となりの爆豪さん

 2 |隣人とのコミュニケーションと考察

突然ではあるが、たまに無性に餃子が食べたくなる。冷凍食品で済ませればいいものを、一人暮らしだということを無視してちまちまと皮を包むのが好きなのだ。今日は丁度その日だった。朝一番から何をしているのかと思うかもしれないが。
キャベツ、ニラ、ニンニクに生姜。フードプロセッサーは神器である。あっという間に微塵になっていく材料たち。ほんの一瞬だ。ボウルに微塵切りになった野菜を放り、豚ミンチも投入。コショウとごま油を適当に振って、わしわしとこねる。ごま油ってお腹空くんだよね。
よく混ざったら皮で包む。市販の餃子の皮も神アイテムである。具をスプーンで掬って皮に乗せ、縁に水をつけたら隅からちょいちょいと摘んでひだをつくる。同じ作業を延々と。餃子が行儀よくテーブルに並んでいく。 具と皮が丁度終わったところで一息ついた。
我ながら沢山作ったな。もちろん、一回で食べる分ではないのだが。脇に置いてあったタッパーに焼かない分を詰めて小分けに冷凍することで、少しおかずが足りない時用にする。冷凍ってほんとすごい。
冷凍庫にタッパーを収めると、窓の外に目が行く。青空の眩しい快晴だ。そうだ、ついでに布団も干してしまおう。ベッドに近づいて掛け布団を丸め、揚々とベランダに出た。




「あ、おはようございます!」
「…はよ」
偶然にも、隣人も同じタイミングでベランダに出ていた。あの夕飯の日以来、数日ぶりに会ったが、陽の光の下で会うのは初めてだ。このアパートは隣との間隔が広く、間仕切りなど存在しない。だから、向こうからもこちらからも相手が何をしているのかは丸見えだった。意識してなかったけれど、今度から下着を干す時に気をつけなければ。
布団をベランダの柵に掛けながら、ちらりと盗み見る。爆豪さんは黙々と洗濯物を干していた。手慣れた手つきから見るに、一人暮らしは長いのだろう。ちゃんと皺も伸ばしている。
そんなこんなで、盗み見るどころか途中からは完全に眺めるモードになってしまっていた。ジロリとこっちをねめつけた爆豪さんと目が合ってから、ようやくそのことに気がついたのだけど。
「おい」
「はっ!」
「見てて面白ぇかよ」
はためく洗濯物の向こうから、爆豪さんが言う。咎められたというよりは、呆れたような口調。だから私の方も、間抜けな答えを返してしまった。
「そうですねぇ。ちょっと面白いです」
「…変な奴」
洗濯物を干し終えた爆豪さんは、カゴを持って室内に入ってしまった。わたしも布団を適当に叩いて部屋に入る。外より少しだけ暗い室内の中で、何か引っかかりを覚えた。
うーん、何か忘れている気がする。少し前に爆豪さんに会ったら伝えたいことがあったような…。何だったっけな。昨日も一昨日も会っていなかったから、すっかり忘れてしまっていた。ローテーブル、キッチン、玄関と視線を移動させた先。
「あ!」
ようやく目的を思い出し、玄関付近に立てかけてあったバインダーを引っ掴んで外へ飛び出した。向かうはお隣、爆豪さんの部屋だ。




ドアの前に立って、一呼吸。もう顔見知りだし、さっき言葉を交わしたばかりだというのに、インターホンを鳴らす指は慎重になっていた。
ピンポン。
「何だ」
いやレスポンスはや!押した直後に返事が返ってきて、また用件をド忘れしてしまいそうになった。せめて次に言う言葉の準備くらいはさせて欲しかった。つっかえながらも、要件を切り出す。
「あっ、あの、回覧板なんですけど」
「…待ってろ」
錠が開く音がして、チェーンを隔てて爆豪さんが顔を出した。さっきぶりです、なんて言ってみたかったけれど、また変な奴だと言われるのがオチなので言わないでおこう。開いた隙間にそっと回覧板を差し出した。
「爆豪さんで最後なんで、バインダーだけ管理人さんに返しておいてください」
「回す順番、決まっとんのか」
「はい。部屋番号順ですね。余程のことがなければ、いつも同じです」
「フーン」
とても正直に、興味なさそうな返事だった。まぁ今回の回覧板にはどうでも良い連絡しか挟まっていないからいいけど。渡された回覧板を開き、中身をパラパラとめくっていた爆豪さんは、落とした視線をそのままに「なぁ、」と言う。
「何ですか?」
「最近、このマンションに引っ越して来た奴、居るか」
聞かれるのは回覧板のことだとばかり思っていたが、爆豪さんの質問はそれではなかった。引っ越してきた人?というかその台詞、ドラマの警察みたいだ。もしくは探偵?
「うーん、居たかもしれないですけど、トラックとか見た覚えは………あ、」
「心当たりあんのか」
「もしかして、『そこは俺だろ』って前振りでした、か?……うわ、何ですかその目。めちゃくちゃ怖いです」
「死ぬほど呆れとんだわ」
「…す、スイマセン」
盛大にため息までつかれてしまった。本当にすみません。ボキャブラリーが貧困な私を許してください。厳しい視線に居たたまれなくなって、一つ礼をして逃げるようにその場を後にした。やはり最終的に変な奴だと思われてしまっただろうなぁ。うう、出来るならこれからも穏便な関係でいたいのに!




「はぁ〜〜」
「どしたん。何かあった?」
休み明けの昼休み。会社のデスクに伏していると、ただならぬ雰囲気を感じたのか同僚がやって来た。いや、ほんと、どうってことないささやかな問題なんですよ。
「最近引っ越して来たお隣さんに、変な人認定されちゃったかもしれない…」
「あんた自分が変じゃないと思ってたの?」
「えっ、酷くない?慰めに来てくれたんじゃないの?」
同僚は笑いながら隣に座った。いやいや高らかなその笑い、絶対悪いと思ってないでしょ。
「まぁまぁ。その隣人は何?ファミリー?」
「ううん、男の人。多分、一人」
「狙い目じゃん。顔は?」
「もー、そういうのばっかり!私は円滑に近所付き合いしたいだけなの!」
そりゃあ私だってもう立派な成人で、いつか誰かとお付き合いをしたいとは思いますけれど、爆豪さんはそういう枠ではない。ただの隣人だ。そもそも、一人暮らししているからといって、彼がフリーである証拠もないのだし。
というか、普通に彼女くらいいるんじゃないかな。ちょっと意地悪だけど、気遣いもできて、優しいし。何よりあの容姿なら、道行く周りの女の子が釣れるレベルでは?あ、もしかして変装はそのためのもの…?
「…ちょっと。何塗ってんの」
「えへ、バレたか。これね〜、今日発売のヒーローショートのイメージネイルなの!かわいいっしょ?」
いつの間にやら左小指の爪が、ラメ入りの紅白に塗られていた。同僚の手には赤と白、二つのマニキュア。あぁ、前にどうしても買う!ってサイトに張り付いてたやつかな。いつもながら、彼女らの熱意には驚かされる。
普段ネイルコートくらいしかつけない指の先に、鮮やかな色がついている。熟れた苺のようなつやつやの赤と、パールのような白。少しだけ悩みがどうでも良くなった気がする。いや、ほんと気がしただけだけど。
「なんか、おめでたそうなカラーだね」
率直な感想を述べると、隣の同僚は盛大に吹き出した。いや、今笑うとこあった?冷ややかな視線を送る私の隣でデスクを何度も叩きつけ、息も絶え絶えに笑い続ける。
「なによ」
「やーもう、ほんと、あんた天然記念物!そのボケ方最高!」
結局その後も同僚は笑い続け、しばらくあだ名が笑い袋になったとかならなかったとか。




「あ」
「ア?」
その日も、偶然帰宅時間が重なった。エレベーターの前で待っている爆豪さんの背に、つい声が出てしまったのは失態だ。また変な人だと思われてしまう!
爆豪さんの方は私をチラリと見ただけで、またエレベーターの方へ視線を戻してしまった。当然、会話も生まれない。この静寂、なかなかキツイな。しかし、話題がどこからか湧き出るはずもなく。エレベーターに乗る時も、ただ黙って彼の背を見ていた。しんとした密室にエレベーターの動作音だけが木霊する。
「あんた、ショートのファンかよ」
「はい?」
先に静寂を破ったのは、意外にも爆豪さんの方だった。振り向きもせず、一言だけ放って。咄嗟に反応できず、爆豪さんの言ったセリフを頑張って咀嚼した。えっと、何だって?ショート、ショート。何だっけ。記憶の隅っこに引っかかったその名を、自分では引っ張りだすことが出来ない。
「ヒーローショート、知らねぇんかよ」
「あぁ!最近よく聞く名前ですね。でも、何で?」
「爪、紅白だろ」
思わず肩からかけた鞄を持つ手を見た。確かに同僚に塗られた紅白がそこにあった。ただ紅白ってだけで特定できてしまうものなのか、ヒーローショートって。
「あ、これ。昼間、会社の人に塗られたんです。速攻完売したネイルなんだから、ありがたがれ〜〜って。それにしても爆豪さん、よくショートのネイルって分かりましたね」
「ンなおめでたい紅白、他にいねぇわ」
「それ、私も言ったんですよ。でも会社の人にめちゃくちゃ笑われました」
爆豪さんは笑わなかったけれど、目を細めただけで呆れてはいるようだった。エレベーターから降りた私たちは、各々の部屋へと歩き出す。なんか、案外普通に話せたな。よかった。思ったより変に思われなかったみたいだ。 ほっとしながら鍵を取り出そうとすると、お隣から声が掛かった。
「おい、」
「何でしょう」
「その紅白は趣味悪ィわ。やめとけ」
「ええ…そうですか?まぁ、確かに目立つから落ち着かないですけ、ど!?」
思わず声が裏返ってしまった。ぽい、と彼が放ったものを咄嗟にキャッチできたのは奇跡だろう。いきなり何なんだ。
「…あ、あの、これは?」
「あまりモン。やる」
じゃーな、と爆豪さんはそのまま部屋に帰ってしまった。
残された私。手のひらにあるのは、小さな黒い光沢のパッケージの箱。真ん中にオレンジのラインがクロスするように入っている。見るからに高級な装丁だが、やる、っていうからにはくれるのだろう。
そこで立っていても仕方がない。とりあえず私も部屋の鍵を開けた。
帰宅後、一通りのことを済ませ、テーブルの上の箱と向き合った。爆豪さんから貰ったあの箱だ。意を決して開封してみると、パッケージと同じく黒とオレンジのマニキュアが入っていた。同僚に塗られたショートの紅白といい、最近のマニキュアはツートンが流行りなんだろうか。
うーん。黒は流石に使いづらいけど、オレンジくらいだったら使ってもいいかな。試しに左の爪に塗ってみると、伸びも良く鮮やかな色が広がった。綺麗だ。思わず気分が上向く。明日、仕事につけていこう。




「めずらし、今日色ネイルしてんじゃん!」
「うん、ちょっとね」
さすがに目敏い同僚である。私の爪先に気付いて早速近寄ってきた。紅白はオフしちゃったけどね、と言えば、まぁ別にいいよと帰ってくる。
「ショートのはいくらでも再販の可能性あるからねぇ。でも、オレンジ…。あー、だめだ。ダイナマイトネイルの傷心が…」
「傷心て」
「予約できなかったのよ!ずっと張ってたのに、数秒で、サイトも落ちて、あぁぁ悔しっ!」
突然机に突っ伏した同僚にかける言葉など見つからなかった。単純に興味がないから変にフォローできないというのもあるけれど。
それにしても、そんなに瞬殺するような商品もあるなんだなぁ。ヒーローってすごいんだな。経済めちゃくちゃ回ってるじゃん。
「ダイナマイトのネイルは入手絶望的でね…。ショートのは簡単に再販かかったんだけど、ダイナマイトは本人が『負けた奴が悪ィ』って再販もかけてくれなくて、ネットフリマでも10倍以上の値段すんのよ…」
「…一応聞くけど、ヒーローのコラボ商品の話よね?」
「当たり前でしょ!あー…。もー、めちゃくちゃカッコいいのよ。黒とオレンジのツートンでさぁ」
黒とオレンジ。その単語に私が一瞬固まるのと、昼休み終了を告げるチャイムはほぼ同時だった。同僚は呻きともとれぬ鳴き声を漏らしながら自分のデスクへと戻っていった。
黒とオレンジ。爆豪さんから貰ったネイルと同じ。己の爪の先に視線を落として、何か焦りとも不安ともとれない心のままに、午後は過ぎていった。




「いち、じゅう、ひゃく、せん、…まん、…じゅ…?」
画面の数字を見て、思わず背筋が凍った。ゼロが多い。えっ、嘘でしょ?コレ、やっぱり同僚が瞬殺だったって言ってたあのネイルなの…?
家に帰り、速攻で黒とオレンジのネイルで検索をかければ、一番上に出てきたのはフリマサイトのボッタクリとも呼べるお値段だった。しかも売れている。速攻で。
卓上に置かれたままの黒い箱、クロスしたオレンジのライン。画面の中のものと全く同じだ。何故爆豪さんがそんなものを持っていたのか、そして私にくれたのかは分からないが、さすがにこのお値段を見てしまっては気軽に扱うことなどできない。昨日安易に開封して使用してしまったことを今更のように後悔した。
よし、爆豪さんにお返ししよう。今なら家に居るかな。足早にサンダルを突っ掛けて、隣の部屋のベルを鳴らした。




結論から言えば、爆豪さんは在宅だった。というか、今日はお休みだったようだ。いつものパリっとした服ではなく、部屋着であろう黒のスウェット上下。そんな服でさえ私が着ているのとは訳が違う。単純にキマっているのだ。腕まくりをしていたので、夕食の支度でもしていたのだろう。
面倒臭そうにチェーン越しにこちらを見遣る爆豪さんに、早速用件である箱を差し出した。
「あ?」
「これ、お返しします!と言ってもちょっと使っちゃったんで、その分は弁償しますけど…」
「いらねぇ」
「だってこれ、限定物で二桁万するじゃないですか!先に言っといてくださいよ…」
「ハァ?定価は3,500だぞ。アホぬかせ」
「いや、見てくださいよ、ほら」
ずずいっと差し出したスマホの画面を見て、爆豪さんが顰めっ面になる。そりゃ、そんな顔になりますよね。ゼロが多いですもんね。私もずっと指紋をつけていていいものか迷っているので、早く引き取ってもらえると大変ありがたいんですけど。
「ンだこりゃ。ぼったくりじゃねぇか」
「でしょ!?ね、こんなお値段でもお取引される価値があるんですよ!余計に貰えないです」
お値段も怖いが、同僚にこのネイルがバレてしまった時の方がこわい。根掘り葉掘り聞かれても貰ったとしか言えないし、爆豪さんから貰ったものを同僚に横流しするのも気が引ける。
とにかく、この問題の種を返したい一心で訴えかけたのだが。当の爆豪さんは至極冷静に、ぽつりと一言。
「高くなきゃいいんだろが。めんどくせぇが再販させとく」
「へ?」
間抜けな声だとは自分でも思いました。一体全体、それはどういうことなの?爆豪さんに再販の権限があるってこと?…あ、そういえば。紅白ネイルを見つけられた時にも、ショートのものだとすぐに当てていたな。あの時は気づかなかったけれど、女性ターゲットであろう商品にすぐ気づくなんて、普通おかしいよな。私も私ですごいなぁなんてふわふわした感想しか出なかったけれど。ふむ。ということは。
「爆豪さん、もしかして化粧品メーカーの人なんですか?」
「ンなわきゃねぇだろ。机に齧り付いて客に媚びへつらうなんて死んでも御免だわ」
「そこまで…」
秒もかからず否定された。しかも完全否定だ。ますます爆豪さんはミステリーに包まれた人になってしまった。積極的に暴こうとは思わないが、自分とは違うグレードで生きている気がして単純に興味は湧く。この人は、いったい。
「で?用件は。そんだけか」
「う…。はい、すみません夜分に…おやすみなさい」
綺麗に畳み掛けられて、そのまますごすご退散してしまった。手にある箱をもう一度見遣って、深いため息が出る。
これ、どうしよう。夜闇に鈍く光る黒い箱は、その存在感を主張している。一度価値を知ってしまったからには気軽に使えるわけもなく。爆豪さんがあの調子では、今後も返すのは難しいだろう。とりあえず玄関の棚の上に置いてみた。暖色の明かりに照らされた箱は、さも当然というようにその場所に鎮座した。うーん、オブジェとしてはわりと目立っていいかもしれない。
箱の処遇が完了したところで、ちょうど私のお腹が鳴った。そういえば返すことに夢中で夕飯を食べていなかったのだ。とりあえずと冷凍庫を開けてみる。タッパーに詰まった餃子があった。よし、これにしよう。
そういえば、これを作った日にも爆豪さんに会ったんだっけ。ベランダで「変な奴」と言い放った彼の呆れた目を思い出す。そんなに変かな。自分では分からないけれど、嫌われていないのならいい。隣人として、今のままの関係を続けていければそれで。




後日、出社早々に同僚がスマホを掲げて神に感謝していた。あまりにもあまりな高揚の仕方に若干引きつつも聞いてみると、ダイナマイトのネイルの再販が決まったらしい。しかも受注生産だと。
「まさか受注までしてくれるとは思わなかった…!ダイナマイトは私たちを見捨てたりしなかったんだ…!」
感極まって拳を握りしめる彼女に、私は淡々と「よかったね」と言うより他なかった。
そして、隣人に思いを馳せる。私の隣の住人は一体何なのだろう。あの夜の会話からして、爆豪さんが今回の再販に関わっていることは明白であるのだが。彼の一声だけでそんなにすぐに企業が動くなんて、もしかしてスポンサー?いや、だったらうちのマンションに住むかな…。考えても答えは出ない。ただ、不思議な隣人はやはりいい人で良かったと思う。
その一日、ネイル再販で活力の湧いた同僚に延々と仕事を増やされることになるのだが、そこはどうでもいい話である。

(2021/5/23) < PREV▼ TOPNEXT >