ガーネットの献身

 2 |初めて会った時の話

それは私がまだ幼く、母親とともに暮らしていた頃。
街に沿った川べりを歩くのが好きだった。水面がきらきらと光りを反射し、傍に生えている草木を風が揺らす。獣くらいしか通らないような草の中さえ突っ切って、毎日探検した。私が通る道は私だけが知っている。そんな気さえして、とても気分が良かったのを覚えている。

そんなある日、川の側で赤い竜の子供を見た。陽の光が眩しい昼間、小石の転がる中洲。その身を覆う小さな鱗がきらきらと光って私の興味を誘う。
「…きれい」
恐る恐る近寄ってみる。近くで見てもやはり綺麗だと思った。けれど、赤い竜は丸くなったまま動かない。眠っているのかとも思ったが、どうやらそうではないようで。よくよく見れば、時折きゅうと苦しそうな鳴き声を吐いていた。怪我をしているようには見えなかったが、鳴き声は助けを求めるように続いている。
もしこのままここに居たら、この子は死んでしまうのかもしれない。そう一度思い込んでしまったら、私の行動は早かった。
肩にかけたスカーフを解いてその子竜の身体を包み、両手で抱き込んで家へと連れ帰った。野生の竜には手を出してはいけない、という教えを忘れていた訳ではないが、何故かどうしても放ってはおけなかった。




「あらあら、どうしたの」
出迎えてくれた母親は、私が大きな荷物を抱えて帰ってきたのを驚いた顔で出迎えた。私は抱えた包みを開き、必死に訴えた。
「おかあさん、この子、動かないの」
「その前に、お母さんの言ったこと、覚えてる?」
母親はしゃがみこんで私に目線を合わせた。その何処と無く真剣な表情に気圧される。
「…野生の、竜は、触っちゃだめ」
「よくできました。…それでも、助けたかったのね?」
怒られると思って身を竦ませていたのは、母親にはお見通しだったようだ。私が必死に頷けば、母親は笑って「この子が元気になるまでね」と言った。それがたまらなく嬉しかった。
「この子、どこで見つけたの?」
「川の…上の方。橋があるところ」
「口から泡を吹いてるわね。この季節ならハシナンの実を食べたのかしら」
「お母さん、この子、大丈夫?元気になる?」
スカーフに包まれた小さな竜は、まだ弱々しく鳴いている。不安そうに覗き込む私の頭に、母親の手が乗る。
「大丈夫よ。竜は強いもの」




緑色の苦い草を混ぜた青汁を掬って、子竜の口へ。口の端からたらたらと汁が漏れてしまっていたけれど、何度もそれを繰り返す。私はずっとそれをはらはらと見守っていた。やがて子竜が小さく呻き、噎せるように首を揺らす。けふ、けふ、と何度も吐くような仕草を見せ、私も何となく苦しいような気がしてくる。
「それ、そんなに苦いの?」
「そうよ。そうやって吐かせるんだもの」
「うえぇ、」
連れてきたのは私だが、途端に申し訳なくなった。こんな荒治療になるなんて。嫌がる子竜の口をこじ開けて、またひと匙。
「ケッフ、ッ、」
盛大にむせた口から、胃の中にあったものが吐き出されてきた。木の実や葉っぱや、それに混じって鳥の羽なんかも。多分、肉も混じっていたと思う。あまり直視はしたくなかったもの。
ひと呼吸おいて、またひと匙青汁がねじ込まれる。さすがに子竜の方も嫌がる素振りをみせたが、母親は容赦がなかった。
そうして一通り吐き出した子竜は、ぐったりとしたまま眠りについた。苦しい鳴き声は聞こえなくなったけれど、なんとなく不安で、テーブルの上の籠の中で眠るのをずっと見ていた。母親に呼ばれるまでずっと。
赤い、綺麗な、小さな竜。あなたはどこから来たんだろう。




次の日、私が起きた時にはもう子竜も目を覚ましていた。部屋の隅でグルグルと威嚇するように唸っている。私はその子が元気になったのが嬉しくて、つい不用意に近づいてしまった。それがいけなかった。
びっくりした竜は、差し出した私の手に噛み付いてきたのだ。小さくても噛む力は強くて、私は痛くて痛くて泣き出してしまった。すぐに母親が駆けつけて解放してもらったが、くっきりとついた歯型から血が滴ってまた怖くなって泣いた。手当をしてもらう間も涙が止まらなかった。
「わかった?不用意に野生の竜を触っちゃいけないって言ったの」
「……うん」
「あの子も、知らないところに連れてこられてきっと怖がってるのよ。だから少し離れて様子を見てなさい」
「…うん」
そうか、それはそうだ。私だって、知らないところに連れて行かれたら怖い。あの子は今、とても心細いんだろう。はやく元気になって、お家に帰してあげなくては。
手当をしてもらってから、台所にあったパンを一切れ持って子竜のところまで戻る。テーブルの上、寝床がわりの籠の中には姿はなくて、どこに行ったのかと探していると、部屋の隅、カーテンの陰に赤い尻尾が見えていた。顔は見えないけれど、そちらに向かって恐る恐る話しかけてみる。
「あの、ごめんね。びっくりさせちゃって。これ、パン。お腹すいたでしょ。ここ、置いとくね」
テーブルの上にパンを乗せて、ささっと部屋を出る。返事はなかったけれど、伝わっているといいなと思った。

しばらくしてから、また様子を見に行く。子竜は今度は木箱の後ろに隠れていた。赤い尻尾が見えている。
テーブルに置いたパンはしっかりなくなっていて、とりあえずホッとした。食欲はあるみたいだ。これならすぐ元気になるだろう。
寝ているのかな?木箱の向こうに声をかけてみた。
「パン、おいしかった?やっぱりお肉の方がいい?」
返事の代わりに、見えていた尻尾が引っ込んだ。そのまましばらく待っていると、今度は頭の方がひょっこりとこちらを覗いてくる。
初めて見る赤い竜の目、その目も鱗と同じ、綺麗な赤だった。
「グゥゥ」
相変わらず警戒しているようで、目を吊り上げて低く唸り声を上げている。また噛まれるのは怖いので、私の方も不用意に近寄ることはできない。
お互いに距離を保ったまま、どちらとも動かず。また子竜が頭を引っ込めてしまうまで、私はずっとそこに居た。




子竜は順調に元気になった。警戒姿勢は相変わらずだったけれど、私の前でもご飯を食べるようになったし、私のベッドを我が物顔で使うようになった。その図々しさにびっくりしたけれど、この子が元気になった嬉しさの方が何倍も強かったし、ベッドの隅っこは使えたからよしとした。
「あなたはなんて名前なのかなぁ」
一人呟くように言うと、竜は聞こえていたのか煩わしそうに顔を背けてしまう。こちらの言葉は理解しているようだけれど、さすがに竜の言葉は分からない。竜の小間使いと呼ばれる人達なら分かるんだろうか。
日は沈み。夜は静かに更けていく。ベッドの隅で寝ている私をじっと見つめる赤い目。窓からの月明かりに照らされた子竜はしばらくの後、首を丸めて自身も寝入った。




数日後、家に竜族の女の人が訪ねてきた。母親が竜族の集落に手紙を出したところ、ウチの子が暫く前から姿を見せないと探していたという。金色の髪の、綺麗な女の人。その人は子竜を見るなり、ほっとしたように眉尻を落とした。
「あぁ、間違いないです。コラ、勝己!また変なもの食べたんでしょ」
女の人は容赦なく子竜の頭を叩いたが、子竜の方も慣れているようで不貞腐れた顔をしていた。ぐーで殴られたし、すごい音もしたのに。
「この子、まだ人の姿になれないのに、好奇心ばっかり一人前だから、すぐどこかに行っちゃうんです。親切な方に助けていただいて本当に良かったわ」
「こちらこそ、親御さんが見つかって良かったわ。ね、」
母親に同意を求められて、こくこくと頷く。女の人にも笑いかけられてドキドキした。なんだか大袈裟な気がするけれど、あの子が助かって良かったのは確かだ。 ふと目を向けると、子竜は私の方を見ている。じっと目を逸らさずに、探るような、見定めるような。その視線に押し負けるように、私は口を開く。
「勝己くん、ていうの?」
「グアァ!」
「コラ!女の子に威嚇しないの!」
突然吠えた子竜にもびっくりしたが、それを叩き伏せる女の人にもびっくりした。竜族のコミュニケーションはこんなに激しいものなんだろうか。
今度は痛かったのか、子竜の目は少し潤んでいるように見えた。やっぱり、痛いんだ…。
「すみません。うちの子、倒れてた以外にもご迷惑をかけませんでしたか?」
「いいえ。元気に遊んでいたくらいですよ」
「うん、お部屋の隅っこでかくれんぼしてただけだよ」
先んじて、母親には噛まれたことを伝えないでほしいとお願いしていた。まだ包帯は取れないが、あの子をびっくりさせた私の責任だと思ったからだ。 赤い目が何か言いたげにじっとりとこちらを睨みつけてくる。威嚇される前にと笑いかけると、ぷいと目を逸らされてしまった。
また後日お礼をさせてください、と女の人は頭を下げた。抱えられた子竜に向けて手を振る。バイバイ。元気になってよかった。またいつか会えたらいいな。そんな気持ちを込めて。
その時。足元にころころと何かが転がってきた。目を下にやると、小さな鱗が一枚、私の足先に落ちている。赤い綺麗な鱗。この色は子竜のものだと気付くのに時間はかからなかった。両の手で拾い上げ、持ち主に向かって問いかける。
「これ、貰っていいの?」
答える代わりに、フンと鼻を鳴らしてそのまま丸くなってしまった。言葉は分からないけれど、きっと貰ってもいいのだろう。そう解釈した。私の手の中できらきらと輝く鱗はやっぱり宝石みたいだ。嬉しくて何度もお礼を言っていたら、お母さんに笑われてしまった。だって、嬉しいんだもん。仕方ないよね。
竜の子と私のやり取りを見ていた女の人は、含みのある笑みで子竜を小突き、それに対抗するようにまた子竜がぎゃあぎゃあと騒ぎ出す。女の人が大きな竜の姿になって空の向こうにみえなくなるまで、この騒がしさは続いた。




懐かしい夢は、ドンドンとけたたましく扉を叩く音によって掻き消された。
前日に狩り用の銛のメンテナンスで夜更かしをしていた私は、夜も明けきらぬ時間からこの騒音の襲撃に遭っていた。音の主の心当たりなど一人しかいない。そしてその人物なら、開けるまで同じことを続けるだろう。仕方なく寝床から這い出して上着を羽織った。ランタンに火を入れると、さっきまで続いていた騒音は少しだけ収まる。やれやれ。
戸口に立ち、古い錠前を外す。ノブを回すと建付けの悪い扉が不気味な音を立てて開いた。扉の向こうに居たのは、やはり爆豪だった。
「おせぇ!」
「…あのねぇ、今何時だと思ってるの」
「知るか。おい、そこどけ」
「わ、ちょっと、何!?」
私を押し退けてずかずかと乗り込んでくるのにはもう大分慣れたが、今日はその肩に何か大きなものを担いでいる。そのまま寝室の方へ消えていくのを呆然と見送ってしまった。いや待って、私二度寝をするつもりなのに!
慌てて後を追うと、家主のことなどお構いなしに部屋に何かを広げている。
「何なのそれ」
「見りゃ分かんだろ。てめぇの寝床だわ」
「へぇ~…………私の?」
「俺が上で寝る。てめぇはこっち使えや」
「いやいやいや」
ふかふかとした毛皮が一枚、私のベッド脇の床に敷かれていた。さっき抱えていた荷物はそれだったのか。
なんて納得をしている場合ではない。こんなふかふかの毛皮、逆に寝にくいではないか。そもそも、なんで私がこっちを使うことが決まってるんだ。いつものように無許可で私のベッドを占拠しはじめている爆豪のマントを引っ掴んで抗議した。
「持ってきたなら自分で使いなさいよ!」
「うるせー、俺は眠ィんだよ」
「私だって眠い……っって、あぁ!ちょっとちょっと!本気で寝るつもり!?」
ベッドの上で丸くなった爆豪は、私の声などお構いなしにそのまま寝入ってしまった。いや、ほんと。何で私が下なのよ。
敷かれている毛皮が上物なのだということは私にも分かる。どう調達してきたのかは分からない。けれど毛足が長すぎて寝具としては適していないにも程があるのでは?そこ、さっきまで私が寝てたんだけど?なんて。完全に眠ってしまった彼を見るに、諦めるしかないんだろうなぁ。どうしようもない災厄に見舞われて、深いため息くらいは許してほしい。

(2021/2/11) <PREV▼ TOPNEXT >