新しい事務所の予定メンバーで集まってミーティングをするようになった。ミーティングとは言っても、とかく何をするわけでもなく、爆豪くんが決めたことの確認作業だ。既に借りているという事務所予定のビルの一室にテーブルとソファだけを持ち込んで、四人が揃う。管轄地域、周辺の連携事務所などなど、頭を突き合わせて資料を見た。切島くん、瀬呂くん、そして私は頷いたり、時には質問をしたり。
「そんでさ、バクゴーのかっちゃんよ」
「っちゃん言うな。…何だ」
「メディア戦略はどーなんよ。あー…、どういう売りをしてくかって話。俺、ヒーローネームでSNSとかやってんだけど、続けてていい?」
「燃えなきゃ好きにしろ」
「へいへーい」
「他には。なんかあっか」
爆豪くんが皆の顔を見る。切島くん、瀬呂くんはないな、と首を振った。纏めてある資料はプレゼンとしては完璧で、特に突っ込みようもないのだ。一方の私は、先程から少し気になる点があったので挙手をする。
「あの、更衣室は分かれてるよね?」
「ア?」
「いや、この見取り図…」
「………分けとく」
「分かれてなかったの!?」
そんな、何一つ配慮がないとは思わなかった。今言われて気付きましたと言わんばかりのバツの悪そうな顔をしていたので、実際そうなのだろう。言っといて良かった…!
いや、何のために雄英の更衣室が分かれてたと思ってるんだ。私、女子だと思われていない?…いや、ないよな?
「なんかあれだな。女子が居ないと分かんねぇこともあるよな!」
切島くんの言葉に瀬呂くんも同調していた。悪い意味じゃねぇよ?と慌ててフォローしてくれたけれど、私は特に気にしてはいなかった。
そういうところに気付くのは上鳴な気がする。その適任者はこの事務所には呼ばれてないのだ。前に気になったから爆豪くんに聞いたけれど、都合としか答えてくれなかったな。あんなに仲良かったし、今でもつるんで飲みに行ったりしてるだろうに。切島・瀬呂くんにしたって「あいつが悪いわけじゃないけど、こればっかりは仕方ない」と言っていた。
程なくミーティングは解散となり、皆各々の方向に帰っていった。私は爆豪くんと駅のホームで電車を待つ。駅前のビルのネオンがチラチラと眩しくて目を細めていた。
その時、隣からくしっとくしゃみの音。ハッとしてそちらを見ると、すんすんと鼻をすする爆豪くんがいた。春から夏への変わり目だというのに、上着を持って来ていたのはそのためか。
「爆豪くん、風邪ひいた?」
「…わかんねぇ」
「具合悪くなったら言ってね。私、明日休みだし」
「あんま近寄んじゃねぇ、うつすぞ」
「いいよ?うつした方が早く治るって言うじゃない。あ〜…でも、私全然風邪ひいたことないんだよね」
「馬鹿は風邪ひかねぇかんな」
「…それはどういう意味かなぁ」
「事実だろうが。…俺ァ忙しいんだよ。てめぇがブッ倒れても面倒見てやんねぇかんな」
「…忙しくなかったらしてくれるみたいだね?」
「ハ、気が向いたらな」
また家まで送ると言う爆豪くんを、強引に反対のホームへ押しやった。反論したり抵抗する力がいつもより弱い気がした。
今日だけはいいから、早く帰って寝てください。そう言えば不承不承折れてくれた。自分でもきっと体調を分かっていたはずだから、案外素直だった。この大事な時期に私のために無理はさせられない。
「起きられなくなったらメッセで連絡してね」
「うるせー。そんなヤワじゃねぇわなめんな」
そうやって別々の電車に乗って別れたのだが。
翌日早朝、[経口補水液買って来い]という遠回しのSOSを受け取った私は、いそいそとドラッグストアに向かうのであった。
爆豪くんから絶対無くすなと厳重に念押しされた部屋のカードキー。まさかこんな時に使用することになろうとは思わなかった。向こうが何も言って来ないのをいいことに、「同居」のための荷造りを先延ばしにしているから。嫌なわけではない。ないのだが、突然にお邪魔したこともない部屋に居座ることになるのも気が引ける。だから、これは前準備だと言い聞かせて。
目的地に辿り着き、そびえ立つマンションを見上げて眩暈がした。えっ、こんなとこに住んでるの?
「高…」
そういえば爆豪くんのお父さん作ったデザイナーズマンションだってこないだ聞いたな。だいぶ次元が違いすぎて右から左へ流してしまった情報だったが、なるほどこれが。入口の管理人さんに用件を伝えると、何故か名前を知られていた。爆豪くんから顔パスにするよう言われているらしい。わぁ、初耳なんですけど。
静かで落ち着かないマンションのエントランスに入ると、エレベーターの前で男性と女性の二人がいた。女性の髪色に何故か猛烈な既視感を感じる。忘れるはずもない、爆豪くんと同じ色。ということは…。
迷っているうちに女性の方が振り向き、私の存在に気付いて声を掛けてきた。
「あら。あなた、ウチに来たことある子ね?」
「お、お久しぶりです!」
やっぱり、爆豪くんのお母さんだ!隣にいる男性も私の方を見た。眼鏡をかけた、人の良さそうな30〜40代くらいの人。こちらは初めて会ったはずなのに、どこか見覚えがあるような。
「あ、ごめんね。改めて自己紹介しよっか。私は光己。こっちはウチの旦那」
「えっ!」
「はは。あの子を知ってる人にはいつもびっくりされちゃうんだ。爆豪勝、よろしくね」
失礼だとは思ったけれど声が出てしまったので必死で頭を下げた。向こうもぺこりと頭を下げてくる。爆豪くんのお父さん、普通だ…!いやでもこのマンションを作った人って事だよね?全然普通じゃなかった!
私も改めて自己紹介しようとして元クラスメイトという肩書きで良いのだろうかと悩んだが、その辺りは光己さんが説明してくれたので名前だけ伝えた。
「もしかして、お見舞に来てくれたの?ありがとね」
「いえ、いつも爆豪くんにお世話になりっ放しなので。…あの、やっぱり風邪ひいてます?」
「そうそう。あの馬鹿、人を呼びつけといて寝込んでんのよ。いつまで経っても手がかかるわ」
「やっぱり…昨日くしゃみしてたんで…」
待っていたエレベーターのドアが開いた。三人並んで乗り込んで、上へと昇っていく。ああ、タイミングが悪い。死ぬほど緊張する。爆豪くんはご両親に私のことは伝えているんだろうか。していないのならば下手なことは言えないし、されていてもどう対処したらいいか分からない。正解はどっちなんだ。
そうやってガチガチに固まって悶々と悩み黙りこくっている私の後ろで、爆豪くんの両親がひそひそと話していることなど分かるはずもなかった。
「光己さん、勝己の言ってた話したいことって何だか分かった気がするよ」
「そうね。私もなんとなく分かったわ」
目的の階に到着し、たどり着いた部屋の前。光己さんがカードを翳すと扉はすぐに解錠された。いよいよだ。思わず唾を飲み込む。二人に続いて玄関に入った。
「お邪魔しま〜す…」
返事はない。部屋は暗いままなので、部屋の主は寝室だろうか。靴を隅っこに揃えると、そろそろと廊下を進んだ。間も無く広いリビングに出る。いや、広いなんてもんしゃない。一人で暮らすのにこの広さは必要なくない?と思うほどの空間に、シックなソファとテレビと台だけが鎮座している。アメリカで見た部屋を、そのまま空間だけ広げたような光景だった。
光己さんが右側にあった部屋に入っていく。中は薄暗くて良く見えないけれど、そこに爆豪くんが居るのだろう。彼が起きていたらあの威勢の良い音が聞こえてくるだろうと思ったのだが、予想に反して静かなままだった。寝ているのかな?
とりあえずいくつか買ってきたものを冷やしておこう。柑橘系のゼリーも買ってみたけれど食べるかな?キッチンもまた綺麗に整頓されている。シンクだけは昨日片づける余力もなかったのか食器が水に浸かったままだった。そして開けた冷蔵庫には、おかずの作り置きがきっちりタッパーに詰まって並んでいた。相変わらず几帳面だ。
さて。両親の居る手前、寝室に踏み入る事も出来ずに手持ち無沙汰にしていると、光己さんが部屋から顔を覗かせた。
「ね、私達ちょっと買い物に行って来るから、あの馬鹿見ておいてくれる?」
「は、はい。私で良ければ」
「助かるわ〜!よろしくね」
光己さんは勝さんを引っ掴んでそのまま出て行き、後に残された私はぽかんと立ち尽くしてしまった。なんてこった、成り行きとはいえ全面的に一任されてしまうとは。勿論断るつもりなどなかったが、私が手を出してもいいものなんだろうか。
本人からメッセージを受け取った手前、一応顔だけは見ておかなければと、買ってきたものを手に部屋の前に立つ。ドアをノックしてみたけど、中からの反応はない。仕方がないので失礼して扉を開けると、これまた広い部屋の中にベッドが鎮座していた。空間のバグなのかなんなのか、もうその広さには早々驚かなくなっていた。それよりも、重要なのはそのベッドの中身だ。
また足音をなるべくたてないようにベッドサイドへと近づく。こんもり膨らんだ黒い毛布の中からはみ出した柔らかなツンツンの毛が見えた。
「爆豪くん、」
「…遅ぇ」
掠れた声が返ってくる。静かだから寝ているものと思っていたのに。もそもそと動いた毛布の中から薄っすら赤い頬が顔を出す。屈んで目線を合わせて、静かに声をかけた。
「ごめん、起こしちゃった?」
「…起きとったわ」
「言われたの買ってきたよ。今飲む?」
「…ン」
熱があるからか、ぼうっとしている爆豪くんはいつもより素直だ。オーダーされた経口補水液のキャップを開けると、怠そうに起き上がった彼に手渡した。相当喉が渇いていたのだろう、一本はすぐに空になってしまった。それから何かを話そうとする素振りはあったけれど、私がまた寝るように促せば素直に布団に潜った。
水分を補給していくらか落ち着いたのか、横になってしばらくすると静かに寝息を立て始めた。昨日あれだけ意地を張っていたから具合が悪くなっても呼ばれないのではと思っていたけれど、ちゃんと頼ってくれたことに安心する。汗で額に引っ付いた前髪を払うと、目の下に薄っすらと隈。
最近は夜しか会ってなかったから、全然気付かなかった。いや、気付かせないようにしていたのかもしれない。そんな彼に頼られたのだから、やっぱりなんとかしてあげたくなった。ヒーローだもの、お節介しなければ。
「よし、」
まずはクローゼットを漁る。仕舞われた毛布を重ねて温かくして発汗を促す。見た感じ熱はまだ高そうだったので、暫くしたら着替えをさせよう。その着替えのスウェットもクローゼットの中から適当に引っ張り出しておく。ベッドサイドに残りの経口補水液を置いて、静かに部屋を出た。
それから放置されていたキッチンの洗い物と洗濯。日々きちんとこなしているような彼なので、こちらはさほど経たずに片付いた。
閉まったままだったリビングのカーテンも開けた。部屋が一気に明るくなるほどの日当たりの良さ。高層からの眺めは良かったけれど、風が強いので窓を開けるのはやめておいた。
次に起きた時のためにお粥作りだ。見える所に一人用の土鍋があったので、それを拝借する。お米をといで、水分量はスマホで調べた通りに。さっき冷蔵庫を見た時に梅干しもあったな、なんて思い出しながら鍋を火にかけて。暫くそれをぼうっと見つめていた。
窓の方から電車の音がする。ここは駅に近くて、新しい事務所からもそれほど離れていない。コンビニだって近くにあって。
静かだ。
こんなに広い家なのに、爆豪くんは一人で住んでいる。きっと使われてない部屋もあるんだろう。無意識にポケットに入っているカードキーに触れた。私は本当にここに来ていいんだろうか。同居、だって。彼はそう言って渡してくれたし、自分だって同意したくせに、私は情けなく迷っていた。
一時間もしないうちに出掛けていた光己さん達が帰ってきた。顔も見たことだし入れ替わりにお暇しようと思ったのだが、機嫌の良さそうな光己さんに手招きされた。
「ね、こっち来てお茶にしましょ。ケーキ買ってきたのよ。好きなの選んでいいわ」
「いや、でも、ご家族の水入らずにお邪魔するわけには、」
「どうせそのうち、あなたも家族になるんじゃないの?」
「は………」
「さっき勝己の様子見に行ったら、小さい時みたいに甘えた顔してたのよね。私だって分かったら布団被っちゃったけど、誰かを待ってたのかしらね」
「それは、」
「うちの馬鹿のことも見てくれてたし。お礼だと思って。ね?」
遺伝なのか、頭の回転の早い爆豪くんのお母さんに勝てるはずもなく。ぐいぐいと強引に着席を促され、早々に逃げ道を失った。対面には爆豪くんのご両親。ご機嫌の光己さんと、付き合わせてごめんねという困り顔の勝さん。ああ、せめてこの場に彼が居てくれればと懇願せずにはいられない。
きちんとお皿に乗せて渡された美味しいと評判だというミルフィーユも、淹れてもらった紅茶の味もよくわからないまま。
「勝己と付き合ってどのくらい?」
「まだ一年も経ってません…」
「あら、じゃあすぐにアメリカ行きだったんじゃない?随分寂しい思いをさせちゃったわね」
「いえ、あの…定期的に電話はしてたので」
「へぇ〜、私らにはメッセージも全然寄越さないあいつがねぇ。勝さん、どう思う?」
「光己さん、程々にしてあげなよ。困っているだろうに」
黙って紅茶を飲んでいた勝さんが光己さんを諌めている。けれど興奮冷めやらぬといった感じで、私の方にまた目を向けてきた。
「まさかこんな縁になるとはねぇ。勝さん、勝己にはもったいない子だと思わない?」
「そんなこと言っちゃいけないよ。あの子が選んだことに口出ししないって決めたじゃないか」
「そうなんだけどさぁ…。ねぇ、正直に言ってね。勝己を選んだこと、後悔してない?」
さっきまでの揶揄うような声色とは違う、ワントーン落とした静かな声で光己さんが言う。後悔、それだけはないと言い切れる。だからすぐさま返すことができた。
「それは、ないです。私が言ったんです、付き合わないかって。爆豪くんも、俺の台詞だわって言ってくれたから…」
「なにあの子、女の子に先越されてるの?ウケる」
「光己さん」
勝さんがまた諌めるように隣にいる光己さんの肩を叩いていたけれど、私の視線は手の中の紅茶に落ちていたので気付かなかった。自分自身であの時の告白を深く思い出すのは初めてだったから。僅かながらも確信があって告白をしたわけだけれど、あの時爆豪くんが応えてくれなかったら全然違う未来になっていたのだろう。
ふと冷静に立ち返ってみれば、爆豪くんが私を選んだ理由という疑問が湧く。私の告白に同調して返してくれたけれど、彼は何をもって私個人を離さないと言ったんだろう。聞けば答えてくれるんだろうか。…いや、無理かな。
揺らいでいた紅茶の水面から顔を上げれば、優しい笑みの勝さんがいた。その顔はどことなく、眉間の皺のない爆豪くんに見えて、やはり親子だということが認識できた。
「ごめんね。あまり立ち入って欲しくないとは思うけれど、君の将来に関わることだし僕たちにも言わなきゃいけないことがあるから。勝己が元気になったらまた改めて話をしよう。もちろん、君のご両親ともね。
それと、こんなことを言うのは親の自惚れだと思うんだけど…あの子は一人で何でもできるから、一人で生きていくつもりなんじゃないかってずっと思ってたんだ。でも、そうしなかった。君はきっと、勝己に足りない何かを持ってたんだね。君が勝己と出会ってくれて、僕も嬉しいよ」
柔らかく、落ち着いた声だった。けれど、父親としてケジメのある一言。思わず頭を下げていた。胸の奥が熱くなる。
ああ、嬉しいんだ。爆豪くんと私を取り巻く世界が優しすぎて、側にいなくても守られている気がする。実際そうだ。私たちは成人したけれど、心だってまだまだ子供のうちなんだ。
爆豪くんに足りないもの。そんな大層なものがあったんだろうか。私に。一人でも生きていける彼が、切望するまでになった何かが。
夕方になって日が傾いた頃、寝室のドアが開いた。まだ怠そうな爆豪くんは部屋を見回し、ソファに私がいる事に気がついて驚いたように目を丸くした。
「伝言頼まれちゃったから。もう起きて大丈夫なの?」
「帰ったんか、ジジイとババア」
「うん。また元気な時に呼んでだって」
二人はケーキを食べた後、地元へ帰っていった。今度会う時はもっと賑やかになるんだろう。きっと隣に爆豪くんが居るだろうから。
「付き合ってること、言うつもりだった?」
「ん」
「じゃあ私にも声かけてくれたら良かったのに…」
「ちげぇ、ジジイババアに言われとったんだわ。…そういう時んなったら、まず俺らだけで腹割って話するって」
俺がそもそも信用されてねぇから。なんて悔しそうに言うものだから、思わず吹き出してしまった。多分、いやきっと、光己さん達は爆豪くんの言動を案じてそんな言いつけをしていたのだろう。私としては全くもって杞憂ですと言い切れる。
ゆるゆるとした足取りでキッチンにたどり着いた爆豪くんは冷蔵庫を漁っていた。ずっと寝ていたから、食欲が出てきたのだろう。
「ゼリーとかも買ってきたけど、何か食べられそう?」
「まだだりぃから味の濃いモンはいらねぇ」
「お粥は?」
「食う」
「じゃあ温めるね。その間に服替えておいてよ。汗かいてるでしょ?着替え、勝手に出しといたから」
「ん、」
短く了承して、ペタペタとスリッパを引きずって寝室に戻っていった。入れ替わりに私がキッチンに立つ。冷たくなった土鍋にまた火を入れた。
コンロの火を見ながら、今度は前の静けさとは違うと感じていた。寝室から漏れる爆豪くんの気配の音に何故かすごくほっとしたから。
着替えてきた爆豪くんをテーブルに座らせて、温まったお粥を運んだ。食べさせてあげようかと茶化して聞けば、無言でスプーンを奪われてしまった。あとはうるせぇとばかりに睨まれる。無用の心配でしたね。
大きな匙で掬ってまた一口。美味しいとも不味いとも言わなかったけれど、食欲は戻ったのか食べるスピードは緩まなかった。
黙々とお粥が口に運ばれるのを黙って見ていた。今日はそこまで気が回らないのか、見てんじゃねぇとは怒られない。程なくして器は空になった。彼の手は水の入ったグラスへ伸びる。
「ねぇ。私、明日からここ来てもいい?」
「あ?」
「まだ暫く忙しいんでしょ。目の下、隈できてるよ。ヤワじゃなくたって風邪ひくんだし、倒れて呼び出すくらいなら最初から色々任せてほしいなぁ、と」
そんな希望を込めて彼の方を向けば、あちらは水を飲みながら目をそらした。こっちを見てこないってことは、多少なりとも呼び出したことに罪悪感を持ってくれてるのだろか。それとも、この期に及んで威勢を張るつもりなのか。もう面倒くさいから、カッコいい所も悪い所も全部見せてくれたらいいのに。
グラスの水を飲み干して、やっとこっちを向いてくれた。まだ隈は消えないけれど、来た時より随分顔色は良くなっている。
「そりゃ同居っつーことでいいんか」
「…そうだね、爆豪くんがそれで良ければ」
「じゃあ明日じゃなくて今日からにしろ」
「え、いや、そんな急には」
「明日までは待たねぇ」
下唇を突き出して、自分の意思を主張する。素直だと思ったらとんだ我儘だ。まだ熱で少しだけ心細いのだろうか。そんなことを正直に言えばまた叩かれそうだけれど、ここまで熱烈にお呼ばれしてしまっては私の拒否権はないも同然だ。
赤い目が薄い水の膜を帯びて揺れていた。不安と哀感を混ぜたような雰囲気に飲まれて、思わず手を伸ばしかけた。その前に眉間の皺が寄る方が早かった。
「…ここに来んのが嫌なんかよ」
「え、そんなことは、」
「カード渡したのに、一度も来ねぇし」
「それは…どんな用事で来たらいいか分かんなくて…」
「アメリカまでノーアポで来やがった癖に、今更理由が要んのかよ」
「あ〜、そんなこともありましたねぇ」
「二月も経ってねぇぞ。ボケんな」
そうか、もうそんなに経ったのか。爆豪くんがアメリカから帰ってきてから、それほど頻繁には会えていなかった。それはいつでも会える距離にいるからというのもあるけれど、近づいたら離れられなくなるという確信があったからだ。どちらが、とは言わない。私たちはお互いにどこか依存している。それはどこなのか。
「一つ、確認しておきたいことがあるんだけどね。爆豪くん、どうして私だったの?」
「てめぇ俺を疑っとんのか」
「何でも穿って見るのやめてよね」
威嚇するように身を守りながら、私の心を確かめようとする。そうさせているのは他ならぬ私なのだけれど。
「…言えばここに来んのかよ」
「ううん、言わなくても来るよ。言ってくれると私が嬉しいだけ」
「惚れただの何だの、そういう薄ら寒ィ話をするつもりはねぇ。歯の浮くようなキメェ台詞聞きてンならドラマでも見てろ」
「や、それはあんまり…期待してないからいいよ。そうじゃなくてさ、私である理由っていうか…何が決定打だったのかなぁって。だって爆豪くん、ヒーロー活動も私生活も自分でこなしちゃうでしょ。そこに私を入れる隙間を作ってくれたのは、なんで?」
小狡いけれど、前のめりに問う。爆豪くんが少しだけ弱って、素直になって、今しか聞く機会がないと思った。この先ずっと居てくれると彼が言う限りはそうなんだろう。けれど、その理由についてをどうしても聞いてみたかった。でないと、きっと一生分からないままだ。
爆豪くんは暫く黙っていた。風邪をひいている彼にこんなことを強いているなんて、なんて酷い彼女だろうか。元気になったらアイアンクローでも爆破でもいくらでも受けてあげよう。だから、
「俺が過不足なく人生を送るために、てめぇは要るモンだと思った」
「それは…生活必需品みたいな…?」
「側に置いとかねぇとスカスカする」
「うん、」
「そのクソ生意気な目が俺を見返さねぇのは腹が立つ」
「ほぉ、」
「山に連れてくにしても、音を上げねぇんなら連れてってやってもいいと思った」
「はぁ、」
「抱き心地も悪かねぇ」
「だ…、」
するすると、彼の口から出てくる本音にたまらない気持ちになった。これは大変なことを聞いてしまった。その辺のドラマの告白より、ずっと重くて真っ直ぐな言葉が私の心に次々と突き刺さっていく。きっと少女漫画ではこういう時にキュンという擬音とともに相手のことがもっと好きになるんだろう。そんな感じだったら良かったのに。
私がその時感じたことといえば、心臓を直接凧糸できつく縛られているような息苦しさだ。絞めつけられたハムの気持ちだ。キュンどころかぎゅうぎゅうだ。まってまって、苦しすぎない?こんな息苦しさがときめきだっていうの?世の少女はマゾヒストばかりなの?
圧迫された心臓は生きるためにどくどくと脈打ち、私に生きろと伝えている。分かっている、分かっているけれど、今はそれすら煩わしい。爆豪くんの本音を聞くのに、この心音は邪魔以外の何物でもない。
「だから要るモンだと思った。悪ィかよ」
悪くない。悪くないよ。だからそんな目で私を見ないでよ。俺以外はないだろ、とその目が言っている。当たり前だよ。もう私の脳みそに永遠に刻まれた「一生離さない」という誓いがあるんだから。死んでも忘れたりしない。
私を離さないと、そう高らかに宣言したあなたは、まだ心の底で何か不安を抱えているんだろうか。たまに私を逃がそうとする素振りを見せる。見くびらないでよ。あなたの選んだ女は、とても強かなストーカーだってことを、一生かかっても分からせてあげるんだから。
嬉しくて泣きそうになった。けれど涙は落とさない。落としてなるものか。これ以上彼に不安を与えるな。ぐぐっと堪えて、いつもの私で応えた。
「分かった。ありがとう。今度私も言うね。私が爆豪くんを選んだところ」
「その辺のモブ女が吐くような陳腐な言葉で俺を形容しようとしやがったらころす」
「その辺のモブ女より、ずっとずっと爆豪くんを知っている自信があるよ」
「フン。ならいい」
これで腹は決まった。この人のために一日でも早く今のアパートを出よう。スカスカする隣に収まって、うぜぇと言われるまでその姿を目に焼き付けて、飽きるくらい一緒に山に登ってあげよう。
それはきっと、想像するよりずっと楽しいことだから。
「じゃあ、一回帰って泊まる物だけ持ってくるね」
「ん、」
「夕飯はどうしようか。食べられそう?」
「食う」
「じゃあ、帰ってくるまで風邪ひきは大人しく寝ててください」
不服な顔をしながらも彼は「ん、」と小さく答えた。その返事を受け取って、鞄を持って立ち上がる。善は急げだ。手始めとなる泊まりに必要なものをかき集めなければ。
玄関まで行くと、爆豪くんが後ろについてきていた。寝ててって言ったのに。「行ってくるね」。そう宣言すると、向こうが口を開いた。
「おい、」
「なに?何か買ってくる?」
「何もいらねぇ。…はよ帰って来い」
アメリカから帰ってきてから、この広い部屋で私が来るのをずっと待っていたんだろう。そう言われたわけではないけれど、彼の静かな目がそう言っていた。だから寄り道をせずに、真っ直ぐ帰って来ようと思った。風邪を引いていつもよりほんの少し寂しがりの爆豪くんのために。