「恋人」の構文は難解

「恋人」の構文は難解

 8 |爆豪くんが帰国した話

私がアメリカで過ごした三日間から約一ヶ月。テレビのニュースは生中継でヒーローの凱旋を伝えている。長くアメリカに滞在していた爆豪くんが、今日いよいよ日本に帰ってきたのだ。
カメラのフラッシュが画面をチカチカと点滅させている。多くの報道陣が到着ロビーに待ち構え、黒ずくめサングラスの爆豪くんにマイクを向けて質問を投げていた。『アメリカの事務所との連携についてお答えください』『新規事務所を立てるとの噂ですが』などなど、必死に食い下がるマイクに全く見向きもせず、ズカズカ通り過ぎていく姿は圧巻である。ほんとに一言も言わないで行っちゃうのか。これから事務所を立てるのにメディア戦略は大丈夫なんだろうか。なんてことを考えるのだけれど、爆豪くんだからそれなりに考えているのだろう。多分。
「お迎え、行かなくて正解だったなぁ」
ぽつんと零した言葉には寂しさが混じったけれど、あんな場所にいたらもみくちゃにされてしまう。そう思ったから、爆豪くんも帰国前に来るなと念押ししていたのだろう。
まぁ、来いと言われても行けなくなったんですけど。ため息は個室の中に消えた。白い壁、白い天井、白いベッドの上は退屈だ。




病院に入院していることは帰国直前に爆豪くんにバレてしまった。到着するその日の予定を聞かれたので、正直に[いま病院]と打ち返すと、そこからは罵倒が20個ほど連なり、トドメとばかりに[カス][ザコ]のスタンプを頂いたのち、最後に病院名を問うメッセージが入ったのだ。多分、教えなかったら鬼電が来ると思って素直に答えた。それが彼が飛行機に乗る前の話。
現在、その爆豪くんが病室に襲来しています。
「具合は」
「大丈夫。もうすぐ退院するし。背中から落とされて何本か骨折れたみたいでさ」
「ハッ、無様」
パイプ椅子に腰掛けて踏ん反り返っている爆豪くんは、さっきテレビで見た格好のまま。時差も長時間のフライトも相まって疲れているだろうに、帰国したその足でここまでやってきたのだ。こんな姿をできれば見られたくなかったけれど、顔を見て話したかったので喜んで迎え入れてしまった。
「長旅おつかれさま。それと、おかえり」
そっぽ向いた顔のまま「おう」とだけ返事が返ってくる。日本で爆豪くんと話すのはいつぶりだろう。窓から入る陽を背に受け、きらきらと輝く金色はいつもより眩しく感じる。横顔だって肌を晒しているとは思えないほど色素が薄くて、黒い服装とのコントラストが映える。
しかし、その位置は遠い。私がいるベッドの足元辺りに陣取っている爆豪くんは、そこから微塵も動く気配がない。物理的距離を感じる。そりゃあ、久々に会った彼女が病院に居るのは面白くないだろうけど、そんなあからさまに怒らなくてもいいじゃない。
「…爆豪くん」
「あんだよ」
「もうちょっとこっち来て。遠い」
「あ?」
手を伸ばして距離を訴えた。いくら大丈夫とは言っても、こちらはまだ入院中の身なので多少は譲歩してほしい。そう思って呼んだのだが。
「アメリカよかなんぼか近ぇだろ」
「意地悪なこと言わないでよ」
「動けなくなるような馬鹿が悪いんだろが、ア?」
「せめてあと30センチ」
「寄らねぇ。ベッドの上で動けねぇ馬鹿ザコカスに同情する気はこれっぽっちもねぇ。死ぬ気で反省しとけブス」
それきりスマホを弄りだしてしまった彼の眉間には多めに皺が刻まれている。空港から直行でここまで来てくれたことといい、きっと心配してくれたのだと思う。私に甘えるなという振りをしながら、すぐには帰らない彼に嬉しくなって色々話しかけた。たまに相槌しながら、それから10分くらい私の何でもない話に付き合ってくれていたけれど、やはり疲れているのか、ふぁと大きな欠伸が出てきた。
「ごめん、疲れてたよね。もう帰る?」
「…帰って寝る」
スマホをポケットに入れて勢いよく立ち上がった。荷物は家に送ったらしく、コンビニにでも行くような身軽さはとてもスマートだ。唯一の持ち物であるボディバックから黒のキャップと、紙袋を一つ取り出している。なんだろうとじぃっと見ていると、ぽすんとベッドへ向けて袋が投げられた。
「やる」
そのまま一歩も近づかず、彼は病室を出て行ってしまった。有言実行、寄らないと言えば寄らないのだ。しかし。あぁ、やっぱり意地悪だ。そんなベッドの端に置いていくなんて。
なんとか手を伸ばしたりシーツを引いて紙袋を手繰り寄せた。包装の上からの触り心地からするに雑誌のようだけれど、英字の袋ということはアメリカで買ってきたのだろうか。お土産というには味気ない気がするのだが、わざわざ渡してくるのだから何か特別なものなんだろう。
慎重にテープを剥がして取り出す。半分ほど引き抜いたところで、表紙の彼と目が合った。それはアメリカのヒーロー雑誌だった。
「う、わ」
光沢のある表紙を飾っているのは眼光鋭い爆豪くんだ。ヴィランに向けるような吊り上がった目、今にも暴言が飛び出しそうな口とそこから突き出た舌、極め付けはこちらに向け挑発的に立てられた中指。えっ、ヒーロー雑誌だよね?と裏返したりして確認してしまうくらいには粗暴でヒーローらしからぬ表紙にまず圧倒された。らしからぬ、だけどどこからどう見ても爆豪くんらしい。しばらくその表紙と見つめ合ったまま目を逸らすことができなかった。剛体なフォントで書かれた「EXPLOSION HERO」ってそのまんまだけど、この表紙のインパクトに負けないテキストだ。
「これ、中まで…?」
恐る恐るページを繰る。最初のページから十数ページに亘って爆豪くんの特集が組まれていた。ヒーロースーツの時、トレーニングウェアの時、私服で向こうの事務所の面々と居る時。どこを捲ってもストイック、そしてカメラを向けられれば尊大。私の知らなかったアメリカでの彼がそこにいた。文字の方は頑張らないと読めないので、すっ飛ばして写真だけを追った。それでもかなりの情報量だった。
さっきまでメディア戦略に不安を抱いていたというのに、あっさり完璧だなぁと思うのもどうかと思うが、しかしかっこいいなんてもんじゃない。こんなものを見せられて、私はあと何回爆豪くんに惚れ直せばいいんだ。かっこいいなんて当たり前すぎて忘れそうになっていたけれど、彼は常に上を目指していくヒーローなんだから。
うん、彼が私の雑誌を持っていた気持ちが少し分かってしまった。表紙をするりと撫でてまたその眼光と目を合わせた。思わず頬が緩んでしまうのはもう仕方がない。
熱冷めやらぬうちにと彼にメッセージを送った。
[雑誌ありがとう!インタビューとかまだちゃんと読んでないけど、やっぱり添削されてる?スラングがないなぁと思って]
返信は期待していなかったのだけど、ややあってスマホが鳴る。
[勝手に変えられんだよ]
ああ、海外でもそのまま使ってもらえないんだ。思わず笑ってしまった。この場に彼がいなくてよかった。
[この表紙、すごくいい。ポスターとかないの?]
[だから、そういうのは居るときに言えや]
[だって、すぐ帰っちゃったじゃない。
…じゃ、なくて。あの、来てくれてありがとう、おやすみ]
最後に送ったメッセージはなかなか既読にならなかった。帰りがけにどこかで寝てしまっていたらどうしよう。爆豪くんに限って、そんなことないよね。今すぐ追いかけられないという事実がじわじわと不安ともやもやを助長させた。スマホと雑誌を抱えて布団に潜り込み、なるべく考えないように眠りについた。




翌朝。スマホの画面に爆豪くんからの返信通知あった。よかった、無事に帰ったんだ。液晶を指でなぞると画面が切り替わる。昨日のメッセージの続きだ。
[ポスター、くれるとよ]
ポスター。私が絶賛した表紙の画。きっと向こうの出版社に掛け合ってくれたんだろう。感極まって、胸がいっぱいになって、スマホを抱きしめた。それから私の中で一番喜びを表していると思うスタンプを5回くらい送った。それくらい嬉しかったし浮かれていた。後から爆豪くんに[うるせぇ]と怒られて然るべき浮かれ具合だった。




爆豪くんの帰国に合わせて同級会が企画された。出席と返事した矢先の入院でかなり焦ったけれど、どうにかその日までに退院することが出来てほっとした。というか当日に退院したのだ。無理に出なくてもいいと飯田くんは言ってくれたけれど、行かないという選択肢は最初から存在しない。
積まれた洗濯物も郵便物も一切手をつけられず、身支度もそこそこに家を出た。部屋の施錠を確認して階段を降りると、アパートの入り口に人影があった。過去の嫌な経験から最大限に警戒するが、どうも見慣れた姿のようで。
キャップのつばの下から赤い目が覗いていた。
「あれ」
「やっと出て来やがった」
「爆豪くん、どうしたの?」
「どうしただァ?クソみてぇな病み上がりを拾いに来てやったのによ」
「えっ、」
今日の同級会の主役はあなたでしょうに、と口をついて出るより前に、彼は先んじて歩き出している。相変わらず先行型な背中に慌てて続いた。
暗い夜道でも目印になる金色のたてがみを追いながら、自然と気分は上向いた。長く日本を離れていたシルエットが、今はもう目の前を歩いているのだ。もう海外のニュースに噛り付いたり、時差を気にして電話をする必要もない。なんなら、その体温さえ手を伸ばせば届く距離にいる。
「通院とかリハビリは。いらねぇんか」
背中ばかり見ていたところに、不意に声がかけられた。夜の静かな闇の中で、その声ははっきりと耳に届く。
「うん。様子見ではあるけど」
「大体、何だよ背中から落ちるとかよ。クソダサすぎて呆れてものも言えねぇわ」
「そ、そうですね」
うっ、お小言が辛い。ビシビシ刺さる。じとっとした目で見られていないだけまだマシだけど、迎えにたんじゃなくて叱りに来たみたいじゃないか。不甲斐ないのはもう身に染みているから、これ以上追い討ちをかけないで欲しい。
そうやってべこべこに凹まされながら駅まで辿り着いた。私にとっては通い慣れた、目を瞑ってでも改札を通れるくらいの駅だ。多少の誇張はあるが、それくらいに馴染みの駅で、私はあろうことか段差のことを失念して足を踏み出していた。
「っ、わ!」
つま先ががつんと段差に勢いよくぶつかって前のめりになった。地面が急に目の前になる。手をついて擦りむくか、膝を打つか、どちらにしても避けられないと直感する。あぁ、恥ずかしい。やってしまった。脳が痛みを予想して目を瞑れと叫んだ。
…はずなのだが、予想を裏切って力強い腕に抱えられていた。
「…っぶねぇな、」
いつの間にか隣に居た爆豪くんが、私を抱えながら詰めていた息を吐いた。ぼうっとしていた私と違って、ちゃんと周りを見てくれていたんだろう。益々立つ瀬がない。
不安定な体勢から引き起こされ、地に足をつけて。びっくりした心臓がまだドキドキしている。怪訝そうに見てくる彼に、まずお礼をしなければ。また追加でお小言を言われてしまいそうだ。
「ご、ごめん…ありがとう…」
「てめぇ、マジで大丈夫なんだろうな」
「ほんとに大丈夫!今のはその、ぼーっとしてたから…」
精一杯の主張であったが、彼は納得していないように眉間に皺を寄せていた。今日退院したばかりだというのも相まって、何を言っても信じてもらえなさそうなのが辛い。しかし、どうしても行きたかったのだ。私はまだ爆豪くんにお迎えらしいことをまだ全然できていない。だからこの同級会に参加するのはケジメでもあるのだ。
はぁ、と上からため息が聞こえた。そりゃ、呆れますよね。つまらない意地を張っているのは分かっている。分かっているけれど。ここが駅の入口で、往来のど真ん中だということも分かっていたけれど顔を上げられなかった。
俯いている私の目の前に、ずいと右腕が差し出された。誰の、なんて馬鹿なことは言わない。顔を上げると、赤と視線が交わった。
「掴まっとけ」
「え」
「はよしろや。レンタル料取んぞブス」
有料でも構わない、と思いながらその腕にしがみついた。確かめるように歩き出した足に続いて足を動かす。夢だろうか。本当に恋人みたいだ。そんなとこを言ってしまったらまた怒られるかもしれない。
力強い腕に引かれるまま、駅の改札を通過する。誰かに見られてるかもなんて余計なこと、考えもしない。私には目の前の爆豪くんしか見えていないのだから。




「お、バクゴー来た!」
「一緒に来たの〜?」
「よっしゃ揃った!!」
「早く座って〜!」
入る前にどちらともなく身体は離れていた。たどり着いたのは、今日の同級会のために貸切にした店。既に揃っていたメンバーに出迎えられ、私と爆豪くんはそれぞれ空いている席についた。飯田くんが長い長い前置きをし、痺れを切らした上鳴が話を横切って乾杯の音頭をとった。
「爆豪はいつ事務所を立てるんだ?」
「一月後。契約とか色々あんだわ」
「いよいよA組から独立する奴が出るんだなぁ」
「え、轟が先じゃん!」
「俺は親父のを継いでるだけだ。それ言ったら飯田んとこもそうだろ」
「あ、確かに!」
賑やかな会話に雄英の頃に戻ったみたいな錯覚に陥るけれど、みんなもうちゃんとしたプロヒーローだ。メディアに出てからCMに起用された者もいるし、自分でラジオ放送を始めた者もいる。まぁ後者は上鳴ですけど。
そういえば、芦戸さんがこないだCMしてたリップも気になってだんだっけ。今聞いてもいいかな。そうやって二つ隣の彼女に話しかけようとした時。
「爆豪!アメリカで彼女できたか!?グラマーな金髪美人か?!」
こういうところは怖いもの知らずなんだよな、峰田くん。お酒が入って調子に乗っているのかもしれない。それに続いて数人が身を乗り出していた。かく言う私も気がつけば芦戸さんに向けていた視線を爆豪くんにロックオンしていた。彼が私のことを何と言うのか、気が気でなかった。
「あほか。あっち行く前に囲っとるわ」
囲う。そうきたか。いや、待って。囲ったのは私の方じゃない?そんな脳内問答は置いておいて。
多分、爆豪くんは何の気なしに言ったんだと思う。けれど、A組の面々からすれば寝耳に水だ。さっきまでワイワイやっていた声がしんと静まり返って、視線が一気に爆豪くんに集中する。今日は誕生日席に居るから余計に。
「は、初耳なんだけど!?」
「いつの間に!?」
「裏切り者ォ!!」
「本当なのか?イマジナリーではなく?」
そしてクラスの面々から一斉に尋問が始まった。さりげない失礼な言葉にも爆発しないだけ成長が伺える。そんな爆豪くんは心底面倒臭そうな顔をしていた。真っ赤になるまで七味を振った焼き鳥を食べたいけれど、物を食べながら答えたくはない。どうするか、といった感じに。
「えっ、だ、誰なの?私らが知ってる人?」
「さーな」
(あ、言わないんだ…)
「爆豪、彼女にちゃんと優しくしてる?暴言吐いてない?」
「どうだろーな」
(暴言は吐かれてるなぁ…)
「もうヤったのか!?ヤりまくりか!?」
「…………まくってはねぇ」
(なんでそこだけ正直に答えるの…!)
繋ぎにグラスを傾けながらのらりくらりとかわす。その反応をリア充の余裕と受け取ったのか、峰田くんがすごい顔になっている。爆豪くんとは違う意味でヒーローがしちゃいけない顔だよ。
しかし、そちらに突っ込むような真似はしなかった。彼がはぐらかしているのだから、私もそれに倣うべきだと思ったからだ。関係を知っているはずの緑谷くんと轟くんはマイペースだし、わざとバラすようなことはないだろう。現に麗日さん、飯田くんと別のグループを作って会話をしている。私もそっちに混ぜてもらうことにした。どちらかの話題に乗れといわれたらこっちしかない。私は嘘が下手なので。
テーブルの向こう、まだ質問攻めを右から左へ流している爆豪くんとふと目が合った。みんなに気付かれないように少しだけ手を挙げて笑ってみる。すると、見事に目をそらされてしまった。周りがうざったくなってイライラしているのかもと思ったが、彼のほんの少し赤くなった耳を見るにそうではないようで。
爆豪勝己という男はわかりにくいようで、案外わかりやすい。取り扱いは難しいけれど、間違えなければちゃんと好意を行動として返してくれる。それが数年追いかけてきた私なりの研究結果だ。
しかしまぁ、本人は認めないだろうけど、照れる姿をああも素直に見せられるとこちらも穏やかではいられない。きっと私の耳と頬も同じような色に染まっているのだろう。今日はお酒を飲んでいないから、誤魔化すことができないのに。
「良かったな」
私にしか聞こえないほどの声で、向かいの轟くんが言った。笑ってる。見られた。赤い顔を隠すように小さく縮こまる。それは、何に対しての良かっただろうか。爆豪くんが帰ってきたこと?それとも仲が順調なことだろうか。隣にいた緑谷くんまで同じような目線を向けてくるものだから、私は居たたまれなくなって目の前にあったオーダーボタンを押した。目の前の烏龍茶のグラスはまだいっぱいだったのに。でも、飲まなきゃやってられますかっての。




騒がしい二次会のメンバーと別れ、仕事組は各々の方向へ帰っていった。今から新幹線だ、と嘆く者もいた。みんながみんな、この辺りで活動しているわけではない。けれど、今日は奇跡的に全員揃うことができた。意地で出席出来て良かった。
また二人だけになった私と爆豪くんは、来た時と同じ道を辿っていく。前を行く彼は何も言わないけれど、やっぱり送ってくれるのだろう。今度こそコケるなんて失態はしないように注意を払った。
電車に揺られ、最寄りの駅に着いて。暗い夜道をまた二人で進んだ。人が居ないからか、爆豪くんはすぐ隣を歩いていて、時折私の方を見ていた。また転ぶと思われているのだろうか。それとも、さっきの回答が正解かどうか気になっているのか。
「言わないんだね、私だって」
「てめぇこそ、挙手でもすんのか思ったわ」
「バラされたくないのかなと思ってさ」
「めんどくせぇだろ。あんなとこでカミングアウトしてみろ、ぜってぇオモチャにされんぞ」
「…確かに」
お互いの認識が合わさって胸をなでおろす。彼の方もきっと気にしていたのだろう。少しだけ眉間の皺が緩やかになった気がする。
「新しい事務所、サイドキックん中で女はてめぇだけだ」
「事務の人もいないんだ?」
「今は必要ねぇ。いる奴で分担する」
「そっか」
「……てめぇが、」
そこで言葉を区切った。立ち止まり、「女だからとかよ、」と続ける。私も飲まれるようにそれに向き合った。
「そういうの面白おかしく書く奴らも居んだよ。俺の贔屓で引き抜いたって言われンのは腹立つ」
トップヒーローになるためにメディアは重要だ。学生時代にインタビューの授業があったように、社会に出てからテレビや雑誌に取り上げられることが増えてきた。
ヒーローと祀り上げ、持て囃す記事ならいい。けれど、メディアにはスキャンダルを掴もうとする人たちもいる。それもまた「売れる」記事だからだ。ヒーローの男女関係、結婚や離婚だってそう。売れるから追い回される。
私の載った雑誌も爆豪くんのも、そいうい意味では相違ない。メディアの判断だ。今はまだ、プラスの方向で扱われているだけ。これからもそうとは限らない。
「俺が事務所に置いとくって決めた奴だ、性別は関係ねぇ。けど、そう思わねぇ奴らに初っ端荒らされたかねぇ」
今、彼女としてではなく、ヒーローとして私に訴えている。自分と同じだけ、私にも律しろということだろう。入院然り、転倒然り、つまらないことで躓いてはいられない。ちゃんと対等に扱われるヒーローだということを世間に証明しなければならない。
「そうだね、爆豪くんの事務所のスタートだもんね。ちゃんとしとかないと…イメージとか崩されないように」
「ヘタこくんじゃねぇぞ。コケたり背中から落ちたらころす」
「…ほんとそこ刺してくるよね。心配なのはわかるけど、信頼もしてほしいなぁ」
ケッ、と吐き出されたのはどの口が、という返事だろうか。そりゃ、私が一番痛感してるんで、その。
夜の僅かな街灯に照らされた二つの影が、少しだけ間を詰めた。爆豪くんが前に進んだと気づいたのは、落としていた視線に靴が割り込んできたからだ。そう、だから。詰められたから顔を上げたのだ。ほかに意味などなかったのに。
前に言われた目を瞑る余裕も、息をする隙すらない。ぴったりと合わさった唇が、私のため息を奪っていった。
あぁ、待って。さっき律するって決めたばかりなのに。
爆豪くんが酔ってるのかもしれないと思ったのは一瞬だけで、そんな匂いも味も全くしなかった。あの席で飲んでる素振りもなかった。だからこの不意打ちに心が跳ね上がる。
ヒーローじゃない顔に戻る時は前もって伝えて欲しい。そしたら私のこの煩い心臓だって、もう少し穏やかになるはずなんだ。

(2020/10/10) <PREV▼ TOPNEXT >