐ進んでいた。
二度目の地響きに思わず上を見上げた。天井の無事を確認してまた進む。今度は最初の地響きより近い。これだけの振動なら大型のヴィランだろうか。向かって逃げてくる人波もまばらになって、大きく視界が開けた。
吹き抜けのホールで暴れていたのは、三メートルはあろうかという色々な物体の集合体だった。ベンチや街灯、店先にあった商品を巻き込んで巨大化しているらしく、周りにある無機物が吸い寄せられていた。物が集まっているモール内では餌を与えているようなものだ。
『周りのガラクタのせいで効いてないぞ!』
『私の個性では奴を増長させてしまう…クソッ!』
攻撃系のヒーローが一撃を加えても、周りに集まった物が剥がれるだけで、決定的なダメージは与えられていない。こういうのは、真ん中に大元が居るのがセオリーだろう。集合体を一と捉えて分割できれば…。
周りのヒーローの足止めや、上空からの爆破。私は巨体に向けて手をかざした。
「ぐ、ぬ!」
集合体の意識がそちらに向けられたのを確認し、『分割』の個性でもって真ん中をこじ開けようとする。向こうも意地でも原型を保とうとしているのか、綱引きのような力の引っ張り合いになった。あぁ、くそう、往生際が悪い!
「負ける、もんかぁ!」
ぐ、と歯を食いしばって、踏ん張って、集中する。勢い良く振り回された自転車や柵が私に向かってきたけれど、相手の抵抗に構ってなどいられなかった。ぶち当てられてでもやってやる。
そこに景気のいい爆音が轟いた。私に向けられた攻撃を私の代わりに引き受けてくれる、とっても気前のいいヒーローだ。
「おい気張れやブス!」
言われなくてもやりますよ!でも言われたからこそ、もっともっと頑張れる。ここで私が頑張れば、ヴィランを確実に爆破してくれる人が隣に居る。
「割、れろぉ!!」
渾身の力を込めて叫ぶ。瞬間、バリバリと色んな物が軋む音がして、巨大な集合体が真ん中から真っ二つになった。重力に従って落ちるガラクタと化した商品や建物の破片の向こう、おそらく物を集めて固める個性を持つであろう人間がその中にいた。
それを目掛けて、誰よりも早く飛び込んでいく橙色の眩い閃光。暴力的な爆破の予兆とは思えない火花が、パチパチと散って溢れる。
「死ねやクソヴィラン!!!」
雄叫びとともに圧倒的な爆発が起こる。その爆破は、私が日本で画面越しに見た、力強くて眩しくて、誰にも負けない光だ。




軽傷の人が数名出たものの、被害は最小限に抑えられた。ホールはめちゃくちゃになってしまったけれど、アメリカのスケールだとボヤと同じレベルらしい。本当だろうか。
集まったヒーローに次々と労いの言葉をかけられ、片付けは任せろと早々に現場を追い出されてしまった。捕まえた黒焦げヴィランは既に連行され、軽い事情聴取も終わり、そして今何をしているかといえば、爆豪くんにお説教されています。
「てめぇ!待ってろっつったろうが!!」
「はぁ…それ機転を利かせた私に言う台詞かなぁ」
「アメリカまで来て出しゃばってんじゃねぇブス!あー、クッソ、変なモン取り込みやがってクソヴィランが…」
どうやらヴィランが取り込んでいた液体のボトルを爆破で突き破ったらしく、上着がびしょびしょに濡れていた。対爆のヒーロースーツでもない私服で出ていく爆豪くんも大概だよ。
荷物を抱えなおしながら、ふと手元を見る。さっき買ったばかりの服が丁度良くそこにあった。
「ねぇ、どうせだから新しいの着てみてよ」
「ア?」
「さっき買ったやつ。待って、今タグ外すから」
紙袋から新しい服を取り出して、値札のタグを外す。濡れた服が気持ち悪かったのか、既に上着を脱いでいた爆豪くんに手渡した。しばし渡したそれを見つめていたが、替わりのように濡れた服を投げ渡してきた。そうして、新しいクマの咆哮の服を着た爆豪くんが完成した。
「うん、バッチリ。吠えてるとこがすごい爆豪くんぽい」
「…てめぇン中で俺はクマなんか」
「クマかどうかは分かんないけど、猛獣としては合ってるかも?」
「ア゛ァ!?」
そうして、ここでようやくアメリカに来て初めての容赦ないアイアンクローを決められたのである。




賑やかだったモールを離れ、空港までの車内での会話はなかった。もうすぐまた会えなくなってしまうのに、上手く言葉が出ない。車窓から見る景色を見てる場合ではないのに、色々溢れてしまいそうで爆豪くんの方を見ることもできなかった。
駐車場まででいいと言ったのに、彼は律儀に私のキャリーを引いて搭乗カウンターの前までついて来た。私も断らなかった。前を歩く広い背中をずっと見ていた。
搭乗手続きの時間まであと少し。何か言わないと、と焦るばかりで言葉なんて全然湧いてこなかった。横目で彼の方を見れば、あちらも何か言いたそうな目をしている。
離れ難いのは私だけではなかった。
「爆豪くん、色々ありがとね」
「ンとにな。帰ったらクソデクにシメるって言っとけ」
「…なんでバレてるの」
「他に居ねぇだろ。俺の情報渡せる奴なんてよ」
「あ〜…、そこは私に免じて許してよ。三日間、すごく楽しかったし」
「楽しかっただけかよ」
「や、それは…。色々…あったなぁとは思うけど…」
ふん、と鼻を鳴らして、それ以上は言ってこなかった。本当に、三日間色々あった。想像も予想もしてなかったことも含めて全部、私にとっては良かったことだと思う。だから、緑谷くんに危害が及ぶようであればまたフォローをしておこう。
しばらくまたどちらも無言だったけど、思い出したように爆豪くんが財布から何かを取り出して、私の前に突き出してきた。…カード?
「これ持っとけ。いいか、絶対失くすなよ」
「えっ、なに?そんな念押しされるの怖いんだけど…何のカードなの?」
お店で出していたクレジットとは違う、裏も表も真っ黒な光沢のあるカード。傾きを変えると薄っすらと何か文字が見える。どこかの会員制のお店にあるゴールドカードよりランクの高いブラックカード、そんな感じの雰囲気につい持つ手も震えた。
「俺の部屋の鍵。日本の」
「えっ、えっ、うわっ!」
あれだけ住所を渡すのを渋った部屋の、大事な鍵。その正体を聞かされて、驚くなという他が無理である。慌てて手からこぼれ落ちたカードをまた掴み損ねて、両の手のひらの間でカードは何度も踊った。地面スレスレでようやくキャッチし、その存在を確認し、安心して大きく息を吐いた。しかし、すぐさま上から容赦のない雷が落ちてきたのだ。
「ゴルァ!失くすなっつっとんだろが!しばくぞてめぇ!」
「だって!そんな大事な物、怖いから渡さないでよ!」
「うるせぇ!持ってけやボケ!」
しばしの押し問答の末、カードは私の上着のポケットにねじ込まれた。その僅かな重みに怯んでいると、赤い目が真っ直ぐに私を見る。そして一言。
「俺が日本帰ったら、部屋に来い」
日本の爆豪くんの部屋。私はまだそこに足を踏み入れたことはない。住所は聞いたけれど、行く勇気はなかった。いつか入れてもらえるだろうかと思っていたその部屋に、家主直々に招かれている。
彼はどういう意味でこのカードを私に渡してきているのだろう。アメリカまで来て、同じ空間で生活して、それが案外心地いいものだと気付いてしまった。少なくとも私はそうだ。もし、爆豪くんも同じ気持ちなら、一緒に暮らす日は近くてもいいのかもしれない。
「…そ、れって同居って意味?」
「……ア?」
「あれ、違う?」
「ほぉん」
「え、なにその顔、なんか、」
「………てめぇがそれでいいなら話は早ぇ」
「えっ、嘘待って!やっぱ遊びに来いって話だった!?」
「今更遅ぇわ。荷物纏めとけブス」
その赤い目が、心底楽しいと言わんばかりにゆるりと細まる。ああ、ずるいなぁ。その目を見た私は、もう否定も言い訳もできないのだから。ポケットの上からカードを握りしめて、辛うじて肯定の言葉を伝える。感極まった声は震えていた。
搭乗のアナウンスが流れる。残念、ここまでだ。
随分と機嫌の良くなった爆豪くんの表情を見つめながら、私も精一杯機嫌の良い顔で返す。
「じゃあ、またね」
「ん」
「電話するからね」
「寝てる間にかけて来ンなよ」
手を降り搭乗カウンターへと歩き出す。振り返してはくれなかったけれど、私から見えなくなるまで爆豪くんはずっとそこに立っていた。壁面の向こうに見えなくなってしまうと途端に恋しくなる。さっきまでふざけていたのに、もう声を聞きたくなる。
だから、早く日本に帰ってきて欲しい。ポケットの上からもう一度カードを確かめた。これが爆豪くんとの次の約束なんだと、確認するように。

(2020/10/2) <PREV▼ TOPNEXT >