となりの爆豪さん

 5 |お隣さんとの公助の話

大失態である。私としたことが。
夕飯にサバを煮ようと思っていたのに、生姜を買ってくるのを忘れていた。頼みの綱の生姜のチューブさえないのに。生姜のないサバの煮物は個人的に許されない。
もう一度スーパーに行くか?…いや、この雨の中外に出るのは憂鬱だ。さっきスーパーに行った時さえ跳ねた雨粒にうんざりしたし、靴も濡れてるし。じゃあ諦める?もう材料は投入してしまったというのに?
「…爆豪さん、持ってるかな」
しばしの思案の後、お隣さんに助けを求めることにした。彼も自炊すると言っていたし、聞くだけ聞いて、ダメだったらスーパーに行こう。早速エプロンを外して玄関へと向かった。
外に出てみると、帰宅した時より雨足は強まっている。コンクリートの床にまで降り込んでいるのを見て、益々憂鬱になった。あぁ、お願いです爆豪さん、生姜を譲ってください。いや、お金は払います。払いますとも。
ピンポン。チャイムを鳴らして彼を待った。灯りが点いているから、不在ではないはずだ。そわそわとしながらドアの前で待つと、解錠の音。それからゆっくりと扉が開いた。
「こんばんは。爆豪さん、あの、」
「何だ」
生姜ありませんか。そう聞くはずだった私の口は、目の前の光景を目の当たりにして全然別の言葉を発した。
「どっ…、どうしたんですか、その腕」
ドアチェーンのその向こう。爆豪さんの右腕が、がっちり包帯で固定され吊られていた。上腕から右手までが全て覆われていて、見るからに痛々しい。目的も忘れてそれを直視していると、バツが悪そうに顔を顰めた爆豪さんはぽつりと呟く。
「…仕事でやった」
「ええ!?だ、大丈夫なんですか?」
「別に、丁度いい医者が出張で居なかっただけだわ。明日には治してもらう」
そんな急に治るものなんだろうか。とも思ったが、最先端医療現場には治癒個性を持った人がいるので不可能ではないだろう。もっとも、それほど高度の治療を受けられるのは、それなりの地位や職業の人だけなのだが。
とにかく、こんな状態を見てしまっては早々に立ち去らねばと頭を下げた。
「そうなんですね…。えっと、じゃあ、お大事に…」
「ハァ?何しに来たんだよ」
身を引きかけた、というか完全に目的を忘れていた私に呆れた声が飛んでくる。恥ずかしながら、そこでやっと思い出した。
「そ、そうでした!あの、すみません、こんな時にアレなんですけど…生姜余ってませんか?」
「あ?」
「いや、別に、なければいいです!走って買いに行くんで!」
「…ある。待ってろ」
ドア開けたまま持ってろ、と告げられたので言われるままにドアストッパーになった。そっか、あの手だとまたドア開けるのも大変そうだもんな。奥に引っ込んだ彼は、すぐに生姜を一欠片ラップに包んで持ってきてくれた。
「これでいいんか」
「は、はい!ありがとうございます。サバ煮るのに買うの忘れてて…」
「フーン」
大事に両手で受け取った私は、手にした生姜を見た。また爆豪さんに頼ってしまっている。彼の優しさに甘んじて、たかっているようなものじゃないのか。爆豪さんは迷惑だとは言わないけれど、言わないだけかもしれない。それこそ、鈍臭い私だから、またかよと思われているんだろうな。
うん、今こそ恩返しするべきなんじゃないか。だって爆豪さん、怪我してるんだし。彼の包帯をもう一度見て、口は自然に動いていた。
「爆豪さん、夕飯まだ作ってませんか?」
「あ?」
「右手それだと料理作るの大変でしょう?もし良ければ夕飯持ってきますよ。…いや、持って来させてください、日頃のお礼として!」
「はぁ、」
爆豪さんの気の抜けたような声が聞こえてはいたが、突っ走る気持ちの方が強かった。
ろくに彼の返事も待たず家に舞い戻った私は、意気揚々と料理を再開した。今こそ散々助けてもらったお礼に、爆豪さんの役に立つのだ!力を込めて腕を捲った。
思えば、他人のために料理を作ろうと思ったのは初めてのことだったのかもしれない。




出来た。無駄に熱意を燃やしすぎた。先に作っていた2品に加え、気が付いた時にはもう2品おかずが増えていた。いや、爆豪さんはいっぱい食べそうだから、大丈夫。…大丈夫だよね。そうやって無理矢理自分を納得させた。
夏野菜の揚げ浸しとオクラのマリネ、鳥の紫蘇つくねにサバの生姜煮。冷蔵庫にあった食材をフル活用してしまった。あとはデザート用のフルーツくらいしか残っていない。明日また買い出しに行かなければ。その時に新しく生姜を買って、爆豪さんに返そう。
炊飯器を見れば、蒸らす時間は過ぎていた。ほかほかのご飯。よし、ごはんはおにぎりにしよう。炊きたてのごはんをボウルに移し、ぎゅうぎゅう握って三つおにぎりを作った。梅干しと昆布と明太子。海苔を貼ってこちらも完成。
出来た料理を皿に入れ、ラップに包んで大きめのバッグに詰めて。エプロンを脱ぎ捨てて彼の部屋へと急いだ。

「…マジで作って来やがったんか」
「はい、マジで作ってきました!」
ドアの向こうの爆豪さんは呆れたように呟く。そんな彼の前に、強引にバッグを差し出した。視線を落とした彼は私が去るつもりもないと感じたのか、ドアチェーンを外して諦めて受け取ってくれた。そして中身を見て一言。
「自炊詐欺じゃねぇのかよ」
「えっ、何ですか詐欺って」
「レンチンしたモン詰め合わせて来んのかと思っとった」
なんだそれ失礼だな。…ああ、そういえば初めて会った時、お互いに自炊するように見えないって話をしたことを思い出した。まさか今の今まで疑いを持たれているとは思わなかったが。
「いやいや、さすがに人に渡すようなものにレンチンはないでしょ…。というか、まだ疑ってたんですか」
「あんた鈍臭ぇからな」
「ぐぅ…否定できないのが悔しい…!」
鼻で笑う爆豪さんはやっぱり意地悪で、でも実際要領は良くないので押し黙るしかない。でもいつもより頑張ったんだから、そこだけは胸を張れます。だから堂々と押し付けます。
さぁ、もう用事は済んだことだし、お暇しよう。そう思った矢先。
ぐうう、と空気を読まずに私の腹の虫が鳴いた。嘘でしょ、よりにもよって今でなくてもいいでしょ!作るのに夢中で、そういえば私もまだ夕飯前だったのをやっと思い出した。
案の定、爆豪さんがじいっとこちらを見る。その視線が痛い。そうですね、さすがに聞こえますよね。
「…おい、あんたの分は別にあんだろうな」
「あります、ありますよ!だからご遠慮なく!」
あまりにも恥ずかしくて、逃げるように立ち去った。玄関に飛び込み、ドアを背にしてへたり込む。あぁもう、本当に。
「もうやだ、恥ずかしすぎて死ねる」
顔中が熱い。なんで爆豪さんにばかり、情け無いところを見られてしまうんだろう。これではまた揶揄われてしまうじゃないか。
しばらく動けないまま、ただぼうっと時間を消費する。意地悪そうな爆豪さんの顔を何度も思い出してしまって、多分、相当な重症だなと思った。




夏の暑はさ相変わらず、日が落ちても容赦がない。仕事を終えて帰宅した私は、マンション入口の郵便受けを確認した。積み重なるようにカラフルなDMが入っている。どうせセールのお知らせとかだろうし、適当に見て捨ててしまおう。一掴みに取り出そうとしたところで、下の方に引っかかった封筒がこぼれ落ちた。 床に落ちたのはシンプルな紙の封筒。拾って何気なく裏返してみて、宛名も差出人も書かれていないことに気がついた。勿論消印もない。うん?これ、本当に私宛なんだろうか。 「おい」 「わっ!」 突然、背後から掛かる声。いつからそこに居たのか、隣人が片手をポケットに手を突っ込んで私を見ていた。
彼に会うのは晩ご飯を差し入れて以来だ。固定されていた腕も無事治っているようで、怪我の面影もない。
「ば、爆豪さん、こんばんは」
「手紙、抜いたなら退け」
彼が指さす先には、なるほど彼の部屋番号のボックスがあった。慌てて自分の分をまとめてから彼に場所を譲った。
壁際に立ちながら、手にある封書にもう一度目を落とす。…もしかしたら私宛じゃないかもしれないし、一応聞いてみようか。手紙を取り出し、ボックスを閉めている彼に声をかけた。
「あの、これ、宛名も差出人もないんですけど、爆豪さんのじゃないですよね」
おずおずと差し出した封筒に、彼の視線が向く。あぁ、でも何も書かれてないなら爆豪さんにも分かりようがないよな。無駄なことを聞いてしまったかもしれない。そう思って封筒を引っ込めようとしたのだが。
彼の指先が封筒をさらう方が早かった。
「あっ、」
奪われた封筒は、間を置かず目の前で開封されていく。中から出てきたのは、一枚の便箋。その文面を開き、静かに目で追う爆豪さんを私はぽかんと見ているしかなかった。
ううん、何て書いてあるんだろう。本当に爆豪さん宛で良かったのかな。しかし、真剣な目に何となく尋ねるのは憚られた。
「…あンのクソ髪、アホ面と同じ間違いしやがって」
小さく吐き出された唸りは、多分そんな感じのことを言っていたと思う。本当に小さかったから確信はないのだけれど。数秒のうちに手紙を読み終えた彼は、聞いたこともないくらいイラつきを含んだ舌打ちをした。思わず私も身を震わせ、竦んでしまうくらいの。
「…俺ンだったわ。こっちで処分しとく」
「は、ハイ…」
低い声に思わず頷き返事をしてしまった。これを不機嫌と言わずに何と言おう。普段より爆豪さんの眉間の皺が3割ほど増していら気がする。触らぬ神に祟りなしだ。
手紙を力の限り握り潰して無造作にポケットに突っ込み、そのままエレベーターへと向かう彼を呆然と見守る。今日ばかりは同じエレベーターに乗る勇気はなかった。それくらい怖かった。




エレベーターが二往復くらいした頃、ようやく我に返った私は自分の部屋へと向かった。爆豪さんの機嫌を損ねたあの手紙が気になって仕方がない。けれど、私と彼はただの隣人。深く聞けるわけがない。
ぽん、と目的の階に止まる音。続く廊下の向こうに私の部屋。そのドアノブに何かが掛かっているのが見えた。
「あ」
見覚えのありすぎるそれは、爆豪さんに夕飯を差し入れた時のバッグだ。私がエントランスに居たから、渡せると思って置いていったのだろう。近寄って中を確認する。
そこには綺麗に洗われ重ねられたお皿と、小さなメモ用紙。少しだけ尖った綺麗な字で「助かった」と書かれていた。
助かった。助かっただって。
思わず口端が緩むのが自分でも分かった。だって嬉しいじゃない。意地悪なことを言ったって、ちょっと怖いところがあったって、こんなに丁寧に返してくれる。迷惑だと言われることも覚悟してたのに。
晩ご飯、差し入れして良かったなぁ。




それからは暫く忙しい日が続き、爆豪さんに会うことはなかった。同じ部署の皆も忙しくて、雑談するより机に突っ伏して休むような日々だった。あんなに毎日嬉々としてヒーローの話をしていた同僚達だって、脱力したまま動かない。心なしか覇気もないし。
「や、あれはね。別の問題」
「別?」
隣に座っていた別の同僚は、野菜ジュースを飲む合間に私に話を振ってくる。顔だけそちらに向けて、続きを聞いた。
「なんかダイナマイトがどっか別の管轄に行ってるみたいよ。そのおかげで最近メディアの露出が皆無。推しの姿が見えなくて元気がないのね」
「そんなに毎日追っかけてるの?」
「ダイナマイトSNSしないから目撃情報が頼りだ〜とか言ってたわよ。まぁ…あの言動のまんまSNS投稿してたらアカウント凍結されそうだから、当然といえば当然だけど」
そんな当然がまかり通るヒーローがいるのか…。常々思うが、そのダイナマイトというヒーローは本当に大丈夫なんだろうか。私の中ではもうヴィランギリギリのヒーローしか想像出来ていないんだけど。
「そのヒーローって、いつもどんなこと言ってんの?」
「うーん…『死ね』とか『ブッ殺す』とか?」
うん、やっぱりヒーローじゃないんじゃないかな。ヴィランでしょそれ。そんなヤバいヒーロー追っかけてるの、あの人たち。正直な感想が顔に出ていたのか、同僚に苦笑いされてしまった。
「あれはねぇ、多分ちゃんと見てない人には評価されないヒーローなんだと思う」
彼女は曖昧に笑っていた。私にはまだ、分からないことだった。




なんとか日付が変わるまでに会社から出て、ふらふらとマンションにたどり着いた。倒れなかった自分を褒めよう。今日も疲れた…お腹もすいた…。
ぽちっとエレベーターの上ボタンを押す。なんか少し目の覚めるようなものが食べたいなぁ。なんて考えていると、後ろからキャリーバッグを転がす音。そして。
「あ、お久しぶりです」
「…おう」
黒い服装の爆豪さん。久しぶりに見たな。彼にしては珍しく少し遅れた返事、そして心なしか艶のなくなった髪、うっすらと髭。どうやら向こうもお疲れのようだ。
労りのつもりでエレベーターのボタンを押し、「どうぞ」と先に乗ってくれるように手を出して促した。少し瞬きをした彼は、素直に頭を下げてくる。
「…ドーモ」
彼が乗った後に続いて私も。二人きりのエレベーターは上へと昇っていく。夕飯、なににしようかなぁ。
「なぁ、」
静かな閉鎖空間に、爆豪さんの静かな声が響いた。二人きり、ということは話しかけられているのは私しかいない。空腹のために少しだけ反応が遅れたのは許してほしい。
「何ですか?」
「飯、食い行かねぇか」
今から作る気しねぇだろ。そう言う爆豪さんの表情は心なしかくたびれていて、相当疲れているのだと思う。そして素直に頷いてしまう私も、やはり疲れている。
「そうですね。できれば何もせずにご飯食べたい気分です」
「決まりだな」
エレベーターを降りた私たちは、初めて一緒にご飯に行った時と同じように待ち合わせ、連れ立って近くの店に向かった。道中何も会話はなかったけれど、きっと言葉をかけたとしても話は続かなかったと思う。会話の根本となる気力すらないのだから。ただ意見の相違がないよう、メニューだけは先んじて聞くことにした。
「爆豪さん、カレーはお好きですか」
「辛いのなら何でもいい」
「目が覚めるくらい辛いかもですよ?」
「ハ、望むところだわ」
満場一致、今日はカレー。目的の店はすぐそこだ。エスニックな外観、スパイスの匂いに思わずお腹が鳴らないように祈っていた。
テーブルについて、どちらともすぐにメニューを決め、オーダーする。さて、そうするとわずかな時間手持ち無沙汰になった。
「あんたまた忙しいんかよ」
意外にも、先に沈黙を破ったのは爆豪さんの方だった。
「そうですね、なんか仕事に波がありまして…。爆豪さんもお忙しかったんですか?」
「あー、地方に行っとった」
何でも現地に居る人に呼ばれたのだと彼は言った。
「そうなんですか。遠方にも行かなきゃならないなんて、大変ですね」
「そういう仕事だかんな」
「あー、まぁ、そうですよね。手品師って、」
「ア゛?」
「え?」
爆豪さんは信じられないようなものを見る目で私を見ている。…あれ?
「手品師、じゃないんですか?」
「ちげぇ。…つーか、ンでそうなった」
「花火、見せてくれたじゃないですか。ほら、アレですよ」
ぱちぱちと彼の手から弾ける火花、今でも思い出すと心躍る。ウキウキとした私とは対照的に、爆豪さんは項垂れるように片手で顔を覆っていた。
「あんた、ぜってぇ俺の仕事当てらんねぇわ」
「…えぇ?もしかしてあの花火、仕事に関係ないんですか?」
「関係ありまくる。つか花火じゃねぇ」
それきり、爆豪さんは口を噤んでしまった。わたしも再び話しかけるタイミングを失う。
彼はぼうっとどこかを見ていた。眠いのかもしれない。花火を見た日も徹夜明けとか言っていたなぁ。大変な仕事をしているのだと思うけれど、しかし仕事への不満を彼の口から聞いたことはない。だから、彼の仕事について口を出すことも、深く問うこともない。
手持無沙汰にしていたところに、オーダーした料理が運ばれて来た。空腹の脳は実に正直である。お互い急ぎめに手を合わせて、我先にとスプーンに手を伸ばし。辛めのスパイスの効いたカレーはするする胃に収まっていった。おいしい、幸せだ。
対面で同じようにお腹を満たしている爆豪さんも。
「あの、この前のご飯、味薄くなかったですか?」
「ア?」
食べている間はマナー違反だと思ったが、彼が食べているとても辛そうなカレーを見て言わずにはいられなかった。辛そうなものを好む彼に、普通の味付けで大丈夫だっただろうかと。
「別に。辛いモンしか食べないわけじゃねぇ」
「なら、よかったです」
「…書いといたろうが。助かったってよ」
話はそれだけだ、と言わんばかりにスプーンは再び動き出す。あの「助かった」は彼の本心だったのだろう。…そうだといいな。

(2021/9/07) < PREV▼ TOPNEXT >